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○in'da H@lloween!

 


 明日で今年もあと二ヶ月丁度となり、頬に触れる大気は冷たく澄む。

 十月三十一日の夜、花井梓は自宅のベランダで夏と比べ星の数が増えた夜空をぼうっと見上げていた。
 夜長といわれた秋のそれもそろそろ終わる。見上げる空は暗い紺色で、冬は空気が澄むので星が見えやすくなると小学校の頃教科書で読んだが、それは夏に部活帰りに見たときよりも確かに星が明るくなっていた。

 白く光る星同士を繋いでうろ覚えの星座を作り、それへ冷たい外気で曇る息をかける。
 すでに風呂を済ませていたので、体がすっかり冷えてしまった。かぜなどひかないといいが。


「……」

(なー花井。三十一日の夜ってヒマ?)


 三日くらい前か、部活の合間にそんなことを聞かれて馬鹿正直に是と答えたために、現在自分はこんな寒い目に合っている。
 そう訊いてきたのは同じ部活の田島という同級生で、花井より頭一つ小さい彼はそのどんぐり眼でいつものように見上げてきた。
 あの明るい鳶色の瞳はいつもただ真っ直ぐに花井を見つめてくる。誤魔化すつもりは毛頭ないがあの目に嘘などつけないから自分も目を逸らさずに「ヒマだ」と返したら、田島が笑った。
 「じゃあ三十一日の夜、花井んちのベランダにいて。あ、あったかいカッコしてこいよ」と花井に伝えられたのは日時と場所の指定のみで、それが何の為になどの詳細は一切教えられなかった。
 まあ田島があの小ぶりの頭の中で勝手に決着づけてしまうのはいつものことなので、花井は言われたとおりに暖かい格好をしてベランダに出ていた。


「…半、回ったな…。」


 手持ち無沙汰の手のひらの中の携帯で時間を確認し、花井はひとりごちた。
 液晶の数字は八時半を回ったところで、約束の時間にはなった。別に少し遅れようが気にならないが、しかしベランダに出ていろというのは一体どういうことなのだろうか。
 花井の家は門限が厳しいわけではないので夜の外出も平気だし、階が高いためベランダから侵入とか、そういうことも出来ない。

 まあ、田島の頭の中などわからないので待つしかない。両手を卸したてのブルゾンのポケットに収めながら息を吐くと、その熱に曇る青いだけの空の向こうに何かが見えた。


「ん?」

 ちらりちらりと、町の明かりを反射するような光が空にちらついている。別に不安定ではなく、真っ直ぐ、それはこちらに向かって来ているような。
 メガネをかけてはいるが基本近眼気味の花井が眉間に皺を寄せて凝視すると、その金属的な反射の光はベランダの手すりの前でブレーキをかけた。


「は?ブ… え?」

「ワリーちょっと遅れた!あんまこのカッコ慣れてねーからさあ」


 田島だ。待ち合わせの時間を少し回ってしまったことを謝っている。
 それはわかったいつもどおりだ。しかしそれ以外はいつもどおりでない点が多すぎて、部内の常識を司る花井にはいささかこの状況についていけていなかった。

 田島がママチャリに乗って、宙に浮いている。

 普通は夢だと思うのだろう。確かに部活の疲れはあったしあのまま田島を待っていてベランダで眠ってしまったということも考えられなくはない。
 だとしたら明日風邪をひいているおそれがあるので、早く夢から覚めたい。だが手の甲を抓ってみたが、普通に痛い。
 だが「痛くなければ夢だ」などと昔からある迷信じみた思い込みかもしれないし、ストレス社会のこのご時世痛みくらいリアルに感じる夢もあるだろう。
 しかしそんな事をいうと、夢と現実の別なんかどうやってつけたらいいのだろう。
 まことしやかに語られている判別法。それに代わるものを考え始めた花井の名を、田島がつまらなそうに呼ぶ。


「はーなーいー?」

「え、ああ」

「何してんだよ。早く後ろ乗れって、遅れんだろ」


 黒装束の田島の言葉で、思考はギリギリのところで袋小路を抜け出した。

 田島は徒歩通学なので、家のものなのだろう乗っている赤いママチャリをベランダに留め、立てた親指で荷台を指して乗るように促す。
 その手に嵌っているのは黒い手袋。それと統一されたように衣服は全て黒かった。
 花井に暖かい格好をしてこいと言っただけあって田島の纏う厚手のコートは温そうだ。ブーツと合わせてそれらはまだ普段着といっても通用するようなものだったが、田島の短髪に被さったその帽子が全てをファンタジックにしていた。

 黒いトンガリ帽子。これではまるきり、ホウキならぬママチャリに乗った魔女っ子では。


「…田島、その格好…」

「あー、まあそれは行きゃわかるから。いいから乗れ!」

「うおわ!」


 腕を引かれては乗らざるを得なくなり、花井が荷台に乗ると田島の赤いママチャリが宙に浮いた。今までコンクリートを踏みしめていたブーツの底を夜風が撫で、そこには暗い暗い夜が広がる。
 慌てて田島の腰に手を回してしがみつく。と、大きな帽子の向こうの田島があははと笑った。
 「いつもと逆じゃん」と彼が言うのは、徒歩通学で足のない田島が時々遠回りしてコンビニなんかへ遊びに行くのに、花井の自転車に乗るその事だ。
 前を向いてママチャリを進める田島が、いつもと変わらずそう言って笑うので、混乱していた花井の頭はすうっと熱が取れたように落ち着いた。

 落ちないよう腰で結んだ腕からは、二人ぶんの厚手の服が遮って熱こそ伝わらないが、そこに田島がいる感覚がある。
 触れなければ夢まぼろしであったかもしれないが、触れてしまうとその嘘っぽさは確かすぎて、疑う余地もない。

 頭はすっかり落ち着いた。しかし気恥ずかしさだけはどうにもならなくて、花井はトンガリ帽子の後ろからあさっての方へ目をそらした。


「おーし、ぶっ飛ばすぞー!」

「なあ、ちょっと、おまえこれからどこ行くんだ?」


 赤いママチャリは町を埋める屋根とビルより高度を上げると安定したらしく、田島がペダルを踏み込むと普通の道でそうあるように力強く前に進み始めた。

 今なら田島が暖かい格好をして来いという意味がわかる。晩秋の、上空の大気は身を切るような冷たさで花井は坊主頭を隠すニット帽を耳まで下げていて良かったと心から思った。
 編まれた毛糸の隙間から聞こえる、車体が風を切るひうひうという音が寒々しい。けれど、冷たい大気はただそれだけではなかった。

 ベランダから見えたそれよりも、田島の後ろで見た夜空のほうがずっときれいだった。
 確かに距離の意味でも多少マンションからよりも今のほうが全然高度もあるし、遮るものはなにもない。
 また塵の少ない澄んだ大気の中では、星の数も輝きも倍ほど違う。三百六十度に広がる深い青のパノラマは寒さよりもずっと心を惹いた。

 めがねをしていない花井の瞳には星が映る。けれど運転手である田島の目には目的地が映っている。行き先を知らない花井が問うと、田島は言ってなかったっけと声を張り上げた。


「今からいくとこ、まつりー!」

「祭り?なんのだよ」

「おっまえ、十月三十一日のイベントっつったら、ハロウィンだろー!」


 耳元で話せる花井と違い、突っ切っていく風が声まで流してしまう為、田島は声を張り上げる。
 その一部分を拾い上げ、ハロウィン、と花井は呟いた。

 ハロウィン。確かかぼちゃの祭りだ。意味合い的には日本の盆のそれで、人外の仮装をした子どもが家々を訪ねまわり駄菓子を差し出すかいたずらを受けれるかという二者択一を迫るアレ。
 我ながらよく知っていた。自分で感心してしまう。
 それなら、田島の今の格好もそのイベントのためなのだろうか。そう問うと、田島はやはり声を張り、それでもゆっくりと答えてくれた。


「オレのは正装。ウチ、魔法使いっつーか地元のそーゆー家系なんだよ。オレ今日ウチの代表で出んの。みんな忙しいから」

「日本に魔法使い…」

「魔法みたいなの使うんだから、魔法使いだろ。詳しくはよくわかんねー。オレ空飛ぶ練習しかしてねーし。」


 まあ確かに仮装で空まで飛べたら大変だ。田島の家系がどうだとかを信じるのは別として、今は田島がそう言っているのだから聞き流す程度にしておく。
 そういえば、魔法使いなら乗り物はお約束のホウキではないのかと訊いたら、ホウキは股が痛いからと言われた。
 そりゃあそうだ。簡単に想像がついたのでつい目を眇めたら、田島のママチャリが高度を下げ始めた。

 着いたのかと思い、田島の帽子の影に隠していた顔を上げる。いつの間にか家の影はなくなり、あたりは森になっていた。
 空飛ぶママチャリに乗ってから時間はそう経っていないと思うのだが、こんなところ町にあったのかと思うほどその森は広く、その中ほどにぽっかりときれいな円形に森が消えている場所があった。
 木がない代わりに、その円の中は町よりも明るい光が煌いている。淡いオレンジと黄色の柔らかな明かりで埋まるその円こそが祭りの会場らしく、人影が見えるほど近づくと相当な面積なのが窺い知れた。


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