/ファースト・デイ

/ファースト・デイ
 the daytime

 たしかに昨日(一昨日の午後はまるっきりベッドのなかで潰れた)の黄瀬は、別段散らかってもいない家を念入りに掃除してみたり、せっせと買い物に繰り出したりだとか、慌ただしくはしていた。ようやっとふたりともの仕事が落ち着いて、さあこれからいよいよ揃って休暇だ!て時になにせわしくしてやがんだ、と不満げに俺はそれを見ていた訳であるが、どうやらそういう事であったらしい。
 我が家にガキが一匹・・ああハイハイ睨むなテツ、ガキが一人やってくることがいつの間にやら決定していた事を、俺は今朝方知ったばかりだった。
 「そろそろ迎えにいかないと!」とあの件のポルシェのキーを手ににこやかにした黄瀬に、俺は素で「どこへ?」と聞いた。そしてそこから、どうやら俺が一昨日のベッドの上で黄瀬のヘソに夢中になりすぎて話をすっかり聞き逃していたらしいことがまるっと発覚したのだ。
 しんじらんねーー!と絶叫した黄瀬に、いやお前、あんなふにゃふにゃ声でそんな大事っぽいこと言ってるとは誰も思わねぇわ、と。言いたいが、ここは素直に謝っといた。いやべつに尻に敷かれてるわけじゃねーぞ。
 でも聞いて欲しい。一昨日のあの俺の弛まぬ努力によって、"性感帯・臍"の文字が黄瀬の項目に晴れて加わることになったのだ。その事と黄瀬の話をちょこっとだけ聞いていなかった事実と、どちらが重きことが。賢い皆さんなら分かってくれる筈だよな。

 JFKの到着ロビーの端にて、人波に辟易しながら突っ立って待っていた。上部の大型掲示板をふたりして見上げながら、俺が「どれだ?」と聞けば、黄瀬は目線を定めたまま掲示板の自分の視線の先を指差した。
「デルタ航空のー・・上から3番目のやつッスね。」
「あーてことはもう着陸はしてる頃か。」
「たぶんそーすねー。今出てきてんのが、多分一個前の便だと思うから、そろそろかな。」
 JFKの混雑ぶりは、なにも人波だけじゃない。滑走路の飛行機渋滞も大概のもんだ。たぶん今頃テツらは滑走路をノロノロ走行している途中であろう。
「お昼さーたぶん機内食出てないだろうから、どうしよっか?」
「空港で済ますか、それかどっか行くか。」
 いきなりだが、いくらアメリカと言っても2m近い身長のやつはそうゴロゴロいるもんではない。俺の周り・・つまりNBA内じゃ俺は特にとガタイのいいほうでもないんだが、それが一般にまで通用する訳では全くないのだ。しかも、自分で言うが俺は特にここニューヨーク周辺じゃなかなかの有名人だった。そりゃそうだ、地元NBAチームの主力選手だもんな。
 つまり、俺はひと所に長時間留まってしまうとなかなかに目立った。しかも、しかもだ、今日はその横に黄瀬のヤローもいる。サングラスひとつじゃ隠せようはずもないシャララっぷりを今日も見事に鱗粉の如く辺りにまき散らかしていやがる。これからテツやさつきやガキに会えるからだろうか、それもいつも以上に凄まじい気がするし。
 なにより、JFK国際空港という場所が悪かった。
 俺は、さり気ない感じを装って黄瀬越しの向こうへと視線を投げ掛ける。ああ、あるある。今日も今日とて馬鹿でけぇ。ショップの脇の壁にデデンと面いっぱい、香水の瓶片手のRyota Kiseの姿が。
「折角NY来たんだから、空港でご飯じゃ味気ないスよねー」
 本人は至って暢気。さっきからチラチラ周りから見られてんのに、気付いているのかいないのか。たぶん気付いてはいるんだろうが、もうそういう視線に長年晒され続けすぎて、麻痺してんだろうな。無意識下では気付いて察知していても、もはやそれが意識に登る事はない。あいつにとってそれはすでに些末で、そしてただの日常に他ならないのだ。
 学生時代、年中無休で女どもにキャーキャー言われて騒がれていたあいつに、俺はよくあんな煩そうな環境耐えられんな、と思っていたものだが、最近になってようやっと、その感覚の一端を俺も理解出来るようになってきていた。
 俺も現在、進行形で同じような状況にある。最初はずいぶん煩わしく思っていたもんだが、人間、どんなことにもいずれ慣れていく生き物なのだ。
 近隣の美味かった記憶のある飯屋をそれぞれ挙げていきながら時間を潰していると、到着口の混雑がまた増してくる。新しい便からの降機客だろう。テツらが乗っているのが恐らくこの便だ。
 壁に寄り掛けていた背を浮かせて、長身を活かして辺りを見回す。人混みのなかテツを探すのは無駄な努力であるから、探すのは幼馴染みの腐れ縁の方。
 黄瀬が、そわそわとサングラスを頭に上げる。髪の毛も一緒に流れて額が晒される。
 俺は、そのつるっと広めの額が大好物。黄瀬の身体んなかで大好物じゃねー部分はなんだっつったらまあねーんだが、兎に角、大好物な黄瀬の身体の中でもあの額の味わい深さは格別。少し広めで、あいつの童顔に拍車をかけている重要な要素。
 ヘンテコな髪ゴムで前髪を括って朝飯の用意をしているのを見たときなんか、起き抜けの俺のちんこはもう一発でオハヨウゴザイマースだから。あいつ馬鹿だからさ、未だに俺が朝突然発情し出す理由に思い至ってないわけ。だから懲りずにまた妙なポンポンとかクマの顔とか引っ付いた髪ゴムで額全開にしてきやがる。いやぁイタダキマスするしかねーだろこれは。
 俺と、あいつの、数センチだけの身長差で、抱き締め合うとちょうど俺の唇はあの額に当たるんだ。はふはふ空気を求めて必死に喘ぐあいつのピンクに染まった額を、俺ははぐはぐ食みながら愛してやる。こめかみにゆーっくりキスしてやると、あいつの血流を唇に感じる。そしてあいつが、蜂蜜を滲み出すようにとろとろとした声で、俺を呼ぶんだ、
「青峰っち!」
「っん?おーなんだ、キスか?」
「ちっげーよ!なにボッとしてんの!ほらー桃っち見付けたッスよー」
 ぷんぷん、といつかのままの仕草で唇をすこし尖らせて指差す先。見通してみるとたしかに、桃色の髪の毛があちらも元気に飛び跳ねながら人波越しに手を振ってきている。というか黄瀬、ぷんぷんって・・相変わらずのあざとイエローめ・・・。

「きーーちゃーん!」
「ももっちー!」
 黄瀬の変わらぬ可憐さに思い浸りながら、駆け出して抱き合う少女のようなはしゃぎぶりのふたりを見守る。黄瀬と同様、さつきも相変わらずのようだった。
 そこへ、
「変わらず君の頭の中はアホなことばかりのようですね。安心しました。」
「――ぅ、おっ?!」
 いつの間にやらぬっそりと、隣にいる黒子テツヤ。こいつも、相変わらずその影の薄さは変わっちゃいないようだ。この驚かされ方も些か懐かしい。
「はっ再会そうそう失礼な奴だな、お前は」
「余りにも分かり易く君の頭の中のピンク色が漏れ出ていたものですから、つい・・・そんな事より、お久しぶりです。」
 差し出される手を握り、シェイク。
「おー久しぶり。LAはどうだった?火神とも会ってきたんだろ。」
「ええ、お日柄にも恵まれて。良い観光が出来ました。」
「お日柄っても、あそこは年中晴れてっからなー」
「映画撮影の街ですからね。そちらはどうですか?」
「んー?普通にやってんぜ。黄瀬もあんなだし、俺も相変わらずこんなだしな。」
「ああ・・その言葉だけで、なんだか君達の生活を垣間見る気分ですね。」
 テツの呆れたような顔。あーあの目だ、あの目。中学の頃から俺や黄瀬によく向けられてきた、あの冷めた目。こんなもんにも妙な郷愁を誘われてしまって、思わず笑った。するとテツの奴も思わずと言ったように笑い、降参です、とジェスチャーするよう軽く両手を上げ、そして会えて嬉しいと英語で言った。それはまだ発音はいまいちで拙いものながら、テツの努力の見える一言だった。こいつはただ今英語勉強中の身なのだ。
 テツは現在物書きをしている。小説家だ。今回アメリカへ来たのは、半分は観光だが半分は仕事目的だった。次回作が、戦後直後の日本で日本人とアメリカ兵が起こしたコールドケース(未解決事件)が関わる、ミステリーだとかで・・舞台の半分はここNYだとか・・・なんとか。以前内容を説明されたが、俺にはちーと難しくてよく覚えてねぇ。
 とにかく、次回作の為のリサーチと、そしてテツの小説のひとつが英語翻訳される事が決まった為それの打ち合わせに、ついでに家族旅行をしにアメリカへ来ていた。
 すでに西海岸の名所をいくつか廻っており、NYは日程の折り返し地点だと聞いた。ここでテツの仕事と、そしてさつきの研修を終らせてから、次は東海岸を廻る。
 さつきの研修というのは、スポーツトレーナーとしてのものだ。さつきは現在日本のプロバスケットボールチームでチームトレーナーをしている。チームのオフ期間を利用して、本場アメリカNBAに勉強に来た。
 NBAもこの時期は一応オフシーズンなんだが、サマーリーグというものがちょうど開催されている時期でもある。サマーリーグはレギュラーシーズンではなかなか出番のない若手や、下部組織の選手達が経験を積む、NBA登竜門のような場だ。ドラフトで獲得したばかりの選手達の実力を試すいい機会でもある。そこへ数日間さつきはチームへ帯同させてもらい、こちらのバスケットを学ぶ。帯同するチームは俺の口利きもあり、俺が現在所属しているところだ。
 テツとそんな会話をしていると、ようやっと興奮を落ち着けたらしい前方の二人が振り返ってこちらに近付いてくる。黄瀬とさつきの白い頬は、ほのかに上気したままだった。
「大ちゃんもひさしぶり!元気してる?」
「おーゲンキゲンキ。」
 お座なりな返事にもう、と頬を膨らませるが、それもすぐに空気を抜いて自らの傍らに腕をやって屈む。
「ほら、ご挨拶は?大ちゃんだよ、覚えてるでしょ?」
 さつきのスカートの向こうからのぞく、小さな頭。ちょっと見ないうちにまたでかくなっている。
「・・おっきい」
「そうねーでもきーちゃんは平気でしょ?きーちゃんとそう変わらないのよ。」
「・・・くろい」
「ああ、それは・・仕方ないの。黒くっても別に怖くはないから、前会ったの覚えてない?」
「ううん。だいちゃん。バスケのせんしゅ。」
「そう!その大ちゃん。ほらこんにちは〜」
「こんにちは」
 俺からしちゃ、テツでも十分小さいし、さつきなんか輪をかけて小さい。そしてその存在は、俺の人生では見た事なかったくらい、驚くべき程小さな存在なんだ。はじめてこいつを見た時、触れた時。こいつはまだほんとうにバスケットボールほどもなかったように思う。そこから考えればずいぶん大きくなったものであるが・・・でも、それでもまだ、まだまだまだ小さかった。
「よう、久しぶりだな。チビ。」
「うん。」
 こいつは、なんでかこうやって俺と再会する度、さつきの影に隠れてはおずおずと様子を窺ってくる。黄瀬にはずいぶん懐いているくせに、俺にはまだ少し慣れないようだ。・・・んでだろうな。黒いからか、俺が黒いからか?
 俺たちの様子を見て笑っていたテツが、お約束のように纏わりつく黄瀬を引き剥がして息子を抱きかかえる。
「出ましょうか」
 促す背に従い、空港出口へ向かう。黄瀬は名残惜しそうにテツを見ていたが、その腕に子供がいることで諦めたようだ。そうだぞ、抱き着くなら俺にしとけ。
 黄瀬の肩を強引に引き寄せて歩きながら、駐車場へ先導する為に前に躍り出た。


prev next









人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -