雨と鼈甲飴の話 1/2
【和風ネタ2】
明るく広がる白い空に灰の色した薄紙を透かして見た様の、そんな雲り空から雨が降る。
しとしとしとと、微かの小雨。雨粒の糸は細くほそく、その分数を多くして、乾いたところのない様にいろいろのものを濡らして居る。
今日の花街は雨模様だ。鮮やかな色と喧騒がごった返す大通りならいざ知らず、 泉のいる路地の安宿には猫の子ですら通らない。
雨はひたすら降り注ぎ、建物の屋根を叩いて白くけぶる。其れより、垣根代わりに植わったあじさいの株を眺めた方が楽しい。
丁度あじさいの頃だから、濡れた其の葉はつやつやして、何時もよりも緑が濃い。手鞠の様に膨れた花はたわわで、色は鮮やかな青の色だ。
静かな静かな昼。する事のない泉は窓辺から外の世界を眺めて居たが、其の視界で影が走る。
なんだ、と影の向かった方を見る。其処は宿の裏口で、其の軒先には、光の固まりが身を潜めて居た。
べっこうの色の、眩しい光。否、良く見れば、其れはひとの頭であった。
毛先の跳ねたやや長髪気味の其れを、昼の光が雲間を縫って白く照らしては、端から端から零れていく。
濡れて居るなら、其れは尚更。きらきらとしたべっこうの色に目を引かれ、気が付くと泉は其れに声を掛けて仕舞って居た。
「おい、其処の、」
「…嗚呼、ご免。雨に降られたもんだから… 直ぐ出てくよ、」
「直ぐ止む様な雨じゃあねェよ。此方、上がって来い。」
小雨のさらさら降る音の中、小さな裏庭を挟んで向こうの軒先と、二階の窓辺。やや声を張ると、其れは顔を上げた。
中々好い男だ。そんな事を思って居ると、彼は泉の親切な誘いに、でも、なんて返して来た。
未だ時間じゃあないだろ、と続けたのは、此処が如何いう場所か分かって居て、店の都合なんか気にして居るのだ。
何、此んなぼろ屋じゃ時間なんて、あって無いのさと返して遣る。すると、べっこうは猫の額の裏庭を駆けた。
「悪いね。」
「いやさ。暇してたとこに、其んな頭したのが来ちゃ声も掛ける。」
「そう。偶には此の色も役に立つな。」
其れを部屋に上げ、乾いた手拭いを投げて遣ると、べっこうの髪は見えなくなる。
少しつまらなくなり、俺は復た窓辺に座ってそんな事を云うと、其れは手拭いをずらし、隙間から泉を窺って笑った。
明るいべっこうの髪に、瞳は梅雨空の雲の色だ。
目尻は少し吊り気味だが、愛嬌のある目をして居る。其れを見たら何故か目が離せなくて、泉は声を掛けられるまで見つめて仕舞った。
「ご免。」
「…何が。」
「あんまり別嬪で、見惚れちゃった。」
「ハ。」
相手に見惚れて居たのは泉の方だ。なのに、彼はにっこり笑って出来かけの沈黙を破った。
其れを見て、上手な笑い方だな、と思った。客商売の癖に、泉は媚び方が上手くない。其れに顔だって余り良い方じゃあないのだ。
自分だって其れを分かって居るのに、濡れ鼠は髪をきらきらさせながらそんな事を言う。
此れが鼻で笑わずに居られようか。薄笑いを唇に刷いて、其りゃまたどうもと言って遣ると、彼は不思議そうな顔を作った。
不器量なのは知っているのに、こいつは本気で言っているのかな、と思って仕舞った。
「え、何、嘘じゃねえよ?」
「…其んなら其れで良いだろ。此方はそんな風に言われたのは初めてなんで、此んな物言いになってるだけさ。悪くしたなら謝る。」
「そうなの。此んな美形なのに。」
皆見る目がないな、などと言うから、面白くなって質問をしてみた。ふうん、そうかな。何処が、と出来る限りの媚として、上目遣いに問うてみる。
すると彼は右手を伸ばし、泉の頬に触れた。
「顔に対して鼻も唇も丁度良いし小さいだろ。顔自体も小さいし、色も白い。まあ、肌は荒れてるかなと思うけど。」
「其れは放っとけ。」
「はは。其れに、目が良いな。視線が合うと逸らせない。まるでおれの理想だよ。」
言われた様に顔が小さいからか、手の平は頬に触れた侭で長い親指が彼方此方を撫でる。
鼻や口元、指の動きに倣って伏し目をして居た其の目元に最後触れて、彼はそう宣った。
こいつはとんでもないこまし野郎だ。相当嘘が上手の様だが、如何せ嘘を吐かれるならそのほうが良い。
人を騙すのが上手い人間は、上手な嘘を吐いて、更に其れを通す事が出来なければいけない。
さて、こいつはどの程度の玉か。少し意地悪をして遣ろうと、泉は左の頬の手に自分の其れを重ねた。頬も其れへ預ける様にして、手を捕まえて仕舞う。
「そんな事言ってくれたの、あんたが初めてだよ。…皆、此れだから嫌がるのに。」
親指付け根の腹に唇寄せてそう言うと、泉は薄く笑った。楽しいからではなく浮かべる其れに、彼は捕らえられて仕舞った様だった。
「あんまり目が大きくて、化け物みたいだ、怖いって、此んな処に売られたんだよ。だのに此んな安宿でも、ようく不器量だって言われる。…世の中上手くいかねえもんだ。」
其の言葉は黒く黒く、泉の薄い唇から吐き出される樣零れ出る。
口の端を汚す様な其れは、今まで彼に向けられた暴言の内のほんの一端だった。