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神様っていうより小悪魔。
  小悪魔っていうよりむしろ悪魔。

 毎度恒例野球部テスト対策勉強会の英語担当、花井先生の前で、小テストが赤点すれすれだった田島が唸った。
 泣きそうになって続けた言葉は、わかんない、というかわいそうなそれで、近くでその様を見た泉はようやるよと溜め息をついた。


「え、なにが?」

「田島。」

「はあ。…田島?」

「おれぁあいつの真似はできねぇな。」


 水谷は、隣に座る泉がその大きな目をやや険しくして田島を見るのを何がと訊ねた。
 テスト期間に入った野球部は、今日も今日とて三橋宅で勉強会をしている。大きなテーブルは国語数学なんでもござれの西広先生を中心にして互いに教え合っているが、部内で最も危うい田島と三橋の二人は部長である花井が見ていた。
 三橋の勉強机に二人は隔離され、袖机を出してしまう事で並んで座るスペースは確保したものの、花井は立ちっぱなしである。
 田島にわからないと言われた花井は悲壮な顔になっていた。田島より泣きそう。


「…どこが、わかんないのかな?」


 つらいらしく口調がおかしい。
 泣きたいのと投げ出してしまいたいのを抑えているのはさすが花井というところだが、無理してるせいで家庭教師通り越して幼稚園の先生みたいになっている。


「ぜんぶ。」

「…せめて見当をだな、」

「じゃあここ。あれ、どしたの花井頭いてーの?」


 こめかみを押さえて俯いた先生を問題児は健気に気遣う。しかし先生が苦労するのは大概生徒の為なのだが、あいつはわからない振りをしているのだろうなと泉は思う。
 この頃花井は田島のお気に入りらしく、田島は何かにつけて花井をいじっている。例えば忘れ物をしたなどといえばすぐに七組へ行くし、今のように勉強も花井を頼っている。
 彼の目が自分に向いていなければ面白くないのだろう。田島は末っ子のせいか少し甘えたの部分があり、仲良しの三橋に対しては初めてのお兄ちゃん役が面白いようだが、やはり愛されるほうが性に合っているらしい。
 対する花井は田島のなんちゃってお兄ちゃんではなく本物であり、かつ部長なんて面倒なものを引き受けるくらいついあれこれと世話を焼いてしまう性分だ。
 相性は元々良いのだろう。田島の多少のわがままというか奔放な部分も、文句は言うがちゃんとフォローしている。

 まあ普通に仲が良いだけなら泉だってなにも言わないのだ。普通なら。


「田島、花井にやたら触るよな。」

「あー…。うちのクラス来てひっついたりはしてんね。そのたんびに花井にひっぺがされてるけど。」


 問題はただ仲が良いのだろうでは済まされない時が多い事だ。田島の過剰なスキンシップは甘えたの延長と取れなくもないが、回数が多い。結構目につく。
 後ろからくっつくのが彼の好みらしく、七組へ遊びに行って、座っている花井に飛び付いたりなど毎度だ。花井には怒られるものの、うまく手が届かないのを良い事に注意を無視して話しかける。
 周囲にはじゃれているのだと思われているようだが、ある一件から泉だけは田島の意図を理解していた。

 それは体育で使うジャージを忘れた、と田島が騒いだ時だった。家は学校の隣だが取りに行っている時間はなく、彼はいつもの如く七組の花井のもとへジャージを借りに行った。七組と八組、九組は合同で体育の授業をするので花井はちゃんと準備しており、それも用意の良い事に半袖と長袖の上下を持っていた為田島も事なきを得たのだが。
 既に着替えていた花井の残したものがいけなかった。花井はまあ無難な半袖の上と長ズボンだったので、田島に回るのは長袖の上とハーフパンツだ。花井のものなので思い切りぶかぶかで目立つ。一目で借り物とわかる為、誰のだと話しかけられる度にばか正直に答えていた。

 それを近くで見ていた泉は空恐ろしくなった。田島は牽制しているのだ。スキンシップから忘れ物から、奴のする花井に関わる事は全て、周りに「これはおれのものだ」と知らせているのだ。
 そして周りはまんまとそれに騙され、部内ですら田島は花井に任せておけばいいと思っている節がある。それが奴の思惑なのだ。

 なんて恐ろしい奴だろうか。今この瞬間だって奴は勉強などわからない振りをして花井の注意を独り占めし、計算された角度で以て小首を傾げているに違いない。
 あんな真似は自分には出来ないと泉は震え上がる。あれは水谷曰くの神でなく、かといって小悪魔でもなく、きっと悪魔に違いない。


「かわいそうな花井。」

「えーでもあいつ案外楽しそうじゃね?」

「だからかわいそうってんだよ。」


 一番田島の術中に嵌まり、かわいそうなのは花井だ。たぶん水谷の言うように、田島がくっついて来るのが楽しくなり始めているのだろう。元々面倒見が良い為に、手間のかかる子ほどかまってしまうのだ。
 泥沼、と泉が呟くと、彼の鞄の中の携帯が震えた。ぴかぴかと光る黄色の光を見て、彼が慌てて出るのを水谷は見た。


「…何、バイト終わった?つかおまえテスト期間くらい休ませてもらえよ…、ああ、今三橋んちで勉強会。…え?…ん、……わかったよ。」


 小声でしゃべっているものの、隣に座る水谷には丸聞こえだ。ついでにそわそわ、というかいそいそしているのも伝わる。
 ほんの二言三言で会話を終了した泉は、そそくさと荷物を纏めると先に帰るとだけ言い残し、行ってしまった。

 自分だって結構泥沼じゃんなあ、と水谷は思ったが、泉に殴られるのがこわいので黙っておいた。


「あれ泉帰ったの?泥沼ー。」


 なのにたぶん彼が一番言われたくないであろう田島がそれを宣った。
 悪魔と盲目の泥沼、どちらもおれは勘弁だと、水谷は大仰にため息ついた。


―― fall in Love!

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