削ぐよりも
「ハンジにこんなに早くまとめてくれてありがとうと伝えてくれ」
「はい、団長」

エルヴィン団長に巨人についての報告書を渡してオレのお使いは終了…のハズだったのだが、

「…お前、とうとうハンジに取って喰われたか」
「…は?」

団長の執務室にオレより先にいたリヴァイ兵長の言葉の意味が分からず、オレは間抜けな声を出してしまった。

「今朝までハンジと一緒だったんだろ?」
「え、あ、ちょっ…?! ち、違いますよ! いや、分隊長の部屋で手伝ってはいましたけど、いつの間にか寝てしまって…目が覚めたら今度は分隊長が寝ていらして、とにかく、そんな疑わしいことは何も!」
「じゃあ、」

ペチペチと、リヴァイ兵長が自身の項を手のひらで軽く叩く。

「それに気付かずにここまで来たのか」

項? そう言えば本部に来てから、誰かとすれ違う度に背中に視線を感じていた。
まさか分隊長が何かのイタズラで紙でも貼っているのかと背中を触っても背中しかなくて。その時に項にも触れたけど勿論何もなくて、背中や項を見てしまうのは、調査兵団に身を置く者の悲しい性だと思っていたのだけど…

「これとそこの鏡で見るといい」

団長が机の引き出しから大きめの手鏡を出して手渡してくれた。
オレは扉近くの姿見の前に立つと、手鏡を項の後ろに持っていき…………

「本当に気付いていなかったんだな」
「気付いていたら彼はここまで来られなかったよ、リヴァイ」

オレは手鏡に写った自分の項を穴が開くほど見つめ、その様に声も出なかった。項には虫に食われたのよりもやや大きな朱い痕が点々と幾つも…これはどう見ても……と言うか、オレはコレを隠しもせずに、寧ろ堂々とこれ見よがしに、本部の一番奥まで来てしまったのか!


「ハンジのイタズラだろうか」
「アイツも悪趣味なイタズラしやがる。…まあ、既成事実をでっち上げて、“虫除け”をしたのかもな」

虫除けって…いや、オレと分隊長はそーゆー仲では勿論ないし、そんな噂を立てられたら、困るのは上司である分隊長で…

いわゆる“恋の痕”を晒しながら歩き回ってしまった衝撃から意外と早く立ち直りながら、オレは分隊長の真意を計りかねていた。







「やだ、何ソレ、リヴァイの真似!?」

オルオじゃあるまいし、と、ハンジ分隊長は研究室に来たオレを見るなり、文字通り笑い転げて椅子から落ちた。
あの後、ジャケットの襟を目いっぱい立てても隠しきれないそれのために、団長がスカーフを巻くことを提案してくれて、有り難くお借りしてきたのだ。

「…分隊長のせいですよ」

どう考えても、時間的に状況的にこんなことが出来るのは分隊長しかいない。その事実がひどく重く感じられた。

「こんなこと、真っ先に疑われるのは分隊長ですよ、どうして…」
「…やっぱりイヤだったよね」

フッと分隊長の瞳が陰った。声のトーンも、さっきより、いつもより低い。

「謝って済むことじゃないけど、私が一方的にしたことだし、君は何も悪くない。君を知っている大抵の人がそう思っているだろうけど、君に何かイヤなことがあったら、私がちゃんと説明して納得してもらうから。…ホントにごめん」

言葉が出ない。

てっきり冗談めかして、「ごっめ〜ん☆でも君もこれで色男の仲間入りだよぉ〜!」とか何とか軽いノリで言ってきて、「全くアンタって人は…!」とか何とかオレが言い返して…そうなるかと思っていたのに。

「…どうしたんですか、分隊長。何かあったんですか」

痕をつけられたことよりも、いつもとは違う分隊長の様子が気になって、床に座りこんだままの彼女の前に膝をついた。

「やっぱり君は優しいよね、モブリット。怒るよりも私を気にしてくれて」
「あなたの部下ですから」
「ありがと」

分隊長の右手が床に着いていた俺の左手に重ねられた。

「分隊長?」
「あったかいね」

分隊長の指がオレの指に絡んでくる。兵士の手ではあるけれど女性の手でもあり…オレの鼓動が少し早くなったのが、指の脈から分かってしまうだろうか。

「たまにイヤな夢を見ちゃうんだ。中身はあんまり覚えていないけど。昨日、君が寝ている間、私も少し寝ちゃってね、その時によりにもよって…」

絡めた指に力が入った。女性にしては少々力強いけれど、我慢できない痛みではない。

「ホント、縁起でもない。ゴメン、夢の中とは言え勝手に…」

分隊長の手の動きは無意識なんだろうか。情感を煽るような、と言っても良いような、縋るような絡め方…

「目が覚めて、寝ている君を見たらホッとして、でもまだ不安で確かめたくて…ハハ、何言ってるんだか」

淋しげな笑いを浮かべて立ち上がろうとする分隊長の手首を捕まえて引き寄せる。不意をつかれた彼女はあっさりとオレの腕の中におさまった。

「モブリ…」

ハンジさんの首筋に項に、ひとつふたつ、強く口づけて身体を離す。

「今度つけるなら、それくらいの位置にしてください。隠れますから」

うっすらと、よく見ないと何だか分からないくらいの痕。今のオレにはそれが精一杯だった。オレにはまだ、ハンジさんに見合うだけの器も度胸も何もない。

「もし見つかっても、自分が付けたと言って構いません。事実ですし。上官に対してこんなことが許される訳がないのですが…オレも不安で確かめたかったので」

それ以上はハンジさんの顔を見られなくて、オレは研究室を走り出た。

分かったのは、この痕はイタズラで付けたのではないということ。
いっそイタズラだったら、と思わないでもないけれど、そうすることでハンジさんの不安が少しでも薄れるのなら、オレは全然構わない。


削ぐよりも、ずっといい。


明日、分隊長とまともに顔を合わせられるかは、また別問題だけれど…


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -