It's a new DAY.
 大会の途中だ。探せと言われても青峰にはそう時間的にも行動範囲的にも猶予はあまり与えられていない。
 会場から引き返し取り敢えず黄瀬の携帯に電話をかけた青峰だったが、幾度やっても応答はなかった。待機音が鳴ることもなく、すぐにアナウンスの女性の声が機械的に定型文を流す。
 電源を切っている。か、電波の届かないところに奴は居る。盛大に舌を打って知り合いの何人かにも電話を繋げて黄瀬の所在を尋ねたが、どれも色よくない。
 どうかしたのかと尋ねてくる相手に、いいんだ気にするな、とは言って返したが、訝し気にしていた友人たちを誤摩化せた自信はない。今頃黄瀬の応答の兆しのない携帯には、そんな友人たちの着信が着実に溜まっていっていることだろう。


 今年のインターハイの開催地は愛知だった。
 インターハイは、毎年東京で行なわれる事が決まっているウィンターカップと違い年によってその開催地が違う。これまでは気にしてこなかったこの事実を、青峰はこの時になってはじめて恨めしく思った。
 笠松が言う通り、黄瀬が本当に"ここにいない"のならば。可能性が高いのはつまり実家のある東京か一人暮らしのアパートのある神奈川なのだ。今青峰は、そこへすぐにも駆けつけられるほどの傍にはいなかった。その事がどうしようもなく歯痒く、じりじりと心を焼いていく。
 それでも、いくらの留守電を残そうと折り返しのない携帯電話をただ握っていても、大会は進んでいく。そして、桐皇高校は順当にトーナメントを勝ち進んでいた。
 そんなことを続けていた次の日だった。半ば諦めた気持ちで、再度携帯を取り上げる。数日前から折り返しのない、一方的なコールだけが履歴に残ったその名前をめげずに押して、待つ。珍しく、すぐにコールセンターには繋がらず軽快な待機音が鳴った。
 僅かな期待が頭をもたげてくる。繰り返される電子音の一拍一拍を、丁寧に耳に拾う。
 出ろ、出ろ、出ろ――、ただそれだけを願う。そして。

――プル、
「はい。」

 出た!青峰ははっと息を飲んで、久しぶりのその声を聞く。
 言葉を用意していなかった青峰は、数口惑って口を開閉させる。
 しかしその戸惑いを遮るように、黄瀬は続けた。
「マネージャー?なに、言い忘れでもあったスか?」
 黄瀬が、相手に気付いていない事に青峰は気付く。
 口振りから、先程までそのマネージャーと連絡でもとっていたのかもしれない。自分の電話は取らず人の電話には出るのかと、複雑な気持ちにならないでもなかったが、今はそれを幸いとして割り切って、胸の鼓動を落ち着けて息を吐く。

「 きせ。」

 今度は黄瀬が、電話の向こうではっと息を吸った。
 青峰は続けて、切るなよ、とまず相手を牽制する。数秒の沈黙があった後、黄瀬は観念したように、しかし往生際悪くも空元気を取り繕って答えた。

「どうしたんスかー!なんか用でもあった?」
「・・きせ、」
「ごめんね携帯なくしててさ!電話とれなかったっス〜」
「黄瀬、誤摩化すな!」

 誤摩化してなんか、と言った黄瀬の言葉は、隠し切れず、僅かに、震えていた。
 その震えに、なぜだか青峰までぶるりと身を凍らせる。傍に行きたい。すぐにでも駆け寄りたい。――今どこに居る、と問い掛けかけたとき、しかし黄瀬がそれを察知したように一足早く言葉を挟む。
「ごめんね、ほんと何もないんだよ!ほらほら、青峰っち大会中でしょ!話なら・・話なら、帰ってからしよ?ね?じゃあもう、」
 黄瀬の電話越しの動きに気付く。
「っ待て!きせ、」

「切るね。」
――プツ。

 虚しい電子音が繰り返される。心が吸い取られていくような、そんな単調な音だった。


 携帯を握りしめていた腕を力無く降ろす。力のこもらない手のひらに、携帯は滑り落ちかけた。耳から離した今もあの電子音が頭を揺さぶり続けているような気がする。
 嫌な予感がする、悪い予感がする。胸騒ぎがする。今なら、青峰はそう確かに言えた。
 頭を掻き乱されたままに鞄に手を突っ込む。中身を掻き回して、財布を引っ掴んだ。
 そして部屋を飛び出した。
 試合が終わり、宿舎に戻って来ていた青峰はカーペットの敷き詰められた廊下を駆け抜けてロビーに向かう。チームメイト達は今食堂に集まって夕食を食べている頃だろう。その喧騒を、ロビーの奥の大広間から漏れ聞きながらそれを素通りする。
 心を急かす気持ちに逆らわずに、走るように自動ドアを通り抜けた。辺りはもう、日が暮れだしていた。夏も盛りを迎え、日の長い日が続いている。それでも矢張り、当然のように夜やってくる。

「大ちゃん?」

 ふいに背後から声がかかる。幼馴染みのその声に、青峰も急いていた脚を止めて振り返る。

「なにしてるの?ご飯だよ。今呼びに行こうと思ってたんだけど・・」
「・・・さつき、」

 青峰の余裕のない顔に、桃井も驚いたような顔をして窺うように見詰めてくる。
 それに、青峰は苦しそうな顔で返す。「悪い」、それだけ零して。
 え?と戸惑いを見せたあと、桃井は目敏く、青峰の手に握りしめられた携帯電話を見付けた。ここ数日、暇さえあれば手にしていたその携帯電話。ここでそれが意味することを聡い桃井はすぐに悟った。

「きーちゃんから連絡あったの?」

 なんて!?と目を見開かせて駆け寄る桃井を、落ち着かせるように青峰は、なにも、と言って立ち止まらせる。
 黄瀬は、なにも確たる事は言わなかった。ただ、なにもないとだけ言った。しかしそれを、青峰は信じられなかった。
 もう一度、桃井に「悪い」と呟いた青峰は、行かねえと、とひと際強く手元の携帯電話を握って言う。

「行かねぇと。」

 ――桃井は、青峰の強く光った瞳に気圧されながら、静かに頷いた。
 もう、"でも"とも"けれど"とも青峰に対して言えなかった。今にも駆け出しそうな落ち着かない脚を許すように、桃井は叫ぶ。
 走り出した、男の大きな背中へ届くように力強く。

「行ってきて――はしって、走って大ちゃん!
 会いにいって!!」






 最初の違和感は、まだ春のこと。
 数週間後に迫ったショーに向け、ウォーキングのレッスンをしていた時だった。
 なんか今日歩き方バランス悪いね、と言われた。
 そんな自覚のなかった俺はびっくりしてしまって、素っ頓狂な返事を返した覚えがある。けれど言われてみれば鏡越しの自分は、些細な違いだけれども確かにどことなくぎこちないウォーキングをしていて。しかしその時は、ちょうど腿に残っていた筋肉痛もあったしそれの所為だろうと、安易に解釈してレッスンを続けた。次の日も変わらず、部活に顔を出した。
 それからは特に変わらぬ日々を過ごしていた。ウォーキングレッスンも、気を配っていればあのような注意を再び受けることもなかった。
 すぐに、インターハイの地区予選がはじまった。
 地区を勝ち上がると次は県での予選。神奈川は高校バスケでは激戦区と呼ばれるところだけど、海常高校がその予選を落としたことはここ何年と久しく無い。そのプライドにかけても、負けられない試合が続いた。自分も最終学年として、このチームのエースとして、少しのことで立ち止まっている暇はなかった――――準々決勝、接触プレーにて派手な転倒をした俺は第4Qを途中で抜けるとベンチについた。具体的な痛みや、不調があったわけではなかったが、監督には大事をとる、と告げて交代カードを切ってもらった。
 どうにも、嫌な予感がしていた。違和感が、脚に、渦巻いていた。
 その試合の後、贔屓にしている近くの個人病院に行った。
 難しい顔をした先生が、ここでは詳しいことまで見切れないから、大病院に一度行った方がいいと勧める。そのときの、胸の張り裂けそうな沈黙を覚えている。
 白く蛍光灯の乱反射した、清潔すぎる診断室。リノリウムの床。合成皮の寝台。なにも、確たるものはないまま。しかし、確実になにかが自分の背後から忍び寄って来ているのを予感していた。俺は、すぐにでも、と言う先生の言葉を無視して、翌日からの試合も戦った。
 県を優勝で飾った海常高校は、インターハイ出場を決めた。

 夏休みに入ってすぐ、海常高校バスケットボール部は恒例の夏合宿にはいる。
 今年も湘南で行なわれるその合宿に俺は初日、少しばかり遅れて合流した。私服で現れた俺を、合宿2日目の練習試合相手として前日からやってきていたOBの先輩らがどつく。
 そこで俺は、この合宿には参加出来ないことを伝えた。
 ぽかんとした顔で一時黙ったチームメイト、先輩らを見て、俺は苦笑いをした。
 人生で、一番深く、頭を下げた。
 インターハイには出られない。俺はもう、バスケを続けられない。ごめんなさい、と。
 俺は、自分がチームに欠かす事出来ない大きな戦力でることを知っていた。自分が替えのきかないエースであることを、自負していた。自分がなにより、このチームを引っ張っていくべきだった。でも、それがもう、出来ない。
 大きな体育館から音が消えて、夏の、熱い頃の筈なのに、なぜが肌寒くなって震える。
 声の出ないチームメイトが、先輩達が、それでも、頭をあげられない俺の背を、皆で摩ってくれた。何人もの何人もの涙で、ワックスの良く効いたピカピカのコートに、水溜まりが出来た。
 その後、少しだけみんなとゲームをして、そして俺は、合宿所を後にした。



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