Category:花井と田島
2013 19th Apr.
○山の桜の花しるべ
【お菓子やさんとかみさま】
お兄ちゃん、と妹の呼ぶ声に振り向くと、一際強い風が吹いて彼女の髪や着物をなぶるのが見えた。
花井とは年が離れている妹たちは、強い風なんか吹いたら一緒に飛んでしまいそうなほどまだ幼く華奢な体つきをしている。思わず手を伸ばすとそれと同時に風は止んでしまったが、妹はありがとうと笑ってくれた。
「今日も、お仕事これで終わりなの?」
「そ、明日までな。おまえらお山の祭り見に行くんだっけ。」
「うん。はるかとね、行くの。お兄ちゃんほんとに行かないの?」
一緒に行こうよとまだ兄を慕ってくれる可愛い妹の誘いに対し、花井は困ったように笑って返しながら、妹の後ろにあるお山のほうを見た。
花井たちの住むくにには、それ自体が信仰対象である大きなお山がある。
そこでは年に春と秋の二回、祭りが執り行われる。今はちょうど春の祭りで、お山に桜の花が咲く、満開の頃を中日としてその前後一日ずつの三日間続く。
それは盛大な祭りで地元のものは勿論よそのくにからも人やかみさまが観桜に来るというので、賑わう事これ以上の事はない。
花井たちのお菓子やも普段からお山への参拝者向けにお菓子を作っているが、この時期は奉納するぶんだけ作ってお店のほうは閉めてしまう。
半日休みのようなものなので妹たちは祭りを見に行こうというらしいが、花井のほうはあまりその気はなかった。
店の片付けをするからおまえたちだけで行ってこい、と言おうとしたら、店の中からもう一人の妹もやって来た。
双子の妹たちは花井の前の右左に同じ顔を並べて同じ事を言うのだった。
「おまえらだけで行けって。」
「もー、なんで。」
「もしかして、田島さんと行くの?」
「え。」
「だったらみんなで一緒に行こうよ!」
突然出てきた名前に、少しびっくりしてしまった。
「んなわけないだろ、あいつ元々お山に住んでるんだぞ。今ごろ祭りのせいであちこち忙しく走り回ってるって。」
「あ、そうか。」
「このごろ全然来てないもんね。」
顔を見合わせ「ねー」と唱和する彼女たちからは見えないように、花井は息を細く吐いた。
田島というのは花井たちのお菓子やによく来る少年で、花井だけが知っているその正体は、お山のかみさまそのひとだ。
ここのお菓子をいたく気に入って入り浸っているのだが、彼女らの言う通り桜が咲き始めた頃からぱったり姿を見せなくなっていた。
店に来るのは彼自身の膨大な力のほんの切れっ端で作ったひとがたらしいが、多くの客を迎える祭りの主役を張っているのだし、さすがに切れっ端でも遊ばせているわけもいかないのだろう。
お山へ、祭りの場へ行けばもしかしたら田島がいるかもしれない。
けれどかみさまとしてそこにいる彼を見るのは、甘いものが大好きなただの少年しか知らない花井には、なんとなく見たくなかった。
「気つけて行って来いよ。」
「もー、……わ!」
「きゃ!」
「ちょっ…!」
お山へは行かないぞと言い切ると、その瞬間、風の強く吹くこの頃でも一番の強風が三人を襲った。
一瞬呼吸も止まるほどの風から、花井は咄嗟に妹たちのほうへ腕を広げる。彼女たちも背中を押すように吹きつけた風によろめいたものの、その先に兄がいたのでそのまま飛び込み捕まえてもらう。
山から吹き下ろされる風だとわかるのは、薄い桃色の花が混じるからだ。一瞬強く吹きつけ、すぐに解けて跡形もなくなったゆるい風の中で目を開けると、なんと目の前が淡い花の色になっていた。
「…………」
「お山の桜がこんなとこまで来たね!」
「すごいね!お山、桜の花なくなっちゃったかな?」
「なに?…あらま!」
突風と娘たちのはしゃぎ声とで、店の中にいた母親が出てきた。
お山は今は満開の桜が咲いているのだからなくなりはしないだろうが、それでもなくなってしまっただろうかと思う程の桜の花が、もうあちこちに落ちていた。
それを見た母親が、こんなのは初めてだと言う。桜の花が咲くのはお山だけで、花井たちのいる平場には一本もない。が、この頃になると時々強い風に乗って花びらが降ってくる事はあるものの、こんなのははじめてだと言うのだ。
「……祭り、」
花井がいつの間にか作っていた拳を開くと、花びらの一枚も欠けていない八重の山桜の花が収まっていた。
どうせあいつが、おれが行けないんだからそっちが来いよと駄々をこねているのだろ。
わかった、行くよと花井が言うと、打って代わって穏やかな風が一筋すっと花井の頬を撫ぜた。
―― Spring has came Here!
一年365題より
4/19「吹き荒れる風」
和風お菓子やさんパラレル。
昨日のお題は夜桜、こちらは昼間の桜で。
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