ひどく珍しく、ひどく貴重な
あー、めんどくさい。

何日か振りに洗った髪をタオルでわしゃわしゃと乾かしながら、ハンジは明日の会議の書類に目を通した。
ちなみにめんどくさいのは書類ではなく、髪を乾かす方である。
なまじ長い髪だけに、そう簡単には乾いてくれない。寝起きで櫛すら通さずに括るだけ、というのには良い長さなのだが、洗って乾かすとなると厄介になる。
立体機動装置を改造して髪を乾かせるようにならないかなぁと、髪を洗う度に思う。
改造しなくても立体機動で飛んでいれば乾きそうだけど、使用許可がいるしなぁとぼんやり考えながら書類に目を通しても、髪を乾かしながらかあまり頭に入ってこない。
しかし髪が濡れたままというには少し肌寒い夜気で、ますますハンジの機嫌は悪くなる。

コンコン。

「分隊ち…」
「モブリット、入っていいよ」
「…失礼します」

トレーにティーポットとカップと書類をのせて、モブリットが入ってきた。

「分隊長、髪…というか風呂に入ったんですね」
「うん。一週間…いや、10日? それ以上振りかな?」

サラッと言うハンジの言葉に、モブリットはハハ…と曖昧な笑みを浮かべてトレーを机の上のわずかな隙間に置いた。

「髪が乾かなくてさ、書類に集中出来ないんだよ。手もふさがるしさ。はぁ、洗わなきゃ良かった」

心底めんどくさそうな顔をしているハンジをモブリットはお茶を淹れながらしばらく眺めていたが、いつもよりやや控えめに口を開いた。

「…よろしければ自分が乾かしましょうか?」
「え?」
「そうしたら分隊長は手が空くから、お茶を飲みながらでも書類読めるし…でも、髪を触られるのは嫌でしょう?」

普段色々なことをモブリットや他の部下にさせているような印象をもたれがちなハンジであったが、意外にも髪に関しては人任せではなかった。
ただ括るだけ、たま〜に洗うだけ、というのもあるが、自分の不精さはそれなりに自覚しているため、こんな髪に触らせるのも気の毒だなぁという気遣いみたいなものもあって、それがいつの間にか、『ハンジ分隊長は髪を触られるのが嫌い』ということになっていた。

「乾かしてくれる?」
「い、良いんですか?」

だから、モブリットが驚くのも当然で…

「別に髪触られるの嫌って訳じゃないし、洗ったばっかりだからキレイだしね」
「…あー…、…そうだったんですか…」

噂の理由に何となく気付いた聡いモブリットはハンジの後ろに回ると、タオルを受け取った。

「じゃあ乾かしますから、力入りすぎたら言って下さいね」
「ん…」

モブリットの髪の乾かし方はとても丁寧かつ、ハンジの邪魔にならないよう徹底した気配りがされていて、ハンジも淹れられた茶を飲みながら書類に集中出来た。
モブリットが追加で持ってきた書類にも目を通し、書類内容に関する自分の意見なども忘れないように書き込んでいく。
明日のための書類から今夜の現実に戻ると、急にモブリットの手付きが気になった。
別に彼がいかがわしいことをしている訳ではない。ただ、タオル越しの彼の手を意識してしまう。
思っていたより大きくてゴツゴツしているなとか、その割にすごく繊細な動きをするなとか…

「何か慣れてない、モブリット? 彼女にこういうことしてたんじゃないの?」

いつものおどけた口調で言った筈なのに、ちょっと刺々しい響きがしてハンジ自身、内心驚いていた。

「してませんよ。昔、姉が手をケガしたときにさせられたことはありますけど」

ハンジの放った小さなとげに気付いているのかいないのか、モブリットはタオルで髪を挟んでポンポンと柔らかく叩く。

「お姉さんいたんだ?」
「もう嫁に行って、この前子どもが生まれたって手紙が来てました」
「へぇ〜、おめでとう、モブリット『おじさん』!」
「…『おじさん』なんて呼ばせませんから」

複雑な表情をしているモブリットを振り返り見ながら、何か可愛いなぁと笑いをこらえた。

あれ? 可愛い? モブリットは巨人じゃないんだけど…

「で、分隊長。櫛はどこです?」

髪をあらかた乾かし終えたのか、モブリットはキョロキョロと部屋を見渡した。

「あ、無い。いや、どっか発掘すればありそうだけど」
「…発掘は時間掛かりそうですね。手でザッと梳きますから、痛かったら言って下さいね」

『ザッと』と言った割には、モブリットの指は丁寧に丁寧に、優しくハンジの髪を梳いていく。
途中絡まって玉結びのように丸まっている髪も、根気よく解いていく。

そこまでしなくても、どうせまた…

しかしその言葉はハンジの口から出なかった。モブリットの手が触れれば触れるほど、ゾクッと鳥肌が立ちそうになったから…触れていてほしいと思ったから…

「櫛を発掘してちゃんとほどいて下さいね」

彼の手が手際良くハンジの髪をまとめ、紐で括る。
終わっちゃったんだ…と少し落胆して、でも自分が何か妙なことを言い出す前に終わったことに少しホッとして…

「分隊長、先に失礼します。早く休まれて下さいね」
「ありがと、モブリット」

おやすみ、という前に、ハンジの口からさっきより少しだけ大きいとげが出てきた。

「彼女にしたら喜ぶんじゃない?」
「彼女なんていませんし、こんなこと、オレはハンジさんにしかしません!」

ハッと大きく息をのんだのはモブリットで、呆気に取られたのはハンジで…

「おおお、おやすみなさい!」

彼にしては荒々しく扉を閉めて走り去って行ってしまった。途中こけた音もしたようだが。

「…おやすみ…」

モブリットがいなくなった部屋でひとり呟いても届くはずもないのだけど…

「期待しちゃうよ?」

これも届くわけがないのだけど、モブリットが梳いてくれた髪を指に絡めながら、ハンジは呟いた。

部下としての親切心ではなくて、ハンジの髪に触れたくて、モブリットは乾かそうかなどと言ったのだろうか?

どちらでも全然構わなかった。
書類はちゃんと読みこなせたし、髪は乾いたし、イライラしていたのがほぐれたし。
…下心があっても、モブリットならいいやとも思えたし。

彼には悪いが、櫛の発掘は当分しないだろう。
モブリットの指の感触を髪から無くしたくないし、また梳いてもらいたいし。

「またお願いするね、モブリット」

ひとりごちて、風呂に入るのと同じくらい珍しく素直にベッドに転がった。
今夜の貴重な体験を夢の中で反芻するかの如く…
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