It's a new LIFE.


 遠くから、呼ばれているような気がしていた。
 電話を切ってからずっと、絶えることなくずっと。
 どこから響いてくるのか分からないそれに、耳を塞ぐことも出来ずに踞っていた。
 抱えた膝に、頭を押し付けて。――ああ、この膝は、もうボロになってしまったんだ。あともう少し、あともう少しだけでもコートを躍動したら、すぐに劣化し出してしまう。
 そのことを自分はすで何度だって言い聞かせている。
 それでも割り切り難く、黄瀬がうずくまっているのは通い慣れたストバスコートだった。
 震える手のひらで未練がましくボールをついて、恐々ドリブルをする。駆けてはいけない、負荷をかけてはいけない、そうどうにか身体を押し留めながら、ボールの鼓動に慰めを求める。
 医者はこれ以上バスケを続ければ、終わりは必ず無様な姿を晒すことになってしまうと言った。けれど、今でも十分無様だと黄瀬は思った。だってこんなにも女々しく、コートに縋り付いている。
 力の入らない身体を抱き寄せて、隅で小さく、出来るだけ小さくなる。
 遠くから、呼ばれているような気がしていた。
 それはどこからだろう。なにからだろう。誰からだろう。――もう、自分を求める声なんてもの、あるとは思えないのだけれど。
 けれど、

「――――黄瀬ぇ!」

 けれど、その声は確かに轟いた。
 黄瀬の耳元まで、確かに空気を裂いてやってきた。息を呑んで顔をあげる。彼がこんな場所に居るわけもないと、分かっているはずなのに。
 しかし、視界の先の遠くに、あの姿がある。汗を吹いた逞しい四肢が、黄瀬に一生懸命になって駆け寄ってくる。
 信じられぬ光景に、黄瀬はなにかを拒絶するように立ち上がった。彼は青峰だった。
 今黄瀬の目の前にいるのは、あの青峰だった!

「なに、なにしてるの、青峰っち。なにしてるの!」

 彼がこの場にいるという事実に、裏返りそうなほどの叫びを黄瀬があげる。

「大会中でしょ!?こんなとこで、なにしてんだよ!」

 取り乱したように手を落ち着かなく上下させる黄瀬に青峰が歩み寄る。黄瀬と青峰の間を隔てていた最後の距離を一歩二歩と縮めて、ほんとうに間近にする。
 青峰が黄瀬の瞳を覗き込む。そのやさしい色が、黄瀬には苦しかった。その瞳には、お前に会いにきたんだ、と書かれていたから。

「ほんとに、なにしてんだよあんた!あんたまで、大会を棒にふるなよ、あんたは、バスケしてなくちゃ・・・っ」
「きせ」

 青峰を押し退けようとした黄瀬の腕を捕らえる。会っていなかった期間など、ひと月にも満たない。たった2・3週間程度だ。しかしそれでも、その手首がなんだか前より細くなったような気が青峰にはして、心がぎゅっと締め付けられる。
 ――なんでお前はそうなんだ、と今にも叫びたい。
 頼ってほしいんだ、と青峰は捕らえた腕を放さずにどうにか伝えようとする。引き寄せた身体、逸らそうとする顔に手をやって頬を撫ぜる。
「どういう意味だ?」
 お願いだから答えて欲しい。どうして連絡を寄越さなかった?どうして無視をした?どして大会に出ていない?”あんたまで”大会を棒にふるなって、"あんたまで"って、なんだ?
「きせ、こたえろよ、」
 青峰の問いに、黄瀬がぐしゃりと顔を歪ませた。

 ――――おれ、もう、あおみねっちといっしょにいられないんだ

 悲痛な、苦しみにまみれた声だった。


 視界の端に転がったバスケットボールがいやに存在を主張する。もうすでに暮れきった空のもとで、それは街灯の白々しい明かりを受けて濃い影を落としている。
「おれ、もうバスケ、出来ない」
 言いながら黄瀬は、膝から下の感覚が不確かになってゆく。
 さあ、っと青峰は血の気を下げていった。
 ふたりは今、ひとりでは立つこともままならない状態にいる。ふたりで寄り添ってはじめて、やっと立ち尽くすことが出来ていた。
 医者に申告された自身の状態を、黄瀬はほんの小さな声で紡いだ。
 青峰の腕を振り払おうとしていた黄瀬の手のひらが、宙で震えていた。
「どうして・・俺に言わなかった。」
 その手を包むように、青峰の固い手のひらが握りしめる。バスケットボールも軽々掴み上げる、大きな手の平。そのあたたかさが今は、震えて感覚のなくなった手では黄瀬には拾えなかった。
「だって、こわくて。」
 こわくて、弱々しくそう言うのに、怖いことなんかなにも、と青峰は首をふる。しかしそれに被せるように、黄瀬も首をふった。

「怖いよ!
 だって・・だってバスケを失くしたら、俺もう青峰っちに、挑む事もできない・・っ!」

 黄瀬が、ぎゅっと歪めた顔で叫んだ。その声は不安で、哀しみで、苦しみで、深く揺れ動いていた。弱々しさと激情が混じり合う、黄瀬の心の奥底の感情。
 青峰がこれまで聞くことが出来なかった、それは真実だった。

「い、いっしょに、駆ける事もできない、俺、俺もう、青峰っちに誇るものがなくなっちゃう・・っだから、だから怖くて!言えなくて!――がんじがらめなんだ・・・じわじわ、あの頃みたいに世界がモノクロになっていくようで。でも俺は、この場から逃げる事も出来ない。立ち向かう事も・・・・だって、俺はモデルも、捨てられないから。・・そんな中途半端な俺、俺、青峰っちに・・見せれな、「――っ馬鹿野郎!」

 黄瀬の混乱に陥った視界のなかで、青峰が言葉を遮るようにしてそう声を上げる。
 ・・・なんでお前はそうなんだ。お前はいつもそう、俺になんにも見せようとしねぇ。まるで、バスケ以外じゃ俺とどう接していいか分かんないみたいに。時折、ぜんぶ俺にかくそうとする――怒るように、青峰が眉を吊り上がらせて言う。

「馬鹿!ほんとお前、クソ野郎だな!分かれよ!なんだよ、これまで・・なんも伝わってきてなかったっていうのかよ!?」

 黄瀬の手を握る浅黒い肌に、ぎっと力が籠る。骨が軋むほどの力だった。ここにきてようやく、その痛みでもって、黄瀬は青峰と繋いでいるその手の平の感覚を取り戻す。
 視界が、ぐちゃぐちゃに乱れていた世界が、だんだんと取り戻されて行く。
 その先にはすぐ傍に、青峰がいる。真っ直ぐにこちらを見詰めた、深い青の色の瞳が。潤んで光をきらきら反射させた、そのただひとつの憧れが。

「バスケじゃなくたって、挑んでくりゃいいだろう!
 モデルでだってなんだって、お前にはそれが出来んだろ!
 誇れよ、俺にも。俺にも、お前って奴のぜんぶを誇れよ!俺は、黄瀬涼太のバスケに惚れたんじゃねえ、そんな狭量なもんじゃなくて、俺は "黄瀬涼太" を好きになったんだ!
 バスケも、モデルも、この手だって指だって脚だって、髪だって匂いだって声だって!
 ぜんぶ!・・・そんな俺に、お前が、お前自身が、バスケがねぇと一緒んいらんねえとか、言うなよ。おい、」

 冗談にしても・・きつい、
 獣のような叫びの最後に、そう、絞ぼり出すような僅かな声で言った青峰の瞳から、ふいに涙が一粒ころげ落ちる。
 まばたきを忘れたその瞳の淵で、いっぱいいっぱいに溜まったそれが。塞き止め切れずたった一粒だけ。

「 あお みね、っち。」
「くそっ・・なあ、伝わってなかったかよ?俺はこれでも下手なりに、伝えてきたつもりだったんだぜ。お前が、好きだってさあ」
 二粒目が零れてしまう前にと、黄瀬は無意識に近く首を振る。ううん、
「俺はお前のすべてが、好きになったんだって。」

「ううん、ううん!つたわって、伝わって、た!知ってた、俺知ってた・・っ」

 首をぶんぶんと振る。青峰を泣かせてしまうなんて。彼にこんな顔をさせてしまうなんて。
 黄瀬だって、知っていた。自分たちのあいだを繋ぐものがバスケだけじゃないことくらい。そんなこと、とうの昔に気付いていた。でも、けれど黄瀬はどうしようもなく臆病で。なかなかそれを信じてやることが出来なかった。そんなわだかまりが、心の奥底にいつでもあった。
 そんなだったから、黄瀬はこれまで無意識に近く、青峰に対してバスケ以外の部分の自分を誇ってこなかった。
 そう言えば表紙を飾った、特集を組まれた雑誌だって、性格的にいの一番に自慢してきそうな黄瀬が、青峰だけには、敢えて自分から見せて来ようとはしなかった。
 それが、青峰には、なんだか寂しいかった。それはたった数年前には抱くことのなかった感情だ。けれども、黄瀬との付き合いを長くしていくに連れて、その思いは表面へと浮かび上がって来た。
 黄瀬の傍にいたい。共に共有していきたい。バスケだけの話ではなくて。人生の話として。

「おれ、臆病で・・臆病で・・・ごめん、あおみねっち、ごめんね、」
「あやまらなくていい。もう、いいんだ。」

 震えた身体を抱き寄せ合う。ふたりの間でつっかかっていたものが取れてしまえば、あとから襲って来るのはもう、悲しみだけだった。
 ようやく心底から分かり合えたのに、もう、ふたりでバスケは出来ないのだ。
 青峰の瞳から二粒目の涙が落ちる。それは黄瀬の頬に流れ着いて、そして黄瀬の涙とともにコートへ落下した。
 今の心を形容する言葉が見付からない。敢えて言うなら、それは淋しさだろうか。
 せつない締め付けが、心を握った。それに負けないように、立っていられるように、ふたりは身を寄せる腕に力を込める。

「俺はお前に、思いを伝える事を惜しまないから。だから。」

「うん、いっしょにいる。ずっと、いる。
 青峰っちといっしょに駆けるし、挑むし、たとえ同しコートに立てなくたって、誇るよ。
 頑張ったら頑張った分だけ、あおみねっちに、その分の俺をぜんぶ見せるよ。」

「嗚呼、それでいいんだ。」



 その夜は黄瀬のアパートでふたりで寄り添って眠りにつき、青峰は翌日朝一の新幹線で名古屋へと戻っていった。
 青峰は、コンディション的には最悪だったろうこの日の試合でも、圧倒的な存在感を見せ付けて準決勝へと駒を進めた。
 そこからの試合は、もはや伝説だった。青峰は、確かにもう一段階ステージをあがった。それはきっと、これまで日本バスケ界が脚を踏み入れたことなかった領域だ。
 準決勝、黄瀬を欠いたなかでも死に物狂いの勢いで勝ち上がってきた海常を、桐皇は破った。インターハイが終った――その理由以上に、この場所にいないエースに最高を結果を届けられなかったことを悔しみ、チームメイト達は泣いた。
 その姿に、青峰は珍しく試合後相手チームのメンバーに歩み寄ると静かに伝えた。おれがあいつに届けるから、と。
 悔しさを、涙を押し留めきることはできなかったけれど、それでも、その青峰の言葉にメンバー達は頷いて、彼に託した。
 そして宣言通りに、青峰は鮮烈なインパクトでもってこの年の大会を締めくくった。
 夏が終わる。
 はやく帰って、あいつのもとへ帰って。そして、この結果を誇ろう。

 たとえばこれから、なにかを得る為に、なにかを求める為に、その過程で大きくつまずくとする。無様なコケ方をして、情けなく地に這いずるかもしれない。時には弱音を吐くかも、諦めてしまうこともあるかも。
 けどそれでも、そのすべてを、頑張った分の全部を、互いに誇ろう。
 ふたりで受け止めて、そうしてその後もいっしょに歩んでゆくのだ。ふたりならきっと、立てない場所などないから。





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It's a new dawn. It's a new day. It's a new life... ///♪"feeling good" Nina Simone
良い曲なのです。
タイトルの参考にさせて頂きました。

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