/ファースト・デイ

/ファースト・デイ
 the evening

 家を案内して、黄瀬が菓子とお茶とジュースを出してきて、近況や世間話に花を咲かせて(主にさつきと黄瀬が)、そうこうしているうちに辺りも日が暮れかけていた。
 リビングの大きな一面窓の向こうで自由の女神が橙から夜闇に呑まれようとしている。
 サマーカーペットに転がって本を開いていた黄瀬とチビが立ち上がって、そろそろご飯にしよっか、とキッチンに消えていった。カーペットには、黄瀬の好きな写真家の写真集が忘れ置かれている。
 なにか手伝おうか、とソファから身を起こすさつきに、キッチンとリビングから同時に俺と黄瀬が「いい」と言う。寸分違わず揃った声に、さつきは随分不満そうだったが・・・こればっかりはな。
「もう意地悪。私だってずいぶん上達したんだからね!テツくんも最近は、美味しいですって笑ってくれるし」
 確かにちーとは上達してんだろうが、テツのそれはあれだ、半分は愛の賜物だ。お前のお陰で息子が随分な悪食になっちまった、って嘆いてたぞ。
 今も、台所から黄瀬の「あー!ダメダメ!オレガノそんなに要らないっス!」「チキンにピーナッツバターは使わないからね!?」「はい、そのヨーグルト仕舞ってくださーい」「タバスコとママレード、混ぜるな危険!」etc..etc.. 大丈夫か、おい。さつきは横で、なんか美味しそうだねー、だと。おおおぉぉぅ、がんばれ、黄瀬ぇ・・・・っ!
 一時間後、テーブルに並べられた料理は、見た目は、大丈夫そうだった。黄瀬の奴が妙にやつれている。うん、おつかれ。ほんとマジで。
 しかし見た目に安心してはならない。俺はテツからよくよく話を聞いているのだ、本当の勝負は、それを口にした後からだと・・・!
 俺はその時、どこかでゴングが鳴るのを確かに聞いた。

 NBAプレイオフ並みに気合いを入れて食した本日の晩飯は、黄瀬の死闘の賜物か、いつもの黄瀬の味だった。ふう、俺の嫁は常にデキル嫁だぜ。
 晩飯後、しばしリビングで休息して俺はさつきをホテルへ送る為に家を出た。さつきは明日の朝早くから三日間の研修に入る。通うには、ホテルのほうが色々と都合がいい。
 母親と離れるのを寂しがるかと思ったが、チビは意外と笑顔で、黄瀬とともにぶんぶん手を振って見送りしてくれた。
 ハマーに乗り込んで、エンジンをふかして夜道を発進する。すっかり日が暮れ、このあたりはもう静かなもんだが、マンハッタンの中心部は未だ明明と電飾を灯している。摩天楼、眠らない街、ビック・アップル、ゴッサム・シティ[衆愚の街] 。ここには様々な別名があり、そしてそのどれもが、この街を見事に指し表している。この街はごった煮の、チャンプルーだ。
「にぎやかな街ね」
「ああ、誰かが言うにゃ、ここは"世界一の街"だそうだからな。」
 そこで、俺たちは日々を過ごしている。生活を営んでいる。
 俺がいた"日本"、"故郷"を具現したような存在だ、さつきは。日本に居た間のほぼを共に過ごしてきた相手であるから。
 そんなさつきとこの街にいるというのは、なんだか少し変な気分にさせられる。年月でも、物理的な距離でも、あの頃からはずいぶん遠いところまで来たな、と感じる。俺たちはもう随分前に大人になり、それぞれ別の道へと進んでいるのだ。さつきやテツに至っては、ガキまで出来た。結婚し、新たな家庭を築いたのだ。
 そして俺は。俺たちは。
「黄瀬とNYで暮らし始めたばかりの頃、」
「うん?」
 あれは数年前の事だ。モデルで世界中を飛び回っていた黄瀬をひっ捕まえて、俺のいるここNYに根をおろさせた。
「引っ越しの段ボールを片付けてた時、ちょうど停電にかち合っちまって」
 NYの大規模停電は、もはや名物とも言える。
 年中明かりの消える事のない大都市は、その時ばかりは急な静けさに呑み込まれるのだ。高層ビルのどれもが沈黙し、道の電灯すらうんともすんとも言わない。
「ここがNYとは思えねぇようなまーっくらの街ん中で、光るのは車のヘッドライトだけ。それが、妙に綺麗でさ、」
 引っ越しの片付けなんてやめて、俺たちはドライブに出掛けた。俺の、その頃はまだシボレーのカマロだった車に乗り込んで。
 ドライブを続けていると、バーやレストランに、淡い光が点り出しているのに気付いた。未だ街は暗闇の中だ、人々はその淡い光に引き寄せられて集まり出している。そしてレストランでは、食事がはじめる。ああまたか、と困った停電に呆れて、そして仕方がない、と闇を肴にして飲むんだ。ぽつぽつと点った淡い光は、ろうそくだった。
 ここの人間は、世界一物も金も情報も溢れたこの街での生き方を知っている。そしてそれと同時に、なんにもねぇ闇夜の楽しみ方も、知っているんだ。
「捨てたもんじゃねぇのさ、この街も。」
 そう俺が言うと、さつきは薄く笑って、どこか安心したようにひとつ息を吐いた。
 そう、ここは大変な街だし、俺が身をおく世界も黄瀬が身をおく世界も、それはそれは過激なところだった。生き抜いていくだけのことが、こんなに大変なことだったなんて。かつては、知りもしなかった。
 けれど俺も黄瀬も、そんな常識はずれの世界でなかなか楽しくやっているし、苦労もあれど、ここから逃げ出したいなどとは欠片も思わない。これからもこうしてこの街で生き抜いていくための自信はすでに蓄えてあったし、それに。
「きーちゃんと、仲良くやってるみたいで、安心した。」
 それに何より、俺にもあいつにも、お互いが隣に居た。
 そんな俺たちにとっちゃ当然とも言える事実が、この心配性の幼馴染みを安心させたのならばそれはそれで良かった。ほんとうは、そんな心配おせっかいだぜ、とでも笑い飛ばそうかと思っていたが、少しだけ眦を濡らしてしまっているこいつに免じて、口は閉ざしておいた。
 窓の向こうで夜景が流れていく。100万ドルどころの騒ぎではない、それは圧倒的な、美しい夜景色だった。


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