帰って寝て、出勤するまで考えてみた。
何もなかったことにしよう。
今まで通り。
そう決めた。
「アカネさん、待ってましたよ!」
何となくモヤモヤした気持ちのまま出勤したオレに、すぐにアカネさんの指名が入った。
頻繁に店に来る彼女にしては少し間の空いた来店。
出来るだけ明るく、楽しませるように、いつも以上に気を張る。
アカネさんはQueen以外にも他の店に気に入ったホストがいるから、比べられないようにしないと。
「世莉、何かあったの?」
「え…?」
「今日の貴方、いつもと様子が違うようだから」
「い…いやいや、何言ってるんですか!アカネさんに会えて舞い上がってるだけですよ!」
アカネさんに言われるまで、本当に自覚がなかった。
オレは今、自分が思ってる以上に元気がないのかもしれない。
(やばい…)
今、少し混乱した。
アカネさんに悟られないようにすればするほど、出てくる言葉の中身がない事に気付く。
焦りだけが増す中、案の定アカネさんが延長する事はなかった…。
「次来た時は楽しませてね。また来るわ」
次来た時は楽しませてね…つまり、今日は楽しくなかったという事だ。
アカネさんはホストのプライベートに干渉しないし、お客だと分かってて遊び方を知ってる人。
それだけに楽しむ事に貪欲だ。
つまらなければ他を探すだけ。
当たり前の事だけど、気が引き締まる思いだった。
その日、オレに追い打ちをかけるような出来事がおきた。
「世莉さん。今日、時間ありますか?」
仕事上がりに声を掛けてきたのは、あの日から話をしていなかった京介だった。
気まずいと思う反面、酷い事を言った自覚があるだけに邪険にできなくて「ああ」とだけ口にして京介の誘いを受けた。
「いらっしゃいませ」
京介に連れてこられたのは、ピアノの生演奏が聞けるような静かなバー。
店員に案内された個室は、随分とロマンチックな場所で苦笑いが出た。
「何だよお前、いつもこんな所で飲んでんの?」
「たまにです、落ち着くので…」
今、少しだけ京介の表情が変わった気がした。
ほんのり照れくさそうな感じ。けど、それも気のせいかもしれないと思う程一瞬だ。
相変わらず読めない奴と思いながらメニューに手を伸ばすと、それを制すように京介の手が伸びてきた。
「ボトル、頼みましょうか」
酒を飲まなきゃ聞けない話でもする気なんだろうか?
疑問はあるが、この場は京介に任せる事にした。
「どうぞ」
綺麗に磨き上げられたグラスに赤い液体が注がれる。
ワインの事はよく分からないけど、多分値の張るものだ。
「いただきます…」
こういうの、何だ照れくさいしむず痒い。
京介は紳士的で、男のオレにするような態度じゃないような気がしながらクラスに口をつけた。
「ん、うまい…」
基本的にプライベートではビール派なオレでも美味しいと感じる。
満足そうに笑うオレに、京介が何かぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、世莉さんは赤が似合いますね…」
「はぁ?」
「いえ、こっちの事です」
何か今、物凄く気持ち悪い事言われたような気がしたけど気のせいだろうか。
(気のせい、気のせい…)
無かった事にしてワインを飲み続けるオレは、少し動揺してるような気がした。