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★ 恣

【高校生と高校生】



 うつらうつらとしていたところを、遠くの声に呼び起こされた。
 ゆっくりと瞼を上げると、自分のものではない部屋が、隣の部屋からの明かりでうっすらと浮かび上がる。真正面にテレビと、グラスのふたつ乗ったローテーブル、あとは棚とか、こまごましたものだ。
 それらは全く夜の一部になってしまっていて、こぼれてくる隣からの明かりでようやく形が把握できる程度でしかない。
 それくらいに夜は更けていた。だって、自分がここに着いたのが、そもそも一日がほとんど終わろうとしていた頃だったのだ。
 くたくたになってたどり着いて、なんとか食事と風呂を済ませて、先にベッドで休んでいた。そこまでを思い出して、泉は一度緩慢に瞬きをした。

 今度はしっかりと意思を持った瞳が周りを見渡す。腕の中には抱き枕がわりにした掛け布団があり、それに鼻を寄せて深く息をすると、今はもうかぎ慣れた他人の匂いが泉の中をいっぱいにする。
 そのひとはもう、泉にとって、ただの他人なんかでない。恋人と呼べる存在なのだ。泉はそれを噛み締めるように布団をぎゅうと抱きしめると、部屋へこぼれてくる明かりの量が、急に多くなった。


「あーそうそう。うん、」
 

 部屋を割って差す光の色は黄色。すっと放射状に拡がった光に押し退けられる夜の色は紺だ。
 その対比を映し取り、泉はぱっと目をつむる。反射的に寝たふりを続けると、離れたところで電気のスイッチを切る音がした。そうして足音と話し声は泉の横たわるベッドへ近づき、またパチンと傍らのデスクライトのスイッチを入れたらしかった。

 閉じた瞼にも、明かりがついたり消えたり、柔らかな光に変わったりという変化が反映される。
 泉は薄く瞼を上げると、広い背中が淡いオレンジのライトでその輪郭を淡くするのが見えた。
 
 思わずそれに、目を奪われる。
 次いで無意識に唇が開き、言葉を紡ごうとしたが、はっと気付いて寸でのところで言葉を飲み込む。
 一体何を言おうとしたのか。泉はくっと唇を結ぶと、ベッドからゆっくりと体を起こした。


「んー、いや、オレはいいよ。……、」

「……」


 そろ、と起き上がった泉に、彼も気付いたようだった。オレンジのライトを浴びると、その金髪は端から燃えるように強く輝く。やや長めの襟足が振り向こうとするのを、泉は首の後ろに手を当て、動きを軽く制限した。
 振り向くな、という意思を、彼の方も感じたようだった。耳に当てた端末には、初めからあまり気を向けていないようだったが、泉に制止されると形ばかりだが端末に気をやる素振りを見せる。
 そのほうが、泉は好き勝手が出来て良い。自分の考え方を理解してくれている事に少しくすぐったさを感じなから、泉は指を滑らせた。


「いや、んな事言われてもねえ」


 湯上がりの肌は湿り気を帯びていて、微かに入浴剤の匂いと、それらを立ち上らせるだけの高い熱を感じる。
 今時分は夜もだいぶと気温が高いから、下は申し訳程度にジャージを穿いただけの、あとは裸だ。逞しい体の線がくっきりと表れるその格好に、泉は小さく喉を鳴らした。

 首の後ろへ添えた手を、滑り落ちるようにその線に沿って滑らせてゆく。
 そろそろと確かめるように辿るのは、よく筋肉が付いた肩の線だ。しっかりした男性の骨格に、肩の丸みを作る筋肉が厚く付いている。
 彼が自分と同じ場所に立ち、白球を放っていたのは以前の事なのに、当時よりもむしろ今の方が厚みを感じるようだ。
 どうしてだろう。一瞬そのわけを考えた泉だったが、すぐに答えに辿り着き、頬を少し赤くした。
 そのわけなど簡単だ。泉の知っていた彼は一年以上も昔のそれで、気付けば泉よりも幼くなってしまった。今は単純に、彼が大人になったという、それだけなのだ。たったのそれだけだが、想うと込み上げてくるものがあった。

 泉がその濃い睫毛を伏せると、以前の彼の姿は瞼の裏へ、容易に描く事が出来る。
 当時から背は高かったが、肩幅は今より狭く、ずっと少年らしい体をしていた。
 はじめ憧憬から始まった泉の恋は、その頃の彼をよく記憶している。少年らしかったと言っても、今の泉は身長ですら勝てていない。今でこそそんなふうに評する事が出来るが、当時はずっと大人に見えたものだ。

 あの眩む程の青空の下で、憧れたひと。
 その両肩に輝く空を乗せていたのを、今だってこんなに鮮やかに思い出す事が出来る。それくらいに自分は彼に焦がれていたのだ。

 そして泉は、瞼を震わせる。ゆっくりと瞼を上げると、夏空を描いていた筈の視界は柔らかい明かりのついた、夜の部屋を映し出す。
 比べると、以前との彼の体格は全く違っていた。広くなった肩幅、厚くなった体と、それらが作る体の陰影。
 止めていた指を再び這わせる。肩の丸みを作る筋肉は上腕の筋へ移り変わり、肘へと至る。柔らかいデスクライトが余計に影を濃くする肘の窪みをなぞり、前腕へ至ると、それぞれの筋がはっきりとわかる、影が走る線に至る。
 記憶の彼はまだ細い腕をしている。比べると、彼はまたしても一歩や二歩より向こうへ行ってしまったのがわかった。
 彼はもう、おとなだ。自分はまだ、記憶の中の彼にすら追い付いていないのに。

 ずるい、と泉は思いはしたが、悔しい気持ちよりも甘い感情が、胸へじわりじわりと広がる。
 それが幸福感である事を、少し大人になった泉は知っていた。睫毛に隠れた瞳を切な気に揺らし、自分の手を彼の手に重ねる。

 ここが終着だ。頭ひとつぶんも大きな彼を、泉が後ろから抱きしめると、体を密着させなければならない。
 泉がなんとか指まで重ねると、彼はその大きな手のひらへ巻き込むように握ってくれた。見ずともわかる、筋張った手の甲と、角張った長い指。もしかすると、手が一番大人になった部分かも知れない。

 堪らなくなった泉はとうとう、首の後ろに最も出た骨へ、唇を寄せた。
 それを隠すように下りた髪からシャンプーの匂いがする。先に風呂をもらった泉は、今夜それと同じ匂いがする筈だ。
 今度は少し角度を変えて唇を落とすと、じゃあね、と言う彼の声がした。
 話は終わったのらしい。照れ隠しか、泉は今ほど唇を寄せた頚椎に額を当てて俯くと、彼が優しい声で名を呼ぶのが聞こえた。


「泉、」

「……っうわ、」

「なあに、かわいいイタズラしてたね」


 結んでいた手がほどかれる。と思えば、あっという間に振り向いた彼に泉は押し倒されてしまった。

 ぽふんと横たえられた泉が仰ぐのは、柔らかい明かりに照らされ、燃えるようの金の髪。それが縁取る輪郭に、泉はまた手を伸ばした。


「ただのイタズラ。おまえこそ、電話いいのか」

「ワルイ遊びのお誘いだよ」

「へえ、いいのか。行かなくて」

「いいよ。今日は泉がいるもの」
 
 
 そう言って上手に笑う彼の唇に泉の指が触れる。それをなぞるように動かして、彼の目を見つめると、唇がゆっくりと降りてきた。
 言わなくてもわかってくれるようだ。可愛く音をたてて重ねた唇を離し、泉は彼の名を呼んだ。


「浜田」

「ん?」

「何でもない」

「何だ、可愛いんだから」


 くすっと笑った唇が、また口付ける為に降りてくる。薄く唇開いてそれを待つ泉は、時間をかけて瞼を下ろした。
 視界の端に自分の指が彼の輪郭を捉えたのを見て、泉は思った。

 彼の体のすべては、いつか憧れ、焦がれたそれだ。
 それがどうだろう。こんなふうに触れるだけで、降りてくるなんて思わなかった。独り占め出来るなんて、まして自分のものになるだなんて思わなかった。
 長い長いキスを終えると、泉はきらきら光の瞬く瞳で浜田を見る。恋を湛える色の瞳だ。それへ口付けるかわり瞼へキスを落としてやると、瞳の色は憧れめいた恋の色から、欲の火が奥で揺らめく大人のような色へ変わる。

 控えめに辿るだけだった指にも火は及ぶ。
 浜田の頬を包んで続きをねだる両手に笑い、あとは君の欲しいまま。


―― HO-SHI-I-MA-MA.

いただいたリクエストより
「 昔から、浜田のからだがとても好きな泉。それは例えば、耳朶から顎のカーヴ、肩の逞しい線、陰を濃くする肩甲骨、肘の窪み、手の甲のえくぼ。
『浜田がおれに覆いかぶさるとき、かつて青空の下で「すき」だと思ったそれらは、おれの指先ひとつに征服される』。」

いっこだけ出せなかったパーツがありますね。どれでしょうか(クイズ!
こういうピロートークみたいな言葉の応酬が好きです。
すてきなリクエストありがとうございました! ご希望に応えられたでしょうか?
あとがきはひとまずここまで、次のお話を終えてから、また返信させていただきますね!
ありがとうございました!

ちなみに「恣」は「ほしいまま」と読みます。
妄想捗る文字ですね!

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