Category:浜田と泉
2014 7th Jun.
(猫) 梅雨の仔猫
【ちび猫いずみシリーズ】
今年は夏が早くてうだってしまいそうだったけれど、梅雨に入って一週間もすればあの暑さが欲しくなる。
いや、暑さはいいが、切実に欲しいのは日差しだ。
部屋にはもう洗濯物の旗がひしめいて、干すところなんて見当たらない。旗の中から乾いたものを見繕っては畳むものの、このまま雨が続けばタオル類は足りなくなってしまう。
なんとか乾いたタオルを定位置のラックに片付けるが、洗濯機へ被せるように設置されたラックはもうほぼ空っぽだ。今日使うぶんは大丈夫だろうが、明日はいよいよ危ない。
ふと玄関のほうを見ると、換気扇が勤勉に働いていた。これも雨が降り始めてからずっと回している。細かいようだが電気代も気になるところだ。
ああ、梅雨は嫌だなあ。なんて思っていると、部屋のほうでガタンと大きな音がした。
ああそうだ、この雨をオレより嫌がっているやつがいたんだった。
足はそちらのほうに向くが、部屋には入らず廊下から中の様子をうかがう。曇り空からの仄明るい光がいっぱいの部屋では、長いけれど細いしっぽをぴんと立てた仔猫が、何やら下の方を向いていた。
音からして、何か落としたんだろうが何だろうか。声をかけても仔猫は俯くばかりで、こちらを見もしなかった。
「いずみ、どした。」
「うるせえ!」
「ああ。カップ落としたんか、けがしなかったか?」
部屋に入って見てみれば、小さな足のそばでカップが倒れて中身をまいていた。
幸い衣替えをしてカーペットは敷いていなかったから、フローリングの上にまかれたぶんは拭いて取れるから構わない。
乗せていたのがローテーブルだった事もあり、カップも割れていなかったから、オレには小さな仕事ができただけだ。
それよりも、機嫌が悪い仔猫がけがでもして、泣かれたほうがオレはよほど気が滅入る。フローリングに広がる液体には近くにあった新聞を乗せて大雑把に水気を取るとして、うつむく仔猫の手を取った。
「ん、足も手もけがないな。良かった良かった。」
「……クレヨン、とろうとしたんだ。」
「間違ってカップにぶつかっちゃって、転ばしちゃった?」
「……。」
「いいさ、ココアなんかまたいれてやるって。」
取った小さな手は冷たい。俯く顔も、泣く寸前の切迫した表情だ。 泣かなかったのは有り難いが、やはり余程のフラストレーションが溜まっているのは明らかだ。俯いてしゃべらない仔猫の背中を撫でてやりつつ、腕の中へ収めてしまいながら、どうしたもんかとオレは心の中でため息を吐いた。
梅雨入り宣言がされてしばらく、仔猫こといずみを外に出していない。
別に、普段からたまにしか外に出してやれていないのだが、雨というのがいずみの気を滅入らせているらしく、最近の彼はずっといらいらしていた。
今日は久々の休みだし、買い物がてら、外に連れていってやろうか。いずみの気晴らしになりそうなところを思い浮かべながらふとテーブルに目をやると、カラフルに色塗りされた紙がそこにあった。
いずみがカップを転ばすまで描いていた絵だろう、ところでテーブルには学校でもらったプリント類があったのだが、まあオレにはさほど重要じゃないので何のプリントか確認するのはやめた。
A4の紙には長細いものが描かれていた。いくつかあるそれをよく見てみると、どうも魚らしい。あとは青を塗ろうとして、カップに触れてしまったのか。
(魚……)
ああこれは、こないだ仔猫を連れて行った水族館の絵だ。梅雨入り前はとにかく暑くて、悪友たちと仔猫を連れて避暑に行ったのだ。
暗く空調の効いた建物でオレたちは涼めたし、仔猫は始めて見る魚に大はしゃぎしていたっけ。ヒトデなんかを触れるコーナーにずっといたなあなんて思い出して笑ってしまったオレは、あることを思い付いた。
「いずみ、買い物行こう。」
「……。」
「な、おやつ買ったげる。行こ?」
仔猫にレインコートを着せて長靴を履かせ、外に連れ出す。出掛けは乗り気でなかった仔猫も買い物をしているうちにいくらか気分も上向いてきて、おやつにたこ焼きを買ってやる頃にはご機嫌になっていた。
夕飯の買い物をしたかったのはあるが、オレの目的は量販店に併設された百円ショップだ。きらきらした雑貨がたくさんあるから仔猫も大好きなそこで、目当てのものを買う。
そうしてすぐに帰宅して、オレは仔猫を窓の前に連れて行った。百円ショップで買ったものを持って。
「ほらいずみ、魚!」
「さかな。」
「これ貼れるんだぞ。」
オレの部屋には申し訳程度にベランダがついていて、そこへ至る為の大きなガラス戸が二枚あった。
だいたいオレの身長くらいのガラスはいっぱいに空を映してくれるが、今日はやや鉛色の混じった雨雲がそこに広がっている。
天候は相変わらずの雨。さらさらと細い糸が垂れているそこをキャンバス代わりにして、オレは右手に持ったさかなを貼った。
透き通った青い色した、ぷるぷるのさかなのシール。平たい紙のシールでなくて、ゲルみたいな質感のそれは、ときどき飾りとして窓や壁に貼られているのを見掛ける。今や百円ショップにも売られているそれを、オレは買ってきたのだった。
「窓にさかな貼ったらさ、ほら、水槽みたいだろ?」
「……。」
「……やっぱ、だめ?」
窓に貼った真っ青のさかなに、丸い水色のあぶくもつけてやる。けれど仔猫はそれを見上げるばかりで、なんの反応もしちゃくれない。
やっぱこんなんじゃだめか。困ってしまって、仔猫と一緒に窓のさかなを見上げる。曇天の僅かな光を透かして、キレイだと思うんだけどな。
「ん。」
「え?」
「オレにもさかな。」
「お、おお、」
「オレ、さかなあそこにはりたい。」
小さな人差し指で上のほうを示し、ん、と仔猫は両手を広げてだっこをせがんできた。
きらきらしたおっきな目。ああ、どうやら興味を持ってくれたらしかった。
喜んでと抱き上げてやり仔猫にシールの台紙を渡してやれば、仔猫はあちこちと指示をくれる。それに従いながら腕の中の仔猫をちらりと窺うと、レイアウトを真剣に悩みつつ、シール貼りを楽しんでいるのが表情から見てとれた。
そうして出来たのは、ガラス戸二枚ぶんのキャンバスへ泳ぐ、小さな青いさかなの群れ。
曇天と雨が詰まった水槽を思い思いに泳ぐそれらは、青い体に雲間からの光を受けて瑞々しく光る。
すごいね、きれいだと誉めそやすと、仔猫がくすぐったげに笑った。きらきらと空を泳ぐ魚より、腕の中の仔猫の笑顔がずっとオレには輝いて見えた。
―― Rainy Sunshine,
Radiant Blue fishies.
一年365題より
6/7「水が怖くて」
チープだけど、小さいしあわせが集まって、ちび猫シリーズはできています。
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