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雨と鼈甲飴の話 2/2

 
 彼の言うように泉は顔のうちで目だけが大きい。未だ甘い輪郭の線も、他に鼻や口も小さく出来て居るから余計だ。
 人は他人を見る時、先ず顔を見る。其の中で一等目を引く両目があんまり大き過ぎると、泉はずっと言われて来た。
 中でも酷かったのは、化け物みたいと言う其れだ。泉は人の目を真っ直ぐ見る癖があるから、他より大きい其れで見詰められた方は恐かったのだろう、化け物、と言われて其れなりに悲しかったが、生まれついてのものだから、今更何をしたって変えられない。
 其れに女じゃなく男を抱こうなんて酔狂な奴が相手の商売なので、多少は下手物の方が客が付いたりするのだ。大抵碌な客じゃあないが。

 小さい時分から寄って集って傷付けられて、お陰で今はもう何を言われても感じやしない。
 其れでも其れが良いなんて嘘は酷い。なら一層気味が悪いと言ってくれた方が幾らかましだった。
 泉が宣う間ずっと此方を見ていた彼は、言葉が終わると口を開いた。

 さて、何を言うだろう。泉もずっと彼を見詰めて居たが、今まで正面にあった笑顔がなくなって、何故か少しだけ悲しくなった。


「皆、存外見る目がねえな。」

「…何?」

「いいか。」


 ふむ、と彼は一息吐き、空いて居た左の手も右の頬へ添えた。
 彼の紡いだ言葉の意味を図りかね、泉が目をぱちくりさせると、いつもは下向きの睫毛もくるんと上を向く。
 彼は、目尻の其れを撫ぜて宣った。


「おまえの仕事は、人に選んで貰うもんだろう。」


 話し始めた彼の顔を、泉は初めてまじまじ見た。
 長髪気味のべっこう色は後ろで括られ、零れたものが耳の前で幾つかの束を作っている。前髪も長く、其れが合間に覗かせる眉は髪より若干色が濃い。形の良い眉だ。其の下には目があり、やや目尻の吊っている癖、きつそうな印象は全くなかった。
 影の入った白の中、真ん中に嵌まるのは曇天色の丸い瞳。ただ色は明るく、梅雨の後に青空を連れて来る雲に似て居た。

 其の色に普通浮かぶ感情が、泉にはわからない。
 泉よりも頭が高い位置にある所為か上瞼が弛く下りて、まるで微笑んで居る様な目だ。
 笑える程、自分は可笑しなつらをして居たのだろうか。
  

「選んで貰う為には話術や立ち居振舞いなんかよりも、先ずは見た目だ。おまえの顔は人目を引くよ。」

「悪目立ちって奴さ。其の所為で、随分苛められた。」

「いいや、おまえはきれいだよ。」

「…他は誰も、そうは言ってくれなかったぜ。」

「見慣れないからさ。わからない、知らないもんは皆恐がる、だからさ。いいか、不細工で人目は引けねェ。立ってるだけで人目を引く人間なんてそうそう居ねェ、其れが出来んのは美形だけなんだ。」


 聞いた事のない言葉を、大きな口は次から次に紡ぎ出す。まるで他所の言だ。
 よくもまあそんな嘘が流暢に吐ける。鼻で嗤っていた泉だったが、やがて口を開いた。
 薄赤い花ひらに似た其れが言うのは、得意の嘘や憎まれ口でない。自分を肯定しようとする彼の言葉を更に引き出そうとするもの。

 今迄泉が閉じ込めて居た、腹の底の黒い黒いもの。自分を否定する言葉の数々。
 其れを貰う度に受け取っていたわけでなかった。そんなに言う程か、なら見なきゃいい、触れなきゃいいと、奥の歯を噛み締めた事はつい最近だってあった。

 肯定されたかった。化け物なんかでないよ普通だよと言って貰えたら其れでよかった。
 だのに彼は、きれいだよと言ってくれたから。
 泉の気の強げな目に漸く変化を見て、彼は口の端をくっと上げた。其れは泉が見て来たものの中で、一等素敵な笑顔だった。


「人の目を引いて離さない。そう言うのを、魅力って言うんだよ。別嬪さん。」


 雨が上がったらしく、割れた曇天の合間から白い光が射して来る。
 其れがべっこうの髪に射し込んできらきらと眩しいから、泉は顔を伏せた。


「あんた、ばかだな。」

「うっ、おれの渾名がよく分かったなァ…。」

「矢張り。…でも、良いばかだ。」


 言い終わると下を向いた泉の視界が反転する。急に抱き寄せられ、気がつくと彼の顔がほんの眼前に迫って居た。胡座の上に乗せられたらしい。


「別嬪さんは可愛いな!」

「其の別嬪ての止めろ。俺ァ泉ってんだ。」

「泉か。別嬪さんは名もきれいだ。」

「ぶつぞ。」

「ご免て。おれはね、良郎。また来るから覚えといて。」


 良郎、と名乗った彼と泉は其の胡座の上で漸く目線を同じ位にする。
 此の目に見られるのは心地が良い。すこうし俯いて良郎の右頬に頭を寄せると、其処を滑って唇が左の目尻に落ちた。お返しに其の唇の端へ軽く音たてて口付けてやる。
 然し、簡単な遊びは此れ迄だ。泉は明るい窓の外に視線を走らせると、人差し指立てて、追って来ようとする唇を止めた。


「んむ。」

「続きはまた今度だ。ほれ雨上がったぞ。出てけ出てけ、俺ァ寝る。」

「嗚呼ご免、そんなら部屋代…」

「要らねェ。」

「え。否、そんなわけいかんでしょ、」

「復た来るんだろうが。其ん時吹っ掛けて遣るから、懐温かくして来いよ。」


 人差し指で制した唇に、触れるか触れないかの距離で泉は囁く。言い終わると其れを押し返し、其の侭良郎の腕の中から離れて行った。
 青空を切り取る窓辺に腰を掛けて、出て行け出て行けと手をひらひらさせる。
 そう言えば暫しの雨宿りで此処に上げて貰ったんだった。其の分の金銭を払おうとするが要らんと突っ跳ねられて仕舞ったので、良郎は何か替わりになるものはないかと湿った着物の彼方此方を探す。


「嗚呼、良いもんあった。此れ遣るよ。」

「何だ?」

「飴さ。口開けて、甘いよ。」


 あった、と袂から小さい包みを出すと、手の平の上で其れを解く。
 出て来たのは色や形が取り取りの細いもの。其れを一つ泉の口に放り込んで、良郎は部屋を出て行った。

 ころころ、口の中で甘い。ちらと見えた飴の色はべっこうだった。
 甘い甘いそれを口の彼方此方に転がして、泉が復た元の様に庭を見ると、其処を良郎が歩いて出て行くところだった。
 彼も泉に気が付き、あの笑顔で手を振る。


「復た来るねェ。」
 

 辺りの迷惑になるから小さな声で。
 あの目立つべっこう色が垣根を越えて見えなくなると、泉は窓辺に置いた包みを見た。
 良郎が置いて行って仕舞った飴の包みだ。雨上がりの空は明るく、口紐の解けた合間から覗く飴が光を受けて透明になって居る。

 自分の口に入った同じ色の其れを噛んだ。
 飴は粉々になっても暫く残って居たが、やがて甘い味だけ残して消えてしまう。


 まるで彼の言葉の様だ。胸に沁みて残って仕舞った。
 其の言葉が本当ならこそ。
 否、喩え其れが、嘘だとしても。


―― the sweet Lies,
   taste like the Candies.

心の中で呟いた10の言葉
「嘘は得意だ」


December Code:ユーク様より、おねだりしていただきました…!
お話書いている時はこの泉さんにモチベーション上げて貰ってました。
和装すてき! ありがとうございます!

※ お話のネタ段階と結末についてはこちらも→和風ネタ1

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