365 | ナノ

Category:花井と田島
2014 24th Jun.

○ きみ中毒

【部長とこあくま】



 気が重たいと、見える世界も変わるものだ。
 そんな事を思いながら、西浦野球部の一年生部長こと花井は教室の天井を仰いだ。とくに変わった汚れもない、ここ何ヵ月かで見慣れてしまった普通の天井だ。今日は天気がいいから左手の窓際から明るい日差しが入り込み、リノリウムがそれを反射して天井まできらきらとクリーム色に照らされている。
 世界はこんなに眩しく穏やかなのに、花井の体は重かった。理由は自分でもわかっている。心労だ。
 クラスの人間関係や勉強などさして問題じゃない。むしろ良好だ。他にしなければならないことがたくさんあり、クラス行事にあまり関われないからというのもあるが、現在の花井の心労はほぼ部活に関するそれだった。


「……ああ……。」

「うわあ花井疲れてんね。」

「九割田島のせいだろ。」


 そばで花井の心配のようなものをする声が聞こえるが、声の主などわかりきっているので花井はそちらを見もしない。
 花井の席を囲むように座っているのは、同じ野球部の阿部と水谷だ。水谷は花井の様子をそれなりに心配しているようだが、阿部はどうでも良さげに数学の教科書を見ながら話している。

 彼らの口にした「田島」という単語に、花井が眼鏡の奥の死んだような目を動かす。それに気付いた水谷が何でもないよとなだめてくれるのを、花井はぼんやり見ていた。

 「田島」。花井の中では諸悪の根元と書いてたじまと読む。
 田島とは一年九組在籍の野球部員で、小柄で元気なタイプの男子だ。勉強はからっきしだが野球に関しては奇跡の塊のような存在だ。
 花井は彼と競り合いたいと思っている。その為にやらなければならないことや考えることもあるが、花井にとって不幸だったのは、その田島がかなり自由奔放なやつということだった。

 良く言えば天真爛漫を体現している田島は、人前で言わなくていいことを大声で叫ぶ、人前で脱ぐ、集中力があるのはいいがひとの話をろくすっぽ聞いていない、何度言っても脱ぐ、下ネタを大声で叫ぶ、友人の水泳ぱんつをずり下ろす、脱ぐ、叫ぶ、そんな感じだ。
 常識人の花井には相当なストレスだ。それに部長であるが故に、学業成績があまり芳しくない田島の勉強も見てやらないといけない。
 自然と接点も増えるというものだ。いやそれは別に良いのだが、何べん注意しても改善が見られない田島の素行という奇行に振り回された花井の神経は、もう磨り減ってしまっていた。

 顔色は良くないし、涼やかな目はもう死んでいる。表情から疲れがありありと見てとれる為に、せっかくのきれいな顔立ちが残念なことになっていた。
 いっそ授業中に眠れれば多少は体力が回復するのかもしれないが、真面目な花井にそんなことは出来ない。保健室で休むなんてもっての他だ。

 そんなわけでガス抜きもままならない花井は、今日も教室の天井を仰いで虚ろな目をさ迷わせていた。
 さすがにこれはまずいと水谷がおろおろし始めたところで、教室のドアが勢い良く開いた。


「はっないー!」

「うわー来たー!」

「トドメを刺しにか。」

「阿部悲しそうな演技するくらいならなんとかしてやればいいじゃん!」

「三橋とのコミュニケーションに悩んでいるオレが、あいつまで抱え込んだら頭皮が花井になる。」

「えーなに? なんか楽しそーだな!」


 来訪者の為に、休み時間の教室の喧騒が五割ほど増す。聞き慣れた声を耳にしても花井は天井を仰いでいた。
 七組など来なれている来訪者はまっすぐに花井の席へやって来ると背中側へ回り込み、真上を向く花井の顔を覗き込む。


「はーない。眠いの?」


 眩しい天井だけだった花井の視界が、後ろから覗き込んでいる為に上下が逆さまになった田島の顔でいっぱいになる。
 短く刈り込まれた髪は前髪もあるかないかくらいに短く、部活のせいで焼けたのか日光が差し込んで焦げ茶色に光っている。
 短い前髪に、幼い輪郭の線。更には鼻に浮いたそばかすが余計に彼を幼く見せる。というか振る舞いも表情も、同じ高校一年生にしてはどうも子どもっぽい。
 一番は雰囲気だろうな、と花井が思っていると、田島がプリントを顔に乗せてきた。


「英語の小テスト、返ってきたぜ。」

「……ああ……。」


 死に体の花井の顔を隠すような、白い紙。しゃれになんない、と震え上がる水谷をよそに、花井はその紙を受け取るとゆっくり上体を起こした。
 まだ疲れたふうではあるが、姿勢は普通だ。渡された英語の小テストを無言でチェックし始めた花井の首に、田島が腕を絡めた。


「どお? オレ、期末いけっかな。」

「……」


 熱い。そう思った。
 筋肉はついているくせ、どこかぷにっとした肉の感触。細い腕は両肩に乗せられ首を抱き、さらに密着するように田島の顔が右の耳あたりにくっついている。花井の手元にあるプリントを覗き込んでいるのだろう。
 田島の体温を熱く感じるのは、自分の体温が下がっているのか、それともやはり彼が子ども体温なだけなのか。
 けれど不快じゃなかった。
 むしろ心地好いくらいで、じわりじわりと自分を浸食する熱に、花井はいつのまにか目を閉じていた。


「あり? はないー?」

「……ん?」

「どーしたんだよ。今日疲れてんの?」

「……あー……そう。」


 ふうん?という田島の声は、様子のおかしい花井を気遣ってか、平生より小さい。
 耳にぽっと熱を灯すようなその声がもっと聞きたくて、花井は椅子の背もたれが軋むくらいに体を預ける。そして首を後ろに反らせると、田島の顔が見えた。それをぼんやり見ながら言う。


「疲れてっから、そうやって支えてて。」


 そう囁いた花井の唇を、目の前で見ていた田島だけが聞こえた声。気だるげでどこか甘たるいそれに、田島はちょっとびっくりしてしどろもどろに返事をした。
 花井が目を閉じる。田島の熱にじわりじわりと浸食されて、でもそれが心地好い。触れるところから同じ熱になって溶けるようだ。今いったい、彼と自分とを隔てる境界はどこなのだろう。同じものになってしまったみたいだ。
 柔らかな腕の感触と、熱。それを好意的に受け止める理由なんか、ひとつこっきりしかないのだ。


「……花井、寝ちゃったぞ。」

「なんだ、乳繰り合ってると思ったら寝かし付けてたのか。」

「阿部ェエなんてことゆーの!?」


 手のひらが触れている花井の胸が、ゆっくりと上下をし出す。聞こえるのも健やかな寝息だ。
 それを見た阿部が何か考えるようなふりをする。


「田島」

「なに?」

「時々花井にそうしてやれ。こいつ疲れてるみたいだから。」

「こんなんでいーの?」

「その証拠に寝てんじゃねェか。」

「あ、そっか。」


 徐々に重くなってくる花井の顔から、邪魔そうな眼鏡を外してやる。
 銀縁のそれを机へ乗せながら、べつにいーけど、付き合ってんだし、とは田島は言わなかった。おおっぴらにベタベタ出来る免罪符がもらえるならこちらも好都合だ。
 わかった、と返事をして、花井の寝顔を見る。確かに疲れているような顔色だが、眠っているせいかはたまた阿部の言う通り自分のおかげか、少しすっきりした表情だ。

 花井が楽になんならいいや、と軽く考えていた田島は、阿部の言いつけをよく守った。
 その甲斐あってか以来花井は段々としゃっきりして来たが、根本が何ら解決していないために、満足させるために要求されるスキンシップはエスカレートすることになる。
 
 花井が満たされない原因。
 それを満たすことの出来る自分こそが理由であると田島が気づくのは、まだだいぶと後の事。
 
 
―― Thirsty?


一年365題より
6/24「愛情の裏返しです」

ときたまタイトルががくんとださくなります
続き書いてむっつり花井に昇華できればと!


 
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