It's a new DAWN.


 いっそ、完膚なきまでに壊れて欲しかった。
 もうこれ以上なにがあっても無理です、君の脚は粉々です――いっそ、そのくらい酷い言葉を言って欲しかった。
 こんな生温い言葉を突き付けられるくらいなら、いっそ、いっそ、一縷の希望も残さないくらい、絶望したかった・・・・でも、それさえも、出来なくて。単純に悲嘆に暮れるだけのことも許されなかった。
 すべてが曖昧のなか。曖昧のなかことは進み、そうして俺は、その夏バスケをやめた。





 八月、高校バスケット界の三大タイトルのひとつであるインターハイ会場にて、青峰は今日幾度目か、ぐるりと周囲に視線を回した。

「どうしたの?大ちゃん」

 隣から幼馴染みが首を曲げるようにして見上げ尋ねてくる。すっかりその呼び方は昔に戻り、ふたりの間の雰囲気も穏やかなものだ。
 一昨年のウインターカップ以降、青峰と桃井・・そしてその周囲との関係は、改善の一途にある。そこには大きく、青峰の心境の変化というものも関係しているが、理由はそれだけではない。
 若く瑞々しい彼らの心は、身体と同じように劇的な成長期に今あるのだ。多感な時期故にこれまでのようにすれ違いを起こすことも多いが、またその反対に、大人になってからではなかなか得られないような貴重な関係を結ぶことも出来る。
 綱渡りのようにあやうく、しかしだからこそ今にしかない輝き、そして暗闇。その暗闇とて、時が立てばいつか人生においてとても大切なものだったと、思う時がきっと来るだろう。
 そんな、追い詰められたような険しさのなくなって久しい青峰の顔が、今は怪訝そうに顰められている。
 会場入りしてからしばらく、こうして事ある毎に青峰は首を回しているのだが、その目的の人物を見付ける事が出来ないでいるのだ。
 いつもならば、相手は必要以上に目立つ人物故にこのような大きな会場でもそう経たず姿を発見する事が出来る。それが今回ばかりは、開会式の整列時にも、観客席にも、あまつさえ相手の高校の一群の中にも見付けられないでいた。
 青峰は桃井の問いにしばし沈黙で返すと、低い声でその事を告げた。
 端的に、

「黄瀬がいねぇ」

 桃井は、それに対して、こんな大きな会場内でそう簡単に見付けられる訳ないじゃない――などとは、言わない。桃井は、青峰がたとえどんな場所であろうと簡単にあの金色頭を見付けてみせることを知っている。
 青峰に続き桃井まで難しそうな顔になって周囲を見渡す。桃井の場合、周りが高身長のバスケットマンばかりであるから、碌に遠くまでは見渡せなかったが、それでも、青峰のどことなく焦燥とした様子に煽られたように、爪先立ちをしてあの目立つ金色を探した。

「いないね・・・でも、仕事とかで遅れて来るのかもしれないし、ね?」
「ああ、そうだな・・けどなんか、」

 その先を青峰は続けなかった。
 胸騒ぎがするとか、悪い予感がするとか、そこまではっきりとしたものが青峰のなかにある訳ではなかったからだ。矢鱈にそんなことを言って幼馴染みを不安がらせるのも良くない。
 ただなんとなく、据わりの悪い心地がするだけだ。もしかしたらそれは恋人が傍にいないのが落ち着かないとかいう、そんな甘ったれて恥ずかしいものが正体なのかもしれず、とにかく青峰は明言を避けて口をまんじりと閉ざした。

 昨年のインターハイを優勝で飾り、今大会のシード圏を獲得している桐皇高校の第一試合は今日ではなく明日の午後となっている。開会式後に順次一回戦の試合が行なわれる初日には、青峰の出番はない。
 第一会場にてこの夏のインターハイの初戦を飾る第一試合を観戦し終えた後、黒のジャージの軍団は観客席から立ち上がると、二回戦で対戦の可能性のある高校の試合を視察に第二会場へ向かう為、その場を後にした。


 大会2日目。第二会場にて、盤石な勝利でもってまず初戦を勝ち抜いた桐皇高校の面々は、その後の他校の試合は視察する事なく、宿舎に戻る算段でいた。
 試合の疲れを残さない為に、この後は軽いクールダウンやフィジカルコントロールのメニューをこなして、そのまま夕食まで自由時間となる。
 ロッカーを引き上げる準備を進めていた青峰の漁る鞄の底で、ふいにバイブレーションの音がする。

「あ?んだ、珍しいな・・・」

 突然のフォンコールに青峰はガサゴソと鞄の底から携帯を取り出すと、その液晶に示された名に眉を跳ね上げさせる。
 訝し気に出た着信の先には、特徴的な語尾の元チームメイトがいる。緑間だ。
「なんか用か。は?黄瀬ぇ?・・俺が知るわけねぇだろ、」
 挨拶もそこそこに、緑間が低めた声で尋ねて来たのに、青峰はなんでもない風を努めながら、しかし今この時、その名前が電話相手から齎された事に、少しばかりの動揺を感じる。
 しかも、その動揺をただの杞憂だと笑い飛ばすには、些か緑間の声は真剣が過ぎた。

「・・いない?なんだそれどういう事だよ。」

 ――いない。そんな筈はないのだ。桐皇高校と同様にシードを獲得している海常高校の初戦は本日午後からの予定で、ロッカールームの時計を見上げた青峰の記憶が正しければ、今まさに試合の真っ最中のはずだった。そしてそれは正しく、緑間は今、第一会場の観客席にて、海常高校の試合のインターバル中に電話をとっているのだと言う。
 チームの欠かせないエースプレイヤーであるはずの黄瀬が、その場にいないなどという事はありえないはずだ。初戦であるから黄瀬をベンチに温存でもしているのではないか、という青峰の指摘にも、緑間は否定の言でもって答える。
 試合は、追い越し追い越されの激戦であるらしい。そこに未だに黄瀬を投入しないのは、いくらなんでも失策が過ぎる。これまで幾度も緑間を、そして青峰を苦しめ、そして遂には昨年のウインターカップで全国制覇を成し遂げた海常高校の監督が、そのような愚行を犯す筈もない。
 緑間は、ベンチにすら影を見せぬあの金髪のことを思って、言い様のない焦燥に刈られ青峰のもとへ電話を寄越したのだという。
 滅多に電話など交わさぬ相手である、ということが輪をかけて青峰に心配を寄越した。

「――これからそっちに行く。なんか分かったら、お前にも連絡するわ。」

 なんだか、昨日から続くこの妙な違和感が、据わりの悪さが、どんどんと周囲に広がっていっているような気がする。
 青峰の様子を傍で窺っていた桃井が、昨日と変わらぬ瞳で不安そうに見上げてくる。皆とともに宿舎には戻らずこのまま第一会場の方へ行く事を目線で問うた青峰に、桃井も一も二もなく頷く。「――私にも、」それだけ言った彼女に、何か分かればそちらにもちゃんと連絡をすることを了承して、青峰はロッカールームを飛び出した。


 青峰が会場にたどり着いた頃には、既に海常高校の試合も終了していた。次の試合がコートではすでにスタートしている。
 選手関係者用のゲートへ向かいながら、逸る脚を抑える。なんだか、胸のなかの気持ち悪さが加速しているような気がした。はやくこんな、胸糞悪さ、振り払ってしまいたかった。
 海常の控え室をさっさと見付けて、そしてその中でなんにも知らず笑っている黄瀬に、紛らわしい事してんじゃねぇと、怒鳴りつけてやるのだ。それで事はすべて一件落着。緑間にも、桃井にも、あいつのいつものそそっかしさの所為で何にも不安がる事はなかったのだと、そう報告してやればいい。それで、いいはずなのだ。
 長い脚を前後させて大きなストロークでリノリウムの廊下を行く。
 ふいに前後から、ふたり連れ立った男たちがやってくるのに気付く。どこか見覚えのある顔。記憶を探る青峰に、相手もこちらに気が付いて脚を止めた。
「青峰・・」
 背の低い方がそう声をあげて、青峰もようようその顔と名前を思い出した。黄瀬が、うるさく何度も吼えていた名前だ。たしか、笠松。もうひとりは分からない、ただ自分たちが高校1年だった頃に3年だった選手のひとりだとは覚えている。
 小さく目礼のようなことをした青峰に、笠松が何事か迷うようにして口を開く。しかし結局何も言わぬまま閉ざしてしまった事に、青峰は小さな苛立ちを感じつつも首を傾げる。先を促しているのだ。
 それに答えたのは名前を覚えていない方の男で、男は「黄瀬か?」とだけ尋ねると青峰を真っ直ぐに見詰めてきた。

「ああ。」

 ふたりは、青峰が何故ここに居るのかという理由を悟っているらしい。そしてこの様子では、黄瀬がここに居ない理由をも知っているようだった。
 ロッカーか、とそれだけ言って青峰はふたりをよけて廊下の先の控え室へと行こうとする。
 しかしそれを男が止める。引き止めるその腕に、眉間の皺を凶悪に深くした青峰が睨み下げる。振り払おうとするが、より一層の力が籠り男は青峰の腕の自由を奪った。
 これにはとうとう怒声をあげようとした青峰より一瞬先に、笠松が一言「森山、」と男の名前らしいそれを呼んで諌める。
 ゆっくりと、森山は腕を放した。その顔には、とても苦々しい色が広がっていた。それと同じような顔をした笠松が、青峰を見詰めて静かに言ってきた。
「悪いが、今ロッカームールに行くのはやめてもらいたい。」
 重く強かな言。それに反抗するように青峰は目を細めて返した。そんなこと俺には関係ない、そう言っている。
 しかし、それを否定するように笠松は首を横に一振りして、青峰の目当てがそのロッカールームにはいないのだという。黄瀬は、ここにはいないのだと。

「ロッカーに行っても黄瀬には会えない。あいつは、ここにはいない。」
「・・・どういうこった。」
「こんなところであいつを探していても、もう、見付ける事なんか出来ないんだ。」
「どういうことだ!」

 黄瀬が懐いた、笠松の強く真っ直ぐな眼差し。それを正面から見返していると、ああたしかに、黄瀬の好きそうな、純粋そうな匂いがした。
 黄瀬は、あいつは、ひとの心の奥に眠った、とても真っ直ぐな部分を嗅ぎ分けるのを得意としていた。ずいぶん捻くれている自覚のある青峰にも、黄瀬は、青峰っちはいつもまっすぐだねと、いつだってピュアだねと、そうして笑った。
 青峰には、そうやって笑う黄瀬の笑顔のほうが、ずっとずっと得難い純真さをもっているように思えた。しかし黄瀬自身はそれを否定する。
 ”ここじゃなくて”、そう続けた笠松は、青峰に突き刺さるような瞳で、黄瀬を探してやれ、そう言った。


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