05





 階段を上り、廊下を突き進んでいく。
「これ、どこに向かってるの?」
 キッタくんの部屋は二階だ。それなのにもう何階分のぼっているのか。そもそもこの建物は何階建てだったっけ? ……地下から上がってきたせいで上下感覚さえ曖昧だ。
 キッタくんは「ついてくればわかるよ」とぼくをちょっと振り返った。
 なんだか釈然としない答えだ。
 ホテルの中は迷路のように複雑に入り組んでいる。ぼくらはどのあたりを歩いているんだろう。たしかこのホテルはフロントを手前に置いて奥へ伸びるような「コ」の字型をしていたはずだ。コの字型の建物なら、どこかが窓になっていてもいい気がする。現にキッタくんの部屋の前の廊下は中庭に対してひらけていた。
 ぼくらが歩いている廊下は両側ともが部屋になっていて、息が詰まる。それに、高級そうな赤い色の絨毯はそれだけで落ち着かない。――調度の間からはこちらをうかがう小さな無数の赤い瞳が見える。ぼくは目をそらす。
 代わりにキッタくんの背中を見た。この人の足取りには迷いがない。たぶんどんな場面でも、この人は迷ったりしないんだろうな。どんな場面、どんな決断でも。そう考えると無性にうらやましく思えた。
 不意にキッタくんが肩越しにぼくを見た。

「初めてここに来たときのことを覚えているかい?」
「それって、オレが?」
「僕のことを見舞いに来てくれただろう?」
「ああ……うん」

 見舞いに。――そう、それがこのホテルに来た最初だったっけ。
 そういえばあのときもキッタくんは今みたいな黒い中国服を着ていたな。九月も頭、まだ暑いときだったのに。今と同じで、汗一つかかずにひょうひょうとしていたのを覚えている。ぼくは今だって階段の上り下りで玉の汗なのに。キッタくんときたら――いや、違うな。それは二回目、出直したときの話だ。たしか一回目あのときは、

「キッタくん、死にかけてたよね。熱は高いし顔色悪いしで。話しかけても全然反応しないし。横で見てて死ぬんじゃないかって思った」
「あのとき君が来てくれなかったら危うく死ぬところだった」
「大げさだなあ」
「大げさなんかじゃないよ」とキッタくんは目を細めた。「君はさながら命の恩人だ」
 たかだか風邪のお見舞いをしたくらいで恩人だなんて大げさだ。一人暮らしの病気は気が弱るっていうけど、よっぽど寂しかったんだろうか。
 変なの、と思いながら、キッタくんに従って角を曲がる。廊下の先が見えた。この先はどうやら行き止まりのようだ。

「ねえTくん、この町はおかしな町だと思わないか?」
 キッタくんは急に立ち止まると、ぼくにそんなことを訊いた。
「この月上ゲ町(ツキアゲチョウ)という町はさ、妙な町だ」
「そうかな。……別に、どこにでもある普通の町だと思うけど」
「君はここに住んでいるからそう思うだけだよ。あいにく、僕の目にはそうは映らない。たとえばほら、少し前に月祭りという祭りがあっただろう? みんなこぞって面をつけて町中歩いていた。あれはいったいどういう祭りなんだい? ずいぶん手の込んだ祭りのようだけど、外に対して宣伝している様子は見られない。町の内輪だけで行う、まるで秘祭のようだ」
 キッタくんはそう妙な剣幕でまくし立てる。
 ぼくは若干たじろぎながら、「たしかに変かも知れないけど、土地のお祭りだからさ、よそから来た人には変わってるように見えるだけじゃない?」
「祭りについてはそれでもいいさ。なら、電信柱やガードレールの足の部分に、紐が結わえてあるのはどうしてだい? 町中のいたるところに巻いてあるだろう。あの意味は? 誰がいつからなんの目的で巻いているんだ?」

 電信柱に紐? そんなの、あったか……?
 ぼくが首をかしげていると、キッタくんは質問をやめて、行き止まりのほうへと歩き始めた。ぼくは戸惑いながらもその背に続く。
「とても君の言うような『普通の町』とは思えないな」キッタくんがぽつりと呟いた。「現にこのホテルからして普通じゃない。僕はこのホテルに殺されるところだった」
「ホテルに殺される?」
 また妙な言い方だ。
「そうだ。君が来てくれなかったら死ぬところだった。――ああ、着いたよ。ここだ。この部屋だ」

 そう言って立ち止まったのは、廊下の端、一番突きあたりのドアの前だった。プレートには「3333」とある。ドア自体には別段変わったところはなく、ここまで通ってきた他の部屋のドアと同じように見える。
 キッタくんは中国服のポケットから鍵を取り出した。とてもホテルの鍵とは思えない、古く赤さびた鍵だ。それでも、差し込み、回すと、ドアの向こうで鍵の開く音がした。
「マスターキー。どんなドアでもたちどころにひらく、魔法の鍵さ」
 鍵をポケットに戻し、キッタくんがドアを開ける。

 中は――普通の部屋だ。
 ビジネスホテルとかによくありそうな、とことんシンプルな部屋。ベッドが一つに奥には小柄な机、あとはルームランプが立っているくらい。カーテンは閉まっていたが外の光がうっすら入ってきている。そのおかげで電気がなくても室内の様子がうかがえた。
「この部屋が、なに?」
 ぼくは正直、拍子抜けした。キッタくんがわざわざ「見せたいものがある」なんてもったいぶったことを言うから、なにがあるかと構えていたのに。

「別に、普通の部屋に見えるけど」
「そうだろうね。でも君はこの部屋に見覚えがあるはずだ」
 そう言って、キッタくんはベッドに腰かけた。ドアはまだ、外に向かって開かれたままだ。
「ほら、さっき話していたじゃないか」
 さっき話していた? さっき話していたことと言えば……。
「君は一度ならず二度、この部屋に来たことがある」
 ベッドに座るキッタくん、その光景にはたしかに見覚えがある。





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