MIRROR-NEURON |
 桐皇署に捜査本部が立ち上がってからも、捜査は特に大きな進展をみせてはくれなかった。
 事件のあまりの残虐性から、情報は出来るだけ規制していたのだが、マスコミもこの事件が尋常なものではない事にはすでに気付き始めている。連日ワイドショーを賑わせては、そうして決まって警察の情報規制や犯人逮捕の気配がない事に、批判的なコメントを出す。
 警察のイメージやなんやを気にするお偉方のほうはヤキモキしていることであろうが、下っ端の刑事達にとっては批判される事も言いがかりをつけられる事も、すでに慣れっこのことであった。そのような事を気にしている暇があったなら、少しでも捜査を進める。まったく合理的な意見だ。
 捜査状況が思わしくない大きな理由に、やはり事件当夜の雨があった。あの雨が現場に残っていたかもしれない多くの証拠たちのなにもかもを流してしまっていたのだ。
 被害者の身元は既に割れており、まずは怨恨の線で人間関係から洗いざらい調べ上げたのだが、そこからも碌な収穫はなかった。
 被害者、木内諭39歳。既婚、息子一人。3年前勤めていた製薬会社をリストラされてから、以降無職。現在は月に一,二度日雇い労働に出掛けるだけで収入は看護士の妻に頼り切り。見兼ねた両親からも金銭的支援を受けていたが、その金はパチンコ・風俗・酒に全てつぎ込んでおり、妻は離婚を弁護士に相談中であった。
 まず第一に容疑者として浮上したのは木内の妻であったが、妻はその日ちょうど当直で警察から連絡の入る朝方まで病院に勤務していた事が大勢に確認されている。地理的にも現場からは相当離れており犯行は不可能。妻が他人に依頼して、というパターンも、彼女のクレジット記録やパソコン履歴、携帯履歴等から無しと判断された。
 第二に容疑者として浮かんできたのは、3年前木内がリストラされる要因となった件に関わった人物で、木内とその男は相当にいがみ合っていたと言う証言が製薬会社社員から複数取れていた。しかし、木内と同時期に会社を辞職していた男は、木内とは違いその半年後には別の会社に再就職、現在は中国の支店に海外赴任中であった。
 その他にも、木内のパチンコ仲間や飲み仲間、通っていた風俗店関係に故郷の知り合い等出来る限りを捜査したが、どこにも怪しい点はなかった。
 木内は、周囲に決して好かれてはいなかったが、殺したいほど恨まれていた訳でもなく、そして多くにとってそう深い関係を結ぶ相手ではない、寂しい男であった。
 数少ない証拠を科捜は知恵を絞って調べ尽くしたが、そこからもなかなか新情報は出て来ず、そして目撃者の類いも見付からなかった。現場周辺は凄まじい騒音として有名であるし、日が暮れれば街灯が極端に少ない事もあり夜の人通りなど皆無に等しい。あの道からもう一本入れば、もっとちゃんと街灯やガードレールがしっかりした道があるのだ。大抵の者はそっちを通った。
 凶器に使われた刃物の種類等は判明したが、それもどれも一般に流通した大量生産品で、特定は難しい。
 判明したのは、木内諭が"如何にして死んだか"ばかりだ。それは、死体があれば教えてくれる。そして大抵はどのような死に方をしたのかが分かれば自ずと犯人も見えてくるものなのだが、今回ばかりは、"誰が殺ったか"だけがどうしても出て来ない。
 刑事達の泊まり込みも、一週間を迎えようとしていた。
 黒子が突然ある事を言い出したのは、そんな頃であった。


「探偵事務所?」
「はい。」
 今朝の捜査会議終了後、急に黒子から今日は聞き込みではなくまず向かいたい所があります、と言われた時、青峰はよく考えぬままに軽く「おーいいぞー。」と頷いていた。そして現在、その"向かいたい所"へ行く車中にて青峰は行き先を聞いて、盛大に"胡散臭そう"な顔をしていた。
「探偵ぇ?なんの為に?」
 たしか事件関連で今のところ分かっているなかに、探偵事務所なるものが関わっているなどという情報はなかったはずだ。
 しかし刑事が、そういった理由なしに探偵所を尋ねる理由とはなんだ。まさか相談にでも行くんじゃねぇだろうな、と青峰は冗談半分で言った。
「まあ、その通りですね。そこの所長に、事件の事を相談に。」
「はあ!?まじかよ、俺ジョーダンで言ったんだけど!」
「ええまあ、それが極自然な反応ですね・・・」
 ちょっとばかし遠い目をした黒子は、溜め息を吐きながらこのようなことになった顛末を話し出した。それは至極簡単な理由からだった。曰く上司命令である、と。
「上司?誰だそれ。」
「赤司警視です。なんでも警視の大学でのお知り合いらしくって。」
「本部長のねぇ・・って、大学っつたら東大じゃねぇか!」
「いえ、留学先のケンブリッジのだそうです。」
「あ、そ・・・」
 抜かりない安全運転で真っ直ぐ前を向いたまま言う黒子の顔も、なんとも言えぬものである。因に青峰も黒子も、ふたりとも立派なノンキャリ組である。ついでに言うと、黒子は大卒ではあるので青峰と同年生まれでも同期生ではない。
「・・・で?本部長がそいつに相談してこいって?」
「そういう事です。」
「刑事が探偵に相談って・・・ナイだろ。ナイナイ。っていうか一般人に捜査資料見せれーし!黒子、お前は会ったことあんの?」
「うーん・・一度、ちらっとお会いした程度ですね。以前本庁で大きな捜査本部が立ち上がった時に、赤司警視の部屋前ですれ違いました。その時に自己紹介をしたくらいです。」
 ゆるやかなハンドリングでT字路を曲がった。長く国道を直進して来たが、ここから先は大きな河になるので進む事は出来ない。右折して、青峰は助手席からその濁った河川を見下ろした。近頃の雨で、水位は随分上がっているようだった。
「じゃあその事件のときも、本部長はそいつに相談してたって訳か?」
「はい、そう聞きました。確かに事件はその後三日と経たず解決したのですが・・」
「それがそいつのお陰かどうかは、」
「その通りです。本当のところは分かりません。が、その翌日の捜査会議にて、急に新証拠があがって解決にぐっと一歩近付いた事は事実です。」
「・・・・」
 青峰の胡散臭そうな顔は変わらぬままだ。しかし少しばかり、興味を誘われたような顔でもそれはあった。黒子もどこか難し気な顔で、チラと青峰の腿に乗った捜査資料ファイルを見下ろす。そのファイルの中には、この事件に関するすべてが、分かり易く整理されて収まっている。これはもちろん、警察外には門外不出のはずの資料である。
 今朝、出勤した黒子を呼び出してこの事を告げた上司の顔を思い出す。その顔にはこの捜査資料を"一般人"に見せる事への抵抗とか罪悪感とか、そんなものは一切見られなかった。なんとなく、楽しそうな――期待したような瞳ですらあった。
 赤司とは数年の付き合いになる黒子だが、そのようにして輝く瞳を見た事は数年の間でもたった数度きりだった。そしてそれは、どの時も仲間内に向けられてきた。それが、外部の――あの探偵へと向けられたという事。その事実は、黒子を少なからず困惑させた。まるで、まるであの探偵を"仲間"だと言っているようだと――――あの、探偵を。
 黒子は、警視庁の廊下ですれ違ったその姿を思い出す。思えば、探偵は今助手席に座る青峰くらいには背が高かった。スマートな身のこなし、シャレた着こなしのスーツ。一見して警察関係者ではないと分かるその軟派な雰囲気に、黒子は正直あまりいい印象を持たなかったのだった。しかしそんな事はいつもの得意のポーカーフェイスで隠して自己紹介をした。けれど、探偵は、何も言わなかったが確かに、黒子のその繕いを見抜いていた。そしてその"見抜いている"という事実を、敢えて黒子にも教えた。握手をして少し寄った顔で、態とらしくこちらに背を合わせるように屈んで、黒子の瞳をしっかりと見て。その透いた瞳はすべてを知っているとでも言うように傲慢に、貪欲に、そして嘲笑ったのだ・・・・そこまでいくと、さすがにそれは黒子の被害妄想だろうが、しかし黒子はあの時たしかにそう感じた。そして、黒子がそう感じた事をも探偵はまた、了解していた。
 そのような事があって、黒子が探偵にいい印象を持っていようはずもない。赤司が、何故わざわざこの役を黒子に託したのかも分からない。正直を言えば、少々不満でもある。相談したいなら、前回の事件の時のように警視の部屋に直々に呼び出して聞けばいいものを。
 河川沿いに暫し行った後、寂れた低い建物達が建ち並ぶなかに、ぴょんとひとつ背の高い建物が現れる。高いと言っても五階建ての、昭和チックな古い建物だった。目的地である。
「青峰くん。」
 最近やっと定着してきたその呼び名で呼ぶと、助手席の青峰が頷くように一度黒子を振り向いた。
「ここか。」
「はい。」
 河川沿いの道から細い路地へと曲がれる道の、ちょうど角にそれは建っている。
 外から見る分にはどこの階にも人の気配がないように思えるが、聞いたところによれば全階売却済である。そしてあの探偵事務所はここの最上階、五階ワンフロアを根城にしている。
 上部にステンドグラスのようにカラフルな磨りガラスを嵌めた重いドアを潜って、建物内に入る。薄暗いそのなかは、入って直ぐに階段を上へ伸ばしていた。木製の、しかし不思議に音のならぬ階段である。一階分階段を上りきったら、目の前に扉。もう一階分階段を昇りきったら、また目の前に扉。この建物には、廊下なんてなくて階段と扉の先の部屋のみで構成されているようだ。そうした事を繰り返して、最上階までを黒子と青峰は黙ったままに上った。上るに連れて階段は明るさを増していっていた。そしてそれの理由は、最上階にあがるとともに判明した。
 最上階。つまり五階。階段部分の天井は、一面ガラスで出来ていた。見上げると、今日も曇り空が広がっている。ここ最近の雨量を考えると、雨を垂らしていないだげマシな方なのかもしれぬ。しかしそれにしても一向に晴れぬ空模様である。
 見上げていた顔を降ろしふたりはさて、とばかりに正面に向き合う。これまでの階通り階段を上りきってすぐに木製のひとつの扉があった。扉の上部には建物入り口の時のようにカラフルなステンドグラスが使われていた。しかしここでは磨りガラスではなく透明である。磨りガラスになっているのは扉の中程に大きく使われているガラスの方で、そちらは透明度などなく、触ればきっとザラザラしている類いだ。そのガラスに、今日の青峰と黒子の尋ね先の名前があった。
 海常探偵事務所。
 旧字体の明朝体レタリングで、どこかレトロ感漂う風情だった。
 呼び鈴やらもないし、取り敢えずノックだけはして扉を押し開く。
「こんにちは、連絡申し上げていた黒子ですが――」


 外観のレトロな造りに見合い、内観も相応に古めかしいつくりだった。ただ埃クサさはなく、どちらかと言うとアンティーク調で、しかしそこまで凝りすぎてもいないし厭味でもない。ジンプルで落ち着いた内装だ――が、よくよく見ていけば何故か骨格標本の胸骨の部分だけ置いてあったり隅にはイーゼルが数個立て掛けられていたりする。探偵事務所に絵描きの道具がある意味が分からないが、取り敢えず今はここの主を探そうと、黒子は今一度室内に声をかけた。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか。」
 すると、僅かの物音が壁越しに聞こえた。ちょうど建物の中心を貫くように階段があり、各階はそれをぐるりと囲むようにして部屋を広げているようだった。扉を開いて入ったら、振り向くような形で縦長く事務所スペースが広がっていて、そして入り口から直ぐ続く左手の壁に、ひとつ扉がついている。物音はそこからだった。
 どうやら在宅なようだと、扉を見詰め待つ体勢に入ると、すぐにそこはガチャリと開けられた。まず扉から顔を出したのは、人物ではなく積み上げられた書物達の角だった。

「はいはぁ〜い。ちょっと待って下さいっスねー」

 そしてそんな書物達を抱えて、ひとりの男が現れる。塞がった両手の所為で、肘で扉を締めながらそう言った男は、眩しい金髪をした、それは派手な男だった。
 こんな辺鄙なところの、こんな古めかしい建物内からそんな男が出てくるとは思ってもみなかった青峰は、一瞬目を見張ってしまう。それくらいには、なかなか見ないレベルで端正な容姿だった。
 男は背の低い棚の上に抱えていた本達を降ろすと、ふうと息をついて振り返る。髪のみならず、瞳の色まで金に近かった。

「で、今日はどんなご相談で?」

 にこやかに言った男に、黒子が意識を持ち直して反応する。そしてもう一度名を名乗って、事前に連絡していた旨を話す。
「ああ!赤司っちのところの方々っスね〜!はじめまして、黄瀬涼太っス。」
 ジャストサイズのスーツに包まれた腕を差し出し握手を求めてくる。この金髪の男がここの主、海常探偵事務所の"所長 黄瀬涼太"であることに、青峰はまた驚いたようだった。一拍遅れて、青峰も握手に応じながら名を名乗った。
「青峰大輝です。」
「はぁいよろしくっス〜。そこのソファ、テキトーに座ってて下さいっスー」
 なんとも軽い応答に、青峰と黒子は思わず目を見合わせながらも、指差された応接スペースらしいソファセットの方へ向かう。応接スペースのまた奥には立派で重そうな造りのデスクがこちらを向いていた。
 4人は腰掛けられそうな大きな革張りのソファに、木肌の鞣された艶やかなローテーブル、向かいには揃いの皮カウチと一人掛け用の少し型の違う布ソファが置かれている。青峰と黒子は大きなソファの方に腰掛けて、何も置かれていない机に抱えてきた捜査資料らを手放した。
「うちお水しか置いてなくって〜。なにかいいスか?コントレックスか、ボルヴィックか、ヴィッテルか・・あっペリエとかのがいいっスか?」
 他にも・・・と黄瀬は訳の分からぬ横文字を続けるが、言っている事の半分も理解出来ぬふたりは慌ててなんでもいいです、と口を挟む。どうやらミネラルウォーターの品種名なのだろうが、青峰にしても黒子にしてどれも聞いた事さえないような単語だった。
「じゃあ、赤司っちの好きなガルバニーナにするっスね!」
 ただの水のくせに、妙に高そうなボトルに入った水を黄瀬はグラスに注いできて机に並べた。そして自分はソファではなくデスクに尻を乗せ寄り掛かり、あらためて、と言ってニコリとする。

「じゃあ改めて。はじめまして、海常探偵事務所所長の黄瀬涼太です。お二人は、赤司っちと同い年なんスよね?なら俺も同い年になるスから、あんまり堅くならずいきましょー。
 ――それで、今日は、どんなご相談で?」





prev next









「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -