Category:浜田と泉
2014 3rd Mar.
人形の話
【人形と人形屋とお客の少年】
かつん、かつんと軽い金属音をたて、骨董の柱時計は確かに秒を刻んでいく。
なのに、そこは時間なんて無い様だった。
店のすべてが古く、美しく、落ち着いていて、たくさん、たくさんの時を経たそれらはもう、ある程度で時間を止めてしまった様なのだ。
ぼくの着いた円卓の傍には香炉があり、香りと僅かの熱を吐いている。
甘く蕩ける様でいて薄く、細く細くなりながらけれど長く尾を引いて、部屋をゆったりと流れていた。それも時を止めるもののひとつだ。
すべてが、この世に似ていない。
そんな店が扱う品物その存在こそ、一番この世に似ていなかった。
「お茶、どうぞ。」
「あ… ありがとうございます。」
薄い陶器同士がたてる音にはっとして、円卓の上にお茶を置いた右手の先を見る。
大人の男性のものであるくせ、それはとても滑らかだ。肌理の細やかで色の白い、肌はまるで女性のそれなのに、大きさや指の長さ、形は見て明らかに男性だ。
だのに、またその手の所作のたおやかな事。美しいひととはこうなのかと、いつもぼくは見とれて仕舞う。
金の色をした美しいひと。
少しくせ気味の髪はまるで、 太陽に蜂蜜をかけて溶けたものを、細くほそく依った様だ。
流れる様なやや長めの髪を片耳の下で緩く結わえ、睫はまた、それらを薄ら焼いた様な濃い黄金の色をする。
伏し目をすると長いことがわかるそれの縁取る目はやや吊るが、わりに大きく、いつも笑う様に和ませているから印象はとても柔らかだ。
そこに嵌まった瞳の色は、雪を生む冬の空の色。
鉛色で、でも少し明るい。曇天の向こうに日射しがあるのだと感じさせる、寂しくも暖かさを思わせる色をしている。
二つのそれと目が合うと、とても外せやしなかった。
思わず見蕩れ、見入って仕舞う。こんな店の主には、これ以上ない程の適任だ。
「あの、」
「ん?」
「…この子、目覚めたんですか?」
ぼくが横へ目を走らせて言うと、店主さんはそれを追い、「ああ」と唇で弛い弧を描いた。
ぼくらの目の先にいるのは、同じ円卓についている、小さな子どもだった。
否、それは子どもでない。人間によく似て、それでいて人間とは全く異なる美しさを持つもの。
人形だ。
植物人形というものが、この街にはある。
それは崇高な香りのする寝物語の中で語られるようのすてきなお店でしか、手に入らない奇跡。
ひとつずつ、ひとつずつ、みんなお顔の、からだの、手足の、髪の、瞳の、お鼻の、くちびるの違う、おなじもののない生きた人形だ。
今も御伽噺のように、たったひとりの待ち人が現れた時だけ目を覚ます。そうして大切なひとに笑いかける顔は、天国の天使様のするそれと。
そう、ぼくの周りは言っている。
「こないだ、目が覚めたんだよ。」
お店に陳列されるお人形は、どれも例に漏れず薄い瞼を伏せている。その瞳に、ただひとりの待ち人を初めに映す為だ。
けれどぼくの隣に座るその子は瞼を上げ、濃い睫毛の揃いをくるんと上向きにして座っている。
誰かがこの子を目覚めさせたのだ。
「起こしたひとは?」
「お金払えないって帰っちゃった。」
「え、じゃあ、」
だめじゃないですか、と僕は言った。
人形たちはすばらしく美しく、素敵な時間をくれるかわり、手にいれるのにも維持をするのにもいろいろの事を必要とする。
それはお金であったり時間であったり、いろいろだ。だから相性が良かったとしても、一緒にいられないとなると、人形を一度生産者の元へ返して再び眠らせなければならない。
だのに店主さんは悠長なことを言った。
「いや、きっと来るよ。」
「だって、」
「大丈夫。絶対、しあわせにしてくれるよ。」
その声は僕でなく、人形に向けられていた。
言葉はわからないだろうに自分を取りまく空気が好ましいものでない事を察したのだろう、物言いたげに見つめてくる人形に、店主さんは優しくただ優しく話して聞かせる。
だからきれいにしておかなきゃね、そう言って、人形用の櫛で髪を梳く。
歯の細かい櫛が人形の髪を撫でる度、それは青く輝いた。
透き通った夜空を切り取って何枚も重ねたように、透明度はそのまま、色だけ濃く濃く深くした、綺麗な暗い青の色。そこへ走る艶はまるで夜空に綺羅めく星で、冠のように冒しがたい光を放つ。
髪が輪郭を撫でて終わるその顔は小さかった。人間の子供に似ているから小さくて当たり前だが、人形らしく甘く柔らかな美しい輪郭をして、肌は月に似ていっそ白く輝く程だ。
薄ぺらな唇は春の花のそれ、小さな鼻は可愛らしく、大きな目は髪と同じ色の瞳が嵌まり睫毛が縁取る。
くるんと上向く睫毛の先は光が留まって、まるで澄んだ夜空から作ったような人形だった。
きれいにしておこうと言われるままに髪を梳られるそれは、待ち人を想い焦がれる心を無理に抑えるような顔をして伏し目を作っていた。
けれど、それも僅かの間。
人形ははっとしたように目を見開き、櫛が差し込まれているのも構わずに椅子から飛び下りる。
繊細な見た目からは想像もできない必死さで部屋を走って出ていくのを、ぼくは呆気にとられて見ていた。一体どうしたというのか。
するとぼくと同じく人形の出ていったドアを見ていた店主さんが、くすっと笑った。
少し席を外すようにと応接間の奥を示され、ぼくはカップを持ち言われるままにそちらへ行く。
「お迎えが来たらしい。」
待っていて、と店主さんも同じドアから出ていってしまい、一人きりになったぼくは、少し薄暗い応接間の奥で耳をそばだてた。
若い男のひとの声と、もうひとつは店主さんの声。人形は基本的には喋らないが、二人の会話から人形がお客さんの脚にしがみついてしまっていることがわかる。
お客さんは、あの人形を買いに来たらしかった。少し悩んだけれど、と言う声はそこで優しくなり、きっと人形と目が合ったのだろうとぼくは思った。
人形は、選んだひとをしあわせにする。まずはその心からしあわせにしてしまうのだ。
(ああ)
ぼくは壁にもたれながら、前を見た。
そこには目を固く閉じた美しいお人形が並んでいる。
(ぼくにもいつか、選んでくれる子が見つかるかな。)
適当に見つめたお人形は、やはり目を閉じたまま。
ぼくはため息をついて、おんなじように瞼を下ろした。
――――――――――――
お客さんは数分で人形を連れて帰ってしまった。ぼくが奥へ隠れたのは無駄になり、店主さんがひとりで部屋へ戻ってくるのを出迎える。
「あのこ、行っちゃったんですか。」
「行くべきところへ行っただけだよ。」
お茶が冷めちゃったねえと店主さんが新しいものを淹れてくれる。ぼくがまだカップの底で揺れているお茶を見ていると、店主さんは小さく笑ったようだった。
「そんなにお人形と、連れて行ったひとが羨ましい?」
「……べつに、そんなんじゃ。」
「お人形はさ、選ぶだろう。」
「……。」
「それはさ、一定の基準があるんだよ。」
綺麗な弧を唇に乗せて、彼はなんてきれいなひと。
いつもなら見惚れてしまうぼくだけど、こればかりはふくれ面をしてしまう。
お人形が選ぶのなんてよく知っている。好かれやすいひともいれば、どんなに望んだって選んでもらえないひともいる。
まるで、ぼくみたいに。
選ばれないことに慣れてしまったぼくは彼の言葉が心地よくない。唇を尖らしていると、そこに焼き菓子が触れた。
食べな、と見れば店主さんが美味しそうな焼き菓子の乗ったお皿を持っている。お腹は減っていないけど、これは自分で食べなくてはなるまい。
ふくれ面をやめて焼き菓子を口へ運ぶと、席についた店主さんは話を続けた。彼の前には何もなく、お菓子もお茶すらもない。そういえば、店主さんが何かを食べているところなんて見たことがないなと思った。
「お人形が選ぶのは、何かが足りないひと、ってのが多いね。」
「……足りない、って?」
「言ったまんまだよ。何かしらが足りない、欠けた、無くした、もとから無い、って感じのひと。」
もしかしたら、お人形はそれを埋めてあげたいって思って目を覚ますのかもね。
求められただけじゃ目を覚まさない、それが理由なのかも、と少し伏せられた彼の睫毛の奥は、何かを思い出すような。
いつもの美しさのせいでなく、目を離せないぼくに店主さんは言う。
「あくまで人形は、持ち主から役割を与えられるもんだよ。補ってもらわなきゃならないほど、足りないわけじゃないだろう?」
に、と唇の端を引くひとは、本当にただきれい。
けれどどこか寂しそうで、ぼくは「じゃあ」と問うていた。
「あなたは、お人形を起こしてしまったこと、ないんですか。」
「ないね。おれは範囲外だから。」
不思議なお店の主さんは、彼自身も不思議でただただきれいなひと。
そんなひとが商うのは、世にも不思議なお人形。
植物人形というものが、この街にはある。
それは崇高な香りのする寝物語の中で語られるようのすてきなお店でしか、手に入らない奇跡。
ひとつずつ、ひとつずつ、みんなお顔の、からだの、手足の、髪の、瞳の、お鼻の、くちびるの違う、おなじもののない生きた人形だ。
今も御伽噺のように、たったひとりの待ち人が現れた時だけ目を覚ます。そうして大切なひとに笑いかける顔は、天国の天使様のするそれと、ぼくの周りは言っている。
それは誰もが羨むしあわせだ。
疑いようのないしあわせだ。
でもそれはとても儚い。愛なんて目に見えない、不確かなもので繋がれたその関係は、とても強くとても脆い。
それは時にどちらかへ死を与え、時に永遠を与えるもの。
彼も人形に関わるものである以上は、どちらか見たのかもしれない。
これは、不思議な人形の話。
不思議な人形とそれに選ばれた人間と、選ばれなかった人間の話。
―― Not human, Not only the dolls.
一年365題より
3/3「お人形」
店主さんは「お人形」浜田
お人形を連れて行ったのは「人間」浜田
お人形は「お人形」泉
お客さんの少年は「人間」シュンくん
ずっと昔に「お人形」浜田を起こしたひとは、「人間」泉、というめんどくさいお話でした。
お耽美人物描写したかっただけみたいになっちゃいました。
すごいぐだくだっぷりだ…
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