自宅に突撃する緋墨お兄ちゃん(SS)
2021/05/18 16:39

緋墨が自宅に来た。

これだけ聞くと訳が分からないが、本当に言葉の通りなのだ。

呼び鈴が鳴らされて玄関の扉を開けたら当然のようにスーツ姿の緋墨が立っていて、全く想像していなかった事態に家主の少女の思考も動きも停止してしまった。

「今日はこの辺りで“取り引き”があるンだがうっかり時間を間違えてなァ、他に暇を潰せそうな場所もねェから暫く邪魔するぜ」

正に処理落ち状態の少女を愉快そうに見下ろしながら自分勝手な事情を手短に説明すると、緋墨は半ば押し入るように家の中に上がり込んだ。

彼が脱いだ靴は型がしっかりしていて見るからにブランド品なので、素朴な玄関で自分の安物のサンダルと並べられているとやや違和感がある。靴を置く場所に靴を置いて違和感を覚えるのも妙な話だが。

緋墨程の権限があれば芳香の少女の自宅を調べさせて特定するなんて造作もないことだろうがまさか間取りまで把握しているのか、何の迷いもなく客間ではなく少女の生活の拠点である居間に入ると「眠い」なんて言いながら高そうなスーツの上着を雑に脱いでその辺に置くので、皺になるかもしれないと少女は慌てて拾い上げてハンガーにかけた。

そしてすぐに距離を取る。

……緋墨は他の兄弟と比べて身なりにかける金額が明らかに桁違いで、見るたびに違うスーツを着ている。比較的に軽装が多い赫夜とは違いラフな格好なんて見たことがない。髪を整え香水を纏い、着る人を選ぶような高級品を見事に着こなしているというのに。

「そう警戒すンな、取って食ったりはしねェよ……お前みたいな御馳走はもっと時間がある時にじっくり味わいたいからなァ」

中身が“これ”だから彼は苦手なのだ。

人に慣れない猫のように隅で固まる少女に緋墨は特に不快感を示す事もなく、無断で炬燵に入り込んで寛ぎだした。

一軒家の庶民的な畳の居間にフォーマルな服装のド迫力な美形――という光景も違和感が物凄い。現実なのかどこか疑わしくさえ感じてしまう。

「オーイ、このままじゃ風邪引くぞ。マジで何もしねェからこっち来いよ。襲うつもりならとっくに玄関でヤってる。そもそも今日はそういう気分じゃねェんだよ、ご期待に添えられず悪いがなァ」

「……」

まともなようでまともじゃないが、やけに説得力がある発言だ。

出会いが強烈過ぎた上にあれ以来やけに執着されているような気がしてつい構えてしまうが、本当に此処にはただの暇潰しで寄ったのかもしれない。

性欲の強さはきっと緋墨の一面に過ぎないのだ。

彼の本質は分からない。

気まぐれというか、掴み所のない性格をしているとは思う。

緋墨に対して一切心は許していないが、不敵に笑う様子に段々とこっちが自意識過剰のように思えてきて……少女は決して彼に背を向けることはなくモソモソと部屋の端っこから移動して、本来とるべき行動を開始した。

「ン、どうしたァ逃げる気か?」

「いえ……本当に何もしないなら、お、お客さまなのでお茶を出します……」

「ハハァ、お嬢ちゃんのそういうトコ最高だな……!」

何故か愉しそうな緋墨を警戒しつつ居間を離れ、台所の棚からほうじ茶の茶っぱを出そうとした直前に思い直し、紅茶のティーバックを取り出す。

お菓子も出そうと考え、緋墨が甘い物嫌いだった事を思い出して悩んだ末に結局紅茶だけ用意した。

「お待たせ、しました。……っ緋墨さん?」

使い切りタイプのミルクと一応砂糖も忘れずトレイに乗せて居間に戻ると、緋墨がぐったりと炬燵に突っ伏していたので驚いてしまった。

「大丈夫ですか!?もしかして体調が優れないんじゃ、」

「……ア?………あー……寝てた」

「え、寝て、……?」

「寝不足に加えて前の家でも炬燵があったからなァ、落ち着くンだよ」

「……以前はあのお屋敷とは違う場所に住んでいたんですか、」

「妹と母親とな。丁度この家と同じような木造の一軒家だった」

緋墨が家族と一緒に仲良く暮らしている光景は想像し難いが、語る彼の眼差しが思いの外穏やかなので少女は少しだけ肩の力を抜いた。初めて彼とまともな会話が成り立った気がした。

「妹さんとお母さんは、お元気ですか?」

斜め横に腰を降ろし、緋墨の前に紅茶を置きながら気の緩みから自ら話を広げた。

が。

「妹はあの屋敷で今も一緒に暮らしてる。気が合わねェから最近は顔合わせてねェけど。母親は――――前の家と一緒に燃やしちまった」

「……」

「殴り殺した時に後始末が面倒で火をつけたンだよ。妹は怒ってたけどなァ。『お気に入りの服があったのに』とか何とか喧しくて堪らなかった。こっちは血肉と脂塗れで着ていた服が一式ダメになっちまったつーのに、本当に可愛くねェんだよ。今から何十年前のコトだったか……それから親父に呼ばれて今の屋敷で暮らしてンのさ」

訊かなきゃ良かった。

一瞬にして重たい後悔が押し寄せてきた。

仮にこの話が真実だとしても殺害に至るまでの経緯を知らないので軽率に非難は出来ないが、平然とこういう話を他人にする彼の神経が恐ろしい。

作り話でからかわれているだけにしても、それはそれでタチが悪い。

困惑する少女を尻目に、緋墨は素知らぬ顔で紅茶を口に傾けていた。

が。

「――アー……やっぱりダメだ。寝る」

突然ゴロンと寝転がってしまった。

何せ長身なので横になると脛から下が思いっきり炬燵からはみ出てしまっている。

そして十秒後にはピクリとも動かなくなったので、少女は恐る恐る緋墨の顔を覗き込む。

腕で寝顔を隠してしまっているが、どうやら完全に眠ってしまったようだ。

名前を呼んでみたが返事がない。熟睡だ。

……緋墨はもっと隙がないというか警戒心の強いイメージがあったが、案外そうでもないのかもしれない。

いつもスーツ姿なので高級志向かと思いきや、彼からすれば安物であろう紅茶も飲み干すし髪が崩れるのも構わず炬燵で寝る。……本当に掴み所がないというか読めない性格をしていると思う。

空になったティーカップをそっと片付けた少女はこのまま緋墨と二人っきりでいいのか若干迷ったが……現状維持を選択した。

あんな話の後なので落ち着かないが、下手に逃げ出したり誰かを呼んだりして刺激しない方が良いかもしれないと判断した。

睡眠の邪魔にならないよう、少女は控えめに炬燵に脚を入れた。

尚も緋墨は目覚めない。

彼が一体どんな仕事をしているのか定かじゃないが、よっぽど疲れているのだろう。……どんなに苦手意識を持っていても多忙らしい彼の束の間の休息の邪魔をするのは忍びない。

テレビなどはつけずに静かにしていよう。

それから緋墨が目覚めたのは、一時間後の事だった。

急に電源が入ったみたいに無言で上体を起こしたのでギョッとして、読んでいた小説の内容がいっきに頭から吹き飛んでしまった。

「お、はようございます」

寝ぼけているのかキョロキョロする彼と目が合い、反射的に言った。

「……なんだ、誰も呼ばなかったのかァ」

「?」

「俺が寝てる隙に、特別公務員の連中あたりにでも連絡するンじゃねェかと踏んでたが……」

「えっ……と……」

「……」

乱れた髪を後ろに撫で付けるようにかきあげ、緋墨は意外そうにしている。

てっきり目が覚めてもいつも通り飄々としていると思っていたので、そんな反応をされるとこちらも戸惑ってしまう。

特別公務員に連絡した方が緋墨も都合が良かったのだろうか?

何が何だか分からないが、この選択は間違いだったのか。

どちらかと言えば饒舌な緋墨が真顔で何かを考え込む事態に少女がビクビクしていると、また緋墨はいつもの調子に戻って「ははァ」と笑った。

「さては、やっとその気になったかァ」

「な、何が……ですか?」

「惜しいな、今日は本当に時間がねェからな。また今度、愉しもうぜ」

緋墨は上機嫌で宣言して洗面台に身なりを直しに行った。場所を教えてもいないのにやっぱり彼はこの家の間取りを把握しているようだ。

……緋墨が相手だと一つ一つの返答でさえ慎重になり過ぎてすぐに反応出来なかったが、これから仕事の緋墨を見送った後で、とんでもない事になりつつあるのではないかと時間差で少女は察した。

一体どうするのが正解だったのか……そもそも彼とまともに関わるべきではなかったという結論が最もしっくりくる。

それから緋墨を見かけても極力相手にしないように心掛けたが、彼の方からいくらでも近寄ってくるので結局どうしようもないのだった。

ちなみに、事情を知った紅雄は異常なくらい過保護になった。

××××

緋墨は実の妹と死ぬほど仲悪いです。妹も緋墨が大嫌いです。

妹は女版緋墨みたいな感じのエッチなお姉さんなので、同族嫌悪です。

顔を合わせると伏せ字必須なエグい下ネタで罵り合うので「紅雄の教育に悪いから止めろ!」と赫夜に怒られた。



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