指に触れる愛が5題 | ナノ


2.触れた指先にうずく熱

【高校生と高校生】


 夜は青。
 どこから忍び寄るでも入り込むでもなく、箱形の部屋という区画をその色でいっぱいにする。
 対照的なのは月光。
 窓を開けて、カーテンを開けて、そうしてやらなければ入って来られないのがそれ。
 あるかどうかもわからないあまり透明のガラスから、四角く切り取られた光が入って、床へ線を引く。

 上空の、ずっと空気が澄んだ辺りを行く月は黄色い。
 まあるく黄色く光りながら翔んで、空と触れ合う辺りは色が混ざって黄緑になる。
 そんな光は、地に降り立つ頃白くなる。
 夜に混ざって薄くなって薄くなって、部屋へ入る頃には青を水で溶いたようの色になり、底へ溜まるのだ。

 自分のものでないベッドの上で、阿部は溜まった色を見ていた。
 風呂を済ませてさっぱりした体をふかふかの布団に沈めると、平生ならすぐに夢の中だ。
 だのに未だ、ぼんやり高い天井なんか見る訳は、他人の部屋だから。それしか理由はない。
 そんなに神経が細くはないのだが、でも、それが理由だ。

 ほら、足音がする。
 夜によく合う控えめの足音は、自室のここへ向かっている。
 ドアを開ける為に止まったそれに、阿部は目を閉じた。
 仰向いて夜の色を閉め出した筈なのに、瞼の裏もその色だ。

 呼んでないのに青い色。
 本当に、夜と言うのは不思議なものだ。


「阿部くん」


 一面の青、その底をとんと声が打つ。
 高めの声音は青い水面にほんの少し波紋を作ったくらいで、夜は揺らぎもしない。
 そうして阿部も、そのくらいじゃ瞼を上げない。
 寝たふりを続ける。ぎ、という音は、あの声の主がベッドに乗った音だ。

 すぐそばに湿り気を帯びた熱がある。
 湯の匂いなんて意識した事はないが、湿度と熱とその匂い、それが青で塞がれた、今の阿部のすべてだった。


「あべく。……寝た、のか」


 ねえ。窺うようのその声は、この夜阿部にだけしか聞こえない。
 顔を覗き込んでいるらしく真上から降るそれを聞くばかりで、寝たふりを一向にやめない阿部を、もう彼は待つのをやめたらしかった。
 
 ふつんと声がしなくなる。
 あるのは今まで聞いていた夜溜まりの音と、いや、自分のものでない気配が耳に届いている。
 ふかふかの枕を潰す音がした。
 その後すぐ、唇が塞がれる。
 犯人は彼の同じものだ。かさつきなんて知らない、潤いしかないそれをより瑞々しく感じさせるのは、一度湯に溶けた彼の熱。
 水気を移すように触れ、軽く重ねて音たてて離れる。
 そればかりじゃ阿部は寝たふり。
 少し距離を離して阿部を窺う気配がする。また、すぐに唇は塞がれて、今度は湿り気だけでなく濡れた舌もそれに加わる。

 薄ぺらの舌先が歯列に触れてようやく阿部はふりをやめた。
 腕を伸ばして彼の髪に触れる。洗ったばかりで、乾かし損ねた柔らかい髪がふわりと指に絡む。
 それを良い事にこちらへ寄せて、彼の深く深くまで食べてしまった。

 気が済んだ頃放してやると、あの夜を翔ぶ月より銀色の糸が垂れて落ちるのが見えた。
 久々に目を開けたら、瞼の裏よりより明るい夜をしていて、それを負うように自分へ被さる彼の姿に阿部は少し見とれてしまう。


「阿部くん、いじわるだ。」

「気付かねえふりしたおまえもな。」

「ふふ。」


 阿部の指が彼の髪を梳く。
 代わり、彼の指は阿部の頬へ触れた。
 そこだけ焼けない指の腹は輪郭を撫で、首筋をなぞって鎖骨に触れ、襟ぐりから服の下へそろりと入る。

 まるでガラスを透かして入って来るあの光みたいだ。
 手首を掴まえて阿部は彼の名を呼ぶ。


「三橋、」

「ン、」

「垂れたぞ。」


 目だけで口の端を示すと、三橋は器用に舐めて取る。
 手首を放し、滑らせてその手はこの手と重なり合って、また唇が降りて来た。

 それを、阿部はずっと見ていた。
 窓辺から射す月の光は夜を照らして尚白い。それは強い光線で、三橋の色素が薄い、柔らかな髪を一層淡くする。
 金と銀の間だ。同じ色が彼の細い体の線を縁取って、夜の底と同じ色の自分と対照的に月光を背負って薄ら白く光っている。

 それを見る事に夢中になり、目を閉じる事を忘れていた阿部の瞼に、三橋の指が触れる。
 笑うようの吐息を唇に感じて、阿部は困ったように笑う三橋の目を見つめた。


「……キスするときは、目、閉じて……?」


 瞼を下ろすのが返事の代わりだ。
 三橋の指がなぞる通り閉じた瞼はまるで魔法をかけられたようで、阿部の黒い睫毛は降りたまま。

 意外とこういう事の得意な三橋の指が、瞼の裏で軌跡を描く。
 金と銀とその合間。きらめくその色が散りばめられるのは、月光色の夜の青だ。


―― Perhaps an wizard.  

指に触れる愛が5題より
「2.触れた指先にうずく熱」
阿部くん乙女。
そしてうずいてなかった。

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