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○in'da H@lloween!

 

 円の入口に、田島が駅の駐輪場に自転車を置くのと変わらない動作でママチャリをとめる。
 先に降りた花井はその混沌ぶりに、早くも及び腰になってしまった。


「花井、これオレのツレだっていうパスだから首から提げといて… ん?」

「オレって…ここにいるべきじゃない気がすんだけど……」


 揺れる橙の光に埋め尽くされた異世界は、普段の世界とは明らかに一線を画していた。
 淡い灯火が投げる影の姿かたちは異形そのもので、子どもほどの背丈をした者もいれば木よりも高い者もおり、この空間に存ずる者の大半は格好もその形も性別も年齢もすべて取り払った、もしくは内包した無法地帯だ。
 雰囲気に呑まれて固まった花井の横で、黒い影がけらけらと笑う。酒か何か入っているのだろうか、狼に似たそれはやたら陽気に仲間と騒いでいる。
 ただ、花井がこの状況に驚きこそすれ不思議と恐いとは感じないのは、この場の誰もがかしましく祭りを楽しんでいるからだろう。

 それもありどう反応すべきか、ただ固まっている花井の裾を田島が引いた。振り返ると先ほど田島が言っていたパスとやらを首にかけられ、帽子の影からあの明るい鳶色の瞳が見える。

 その目は花井を放さない。


「こえーの?」

「…や、…そういうんじゃなくて…」


 花井を真っ直ぐ見据えるその鳶色に、自分が映っている。
 目を逸らしたいのに田島の目がそれを許してくれない。三白眼気味の田島の目は、いつもきょろきょろと辺りを見ていて呼べば子どもみたいに笑ってくれるから、今花井を見つめてくるような表情のない目は初めてだった。

 こわいのか、と田島は言う。
 こわいのか。いや、こわくなどはないはず。ただ普段の世界と切り離されてまったくの異次元に来てしまったから頭がついてこないというだけで、敢えて言うなら

 田島のその目が


「あ、た、田島くん!」

「ん?…うわ、三橋!今日来てたのかよー!」

「…え?」

「うん。あの、あべくんも一緒。役員で、オレ、ついてきたんだ。」


 唇が僅かに戦慄きかけた。それに気づいて何を言うつもりなのかと自分に問うた時、雑多な群れの中から田島を呼ぶ声と、それに続いて輪郭の淡い影が駆けてきた。

 光の加減か、薄ぼんやりとしか姿は見えない。ランタンの照らす輪郭から、背格好は自分達とそう変わらない年頃の少年であるように見えたが、何故かその頭のほうで犬の耳のようなものが見えた気がして彼を出迎えた田島と一歩出遅れてしまう。非日常に触れて直後に行動できるほど非常識な体験はしていなかった。

 影のほうへ田島が向かい、二人で何か話し始める。声だけははっきり聞こえるが、すぐそこなのにやはり姿はおぼろげで捉えられない。
 会話の内容からその影とは久しぶりの再会らしく田島の気は完全にそちらへ向いてしまったので、幸か不幸か、取り残された花井の唇は一度息をついた後、しばらく引き結んだままになった。


(オレは、何を言おうと思ったんだろう)


 胸に溜まった空気を吐いてしまうと、変に緊張していたことに気づき、さっきのことをほんの少しだけ思い出す。
 あのとき自分は何を言おうとしたのか。
 確かに何か言いかけたが、何を言おうとしたのかまでは思い出せず拳をぎゅっと固め、それでまた手汗をかいていたことに気づいた。
 何か、変な感じがする。手のひらについたそれをパンツで拭いながら、これ以上さっきのことを考えるのを花井はやめた。胸のまん中わたりでうろうろとする変な感覚を意識ごとどこかへやるため、辺りを振り返り、光の中に目を凝らした。

 この空間が、花井にはよく見えていない。目のまえにいる筈の田島の友人がぼんやりとしか見えないように、周りの形を捉えようとすると靄の様な影しか見えず、現在見えているのは天の川の流れる夜空と点在する木、それとワイヤーに吊るされたジャック・オー・ランタンの灯りのみ。
 周りの存在は淡い輪郭と、そこへわずかに色を滲ませたような靄だ。どうやら光の加減や視力の問題でないのはわかったが、それでも自分の常識を信じたい花井は凝視したりしてみる。


(やっぱ見えねえ、よな…?)


 眉間にしわを寄せ目を眇めていると、肩を叩かれた。
 田島が話を終えたのだろうか。とんとんと軽い調子のそれに振り返りつつ、やや不審者気味の自分に気がついて我に返る。


「……え、っと…?」

「どーもー。」


 ばかっぽい顔と声だった。
 そういえば田島たちは前のほうにいたと気づいたのは振り返ってからで、今花井の目の前には、笑顔と仏頂面の見知らぬ二人組が立っていた。


「あのさ。あんた、人間?」

「…そうですけど…」

「おー! 泉、当たりじゃん。よくわかったなあ!」

「オレがまだ人間だって覚えてるかばかハマダ。」

「あそっか。一瞬忘れてた、一瞬。一瞬よ?泉なんで拳握ってんの?」


 自分が人間なのかなんて普段の生活では疑いもしなかった、というか特に意識したこともないが、この状況ではこんな質問にさえも答えることを躊躇ってしまう。
 しかもひとをこんな微妙な気分にさせておいてそっちのけで騒ぐ二人組をうろんげに見やり、花井はふと二人組の姿が見えていることに気づいた。


「ああ、もしかして他は見えないのに、オレたちが見えてるのが不思議?」

「…これ、何なんですか?」


 初め花井に話しかけて来たほうが、何か気づいたふうな花井に、毛先の跳ねた金髪を揺らして尋ねてきた。
 ゲームなんかに出てきそうなヴァンパイアのイメージそのままに、両極のモノトーンを纏ったそれは人好きのする鼠色の瞳で連れを見、笑う。
 いたずらっぽいその視線を受け流した方は対照的に始終仏頂面で、健康的なやわらかい桃色をした唇をへの字に曲げて語らない。
 連れと合わせたのだろうこれも白と黒の衣装は、連れが下僕のヴァンパイアなら彼は王子様といったところか。艶のある黒髪に小さな冠を戴いて無言の圧力をかけ続け、下僕のほうは慣れているのかへらへらと笑いながら主の変わりに喋り出す。


「えーと、今ここにいるやつのほとんどは、人間と反対の世界の住人だから、意図的に姿を見せない限り人間の目に映るのは難しいんだよ。」

「はあ…」

「ユーレイとかフツーに見えちゃってたら大変だろ?今オレたちはおまえと話そうと思ってるから姿を見せてるけど、ホントなら他みたく見えてないよ。」


 すらすらと語る唇は、その肌の色と比べ紅を刷いたようにそれだけが赤い。
 辺りに満ちるランタンの灯りは明るい人肌色をしているというのに、照らされてもその肌は染まるどころか一層青白さが際立っており、彼らが自ら言う「人間と反対の世界の住人」らしいことが窺える。
 その一層眩むようなコントラストの所為だろうが、薔薇色を見つめていたら一瞬だけ眩暈がした。

 体は丈夫なほうなのだが、次第に視界が灯りで埋め尽くされていく。意識がだんだんと手もとから放れていくのを知りながら、体は何の反応もしようとしない。
 視界が光から闇へ徐々に喰われていく中、うっすらと開けていた目の端で、ぱしぃんと小気味のいい音を立てはりせんが上から下へ直線に閃くのが見えた。

 …はりせん?


「え?なにすんの泉?痛くないけど今オレすげーびっくりした。」

「てめぇ、公共施設じゃ眼力セーブしろっつってんだろ!こいつぶっ飛びかけてたぞ……つーか一言余計なんッだよ!」

「あたっ!いや痛くないけど!」

「オマエ、大丈夫か?こいつばかだからいくら言っても忘れんだ。…このばかっ」


 白刃にも劣らないはりせんで金色の脳天を引っぱたき、仏頂面のほうがはじめて花井のほうを向く。今まで横を向いていたので気づかなかったが、男のわりに目の大きな、可愛いと言える顔立ちをしていた。
 青みがかった真っ黒の睫毛の縁取る目が、頭ひとつ大きい花井をきっと見上げる。
 睫毛の長さはないが一本一本が太く濃い為その目には強い力があり、中心に嵌まった両目の青に、花井は一瞬田島のそれを思い出す。

 自分を真っ直ぐに見つめてくる、逸らせやしない力を持つ目。
 けれどそれについて考える前に、彼らが話を始めたのでそちらへ意識を向けた。


「オレ、ヴァンパイアなんだ。泉は人間だけどね。ああオレ、名前はハマダね。」


 金髪の彼が、自分と連れとを順に示してそう言った。
 軽々しく言ってくれるが、普通なら絶対に聞く耳持たないところを、この場にいる限りは許容しようと努める。花井は初対面で見抜かれるほど典型的なA型で、思い込もうとするだけでも結構なストレスだったが、良くも悪くも努力家のA型だった。

 ヴァンパイアというのは西のほうの「反対世界の住人」で、書いて字の如く生き物の血を吸って動くものだったと思う。
 結構有名なのでわかるものと思ったらしい黒髪のほうが言葉を続け、生き物、つまり人間の血を頂くにあたり普通に頼んだのでは当然拒否される、ということで、彼らは人間に対して意識を奪うくらいの能力があるのだと言った。
 そもそも視覚から訴えるようヴァンパイアは揃って美形という特徴があるらしいが、ハマダは顔立ちは平凡のはずなのに、雰囲気かなにかが目をとらえて放さない。
 歴が長いらしく、意識しないとさっきの花井のように相手が倒れてしまうのだと肩を竦めるが、聞かされたほうは身構えてしまった。
 それを見て、ハマダが言う。


「ああ、オレ知らない人の血は飲めないから、そう身構えなくていーよ。」

「飲めない?」

「そ。泉が独占欲強くて。な?」
 

 困ったような口振りだが、言う表情は楽しそうな、嬉しそうなそれだ。
 ハマダに話を振られた泉は「それが何だ」と言う顔で彼をねめつける。はたから見るぶんには十分よろしくない目付きなのだが、年を経たヴァンパイアは感覚が鈍くなっているのか、その視線にさえにこにことしていた。

 他人の血が飲めないなどと言うから感染症でも気にしているのかと思ったら、単に連れの少年に禁止されているのらしい。
 独占欲が強い云々はハマダの冗談としても、この二人は親しい仲なのだろう。雰囲気からもそれはわかる。
 ただ、先ほど少年のほうは人間だと聞いた。それも血は彼のものしか頂かないという事は、人間とヴァンパイアの彼らは、被食者と捕食者の関係という事だ。

 それなのに、良い関係が作れるのだろうか。
 食って食われて、それだけなのかもしれないのに。


「血、って」

「あ?」

「平気なのか、吸われても」


 勿論吸血行為や、量の話などではない。何が言いたいのかわかった泉にあの力の強い目で射られるが、花井もその言葉を口にした以上はそれを真っ正面から受け止める。
 五秒の間、視線はどちらも逸らさなかった。六秒めに口を開いたのは泉の方で、色も形も花びらに似た唇から言葉が紡がれる。


「コイツのメシは人間の血だけどな。オレがコイツを生かしてやれんのが、オレは嬉しい。だから、むしろそれでいいんだよ。」

「へへへ、泉はオレがだいすきな!」

「うるせえ!」

「いてえ!いや痛くないけど」


 きっぱりと言い切った泉は格好よかった。
 彼に全肯定されたヴァンパイアが嬉しそうに泉を抱きしめ、泉は口では嫌がりながらも、満更でもなさそうに腕の中に収まっていた。
 好きだから、泉はそう言い切るのだ。血を吸うだのというのは問題にもならない。むしろ彼にとって独占の方法のひとつとして利用さえしているのだろう。

 人間か、人外かなど関係ないのだ。
 好きだから。それはなんてやわらかくて、強い感情なのだろう。それが基底にあるのなら、人間かどうかなど気にすることもないのだろうか。

 じゃれている二人をよそに花井が考えていると、後ろから田島の声がした。
 話は終わったのだろうか。振り向くと、田島がこちらを指差していた。

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