07


「なぁ、サラザール」

媚びるような声で、近寄る。
しかし相手はひるまない。
眉ひとつ動かさず、彼は短く答えた。

「なんだ」
「教えるための施設を作りたい」

その時の彼の表情といったら、なんと表したらいいものか。

― スリザリン ―


コンパーメントに戻ってすぐ、他の二人も帰ってきた。

「なんだ、お前。まだ着替えてないのか?」

扉を開けた瞬間に、シリウスが怪訝に眉を寄せる。
アラシは乾いた笑い声を出して、誤魔化した。
ピーターは妙にもぞもぞと動きながら、椅子に納まる。
新しい制服の着心地が良くないらしい。
シリウスはといえば、似合いすぎるほどに着こなしているように見えた。
シャツの上から二つのボタンは当たり前のようにはずし、ネクタイはしていない。
ポケットからのぞくものがネクタイだとすると、したくないみたいだった。

「実はトランクに入れちゃって。ジェームズと二人で車掌さんに言って来たんだけど、駄目だって」

ため息をついて、隣に座ったシリウスに苦く笑って見せた。

「しょうがないから、このままで入学式に出ようと思うんだ。ジェームズが忍び込むって言うんだけど……」

言いかけて、アラシは正面のジェームズに視線を移した。
心底不満そうな顔をしている。
アラシはため息をついて、シリウスに視線を戻した。

「入学前に怒られるのってどうかと思うし」
「見つからなきゃいいんだって!」

ジェームズが口を尖らせて抗議する。
隣に座っていたピーターはびくりと肩を動かした。
アラシはでもなぁ、と頬をかいてピーターに言った。

「駄目だよね、そういうのって。どう思う?」

ピーターは一瞬びくりとした後、戸惑いがちに言った。

「うん……でも、そのままじゃ逆にまずいと思うよ?」

正論だとシリウスがうなずく。

「一応、正式な儀式が行われるからなぁ、ホグワーツは。一人だけ私服だとめちゃめちゃ目立つ」

アラシは重いため息をついた。
同時に、ジェームズが口を開く。

「その儀式とやらにそれで出るつもり? シリウス」

それはおそらく、彼のだらしない身支度にあるのだろう。
まさに着こなしている風だったが、完全に不良である。個人のセンスにケチをつけるつもりはないが、アラシのお手本にしたくない典型だ。
シリウスはにやりと口の端を上げた。

「あてつけだ」
「シリウス……」

彼が言った直後に、ピーターが顔をゆがめる。
どうやらそれなりの理由があるらしい。
アラシは制服のことを考えると気が重くなると、その話に乗ることにした。

「あてつけって? 誰に?」

いきなりの問いかけに、シリウスは面食らって言葉をつまらせる。
というよりは、答えたくないからそういう風を装ったように見えた。

「シリウスの家って代々続く魔法族一家なんだ。あ、一応僕も……かな、多分。僕の家は時々スクイブだったり、マグルが入ることもあるけど……」

シリウスの代わりにピーターが答えた。
機嫌を伺うようにシリウスの方を見るピーターの顔は、少しおびえていた。
シリウスはため息をついて彼の話の続きを吐き捨てるように話し始める。

「よくある話だ。俺の家はスリザリンの家系でよ。それ教育だ、礼儀だって昔っからうるせーの。だから、抵抗。親へのあてつけ」

「このくらいしてやらないと気がすまない」とシリウスは付け加える。
すると、ジェームズがじゃあやっぱり、と少しだけ身を乗り出した。

「シリウスってブラック家の長男?」

シリウスは顔をしかめてうなずいた。
どうやら、家柄のことを言われるのは好まないらしい。
アラシは人には色々な事情があるものだと、妙に感心してしまった。
自分が平凡すぎる環境で育ったせいかいもしれない。
シリウスが、眉根を寄せたまま吐き出すように言った。

「俺は、スリザリンは好きじゃない。普通の魔法使いと一緒さ。どっちかっていうと、嫌ってる方だ。代々スリザリンなんて胸糞悪いぜ」

そのあまりの物言いにアラシは首をかしげた。

「ごめん、よくわからないんだけど。聞いていい?」

ジェームズが何、と言いながらずり落ちた眼鏡を押し上げた。

「スクイブって? それに、スリザリンだと何が悪いの?」

純粋な疑問だった。
そもそも、創設者の一人である“スリザリン”だけを嫌うことに納得がいかない。
三人とも一瞬驚いたように目を見開いて、それから顔を見合わせた。
まるで信じられない、と目で会話しているように見える。
アラシが答えを待っていると、一番先に口を開いたのはシリウスだった。

「スクイブってーのは、魔法使いを両親に持つにもかかわらず、まったく持って魔法の才能がない奴の事だ。確か、ピーターのおじさんがそうじゃなかったか?」

言いながら、ピーターに視線を向けた。
ピーターはこくりと頷き、ためらいもなく説明する。

「うん。お母さんの弟がスクイブなんだ。今はマグルの世界で働いてる」

アラシは「なるほど」と頷いた。
確かにマグルの中からリリーのように突然魔法使いが生まれることがあるなら、逆にスクイブのような者がいてもおかしくない。
疑問の一つは解決した。
アラシは、それじゃあ、とシリウスを見る。

「シリウスはなんでスリザリンを嫌って――」
「シリウスだけじゃないよ」

ジェームズが問いかけを最後まで聞かずに言って、また眼鏡を押し上げた。

「僕もピーターも、スリザリンの崇拝者以外はほとんど嫌ってる」

ピーターが黙って頷いた。
その表情は、口をきゅっと真一文字に結んでおり、彼の本気がひしひしと伝わってくる。シリウスの方を見ても、彼は当然と言わんばかりの顔つきだった。
しかしいまいち納得がいかない。
アラシは思い切り、それを彼らにぶつけることにした。

「スリザリンって、ホグワーツの寮の一つだよね。創設者はサラザール・スリザリン。確か、私が彼……」

しかしここまで言いかけて、あわてて口を閉じる。
――今、何を言おうとした?

“私”? 違う、“アレ”は俺じゃない。
じゃあ、ダレ? “あの人”は、誰?

「アラシ?」

自分を呼ぶ声で、我に返る。
アラシはあわてて言った。

「だから、創設者の一人でしょ。それで、ホグワーツの寮の名前。どっちが嫌いなの?」

ジェームズが怪訝に顔をしかめた。

「両方だよ。スリザリン寮の奴らは、純血にこだわるんだ。で、その由来は創設者のサラザール」

その先はピーターが言った。

「サラザールは、純血の魔法使いのみに魔法を学ばせるべきだと考えたんだ。マグルの子やマグルに魔法を学ぶ必要はないと言って」

言いながら気まずそうにちらりとアラシを見る。
アラシがマグル出身者であることを気にしているらしい。
そして付け加えるように、彼は小さな声で言った。

「穢れた血。そう呼んで、マグルを嫌った」

さらにシリウスが続ける。

「俺の家の家系は、全員スリザリン寮出身なんだよ。だから長男の俺がスリザリンに入らないはずがないと思っていやがる。伝統だ何だって」

間をいれず、ジェームズが補足した。

「ブラック家っていうのは、かなりその……お金持ちでね。貴族なんだ。でも、裏じゃ何かよからぬことをやってるって噂がある」

アラシは流れるように進む説明に、時折相槌を打って頷いた。
しかしどこか納得いかない。
話の中で、スリザリンとやらはまさに悪役だったが、どうもしっくりこなかった。
というより、自分の中のサラザールはそんな人ではなかったように思える。

――彼は確かにマグルを嫌っていたが、それには何か理由があって。

嫌いなだけであって、別段軽蔑しているわけではなくて。
ただ、考え方と生き方が本当に違っていて、相容れぬ存在であっただけで。
ああ、そんな人を知っている。
いつも仏頂面で、時折見せる微笑みが嬉しかった。
でも、どこかで人との付き合いを拒んでいた。
それが寂しくて、どこか悔しくて……


――ダレ?


「あ……」


――“彼”の名前はサラザール・スリザリン。

そうだ、これはゴドリックの記憶。
アラシは気づいた。
そしてやっと、その身を以って実感した。
自分には確かに“ゴドリックの記憶”がある。

「どうしたの?」

不審そうに眉を寄せるジェームズに、アラシは急いで笑顔を取り繕った。

「なんでもないよ。僕はグリフィンドールがいいかなぁ、話を聞く限り」

とたんに、三人が三人とも破顔する。

「僕もだよ」

ジェームズがくすくすと笑い声を漏らして頷いた。
ピーターも真剣に頷いていたし、シリウスにいたっては無論だ、などと言っている。
アラシは胸がじわりと熱を持ち、温かいものが広がっていくのを感じた。

――嬉しい。

そして、心のそこで理解する。
これは、ゴドリックの感情。
自分の寮を好いてくれる“生徒”への、感謝の気持ち。

「ありがとう」

知らず知らずにそう口が動いていた。
ぽかんとする三人へ向かって、さらに口が勝手に動く。

「君たちはきっと、グリフィンドール寮に入れるだろう」

はたと気づいたとき、呆気にとられて口をあけている三人が視界に入った。

「アラシ?」

同じように我に返ったピーターがそう言って小首をかしげる。
当たり前だと、アラシはどこか冷めた部分で思った。
スクイブやら校風やらをまるでしらないマグル出身の新入生が、突然こんなことを言ったら誰だって驚くだろう。
彼らこそが普通であり、アラシがイレギュラーなのだ。

「ごめん、忘れてくれる? 僕おかしいみたい」

そのようだと失礼にもシリウスが真剣に頷いた。

「熱でもあるんじゃねぇ? ゴドリックじゃあるまいし、ありがとうはねーだろ」

どきりと心臓が跳ね上がる。
アラシはあわてて作り笑いを浮かべた。

「冗談だよ。まさかそんなに驚くとは思わなかった。でも、一緒の寮だといいね」

せっかく友達になったんだから。
そういって、無理やり残っていたかぼちゃジュースを飲み込んだ。

「もうすぐ着くかな?」

いまいち納得のいかない表情をしている三人に、ごまかすように言って窓の外を見る。
すでに夜。
真っ暗な線路の上を、汽車は滑るように走っていた。
スピードが落ちてきているのがわかり、アラシは「もうすぐみたいだ」と続けて呟く。
そして、余った百味ビーンズを片付けると、ため息混じりに独りごちた。

「ぱっと着替えられる魔法があればいいけど」

そしたら、入学式に制服で出られるのに。


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