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はじめの第一歩

とうとう約束の土曜日が来てしまった。名前は朝起きた瞬間から緊張していた。牛島は名前の初めての彼氏である。それゆえに、自分の親に彼氏を紹介するというのは初めてのことだった。恐らく、一般的な高校生の恋愛において、両親に挨拶をすることなどほとんどないと思う。けれども、牛島若利という真面目を絵に描いたような男と付き合い始めてしまったからには、こうなることは避けられない運命だったのかもしれない。
名前は支度を済ませると、寮の前で待つ牛島の元に向かった。よく考えてみると、いつも制服かユニフォーム、もしくは練習着や体操服だったため、お互いの私服姿を見るのは今日が初めてだ。牛島はきっちりしたシャツとズボンを履きこなしており、シンプルながらも清潔感のある格好をしていて、名前は僅か見惚れてしまった。


「名前、どうした」
「え?あ、ううん。私服姿見るの初めてだなって思って」
「そういえばそうだな」
「待たせてごめんね。電車の時間あるし行こうか」
「ああ」


2人はそれから電車に乗って名前の実家へと向かった。2人でどこかに出かけるのは、勿論初めてだ。今日は初めて尽くしだなあ、と名前が考えていることなど、隣に座る牛島は知る由もないのだろう。
それにしても牛島は、全くいつもと変わらない。普通、彼女の両親に挨拶するとなると、少なからず緊張したり戸惑ったりするはずだと思うのだけれど、牛島にはその様子が全くないのだ。そういえば付き合い始めてから色々なことがあったけれど、牛島が動揺したり焦ったりしたところは見たことがないかもしれない。


「若利君…緊張しないの?」
「なぜだ」
「だって、その、一応私の両親に会うわけでしょ?」
「俺は自分の考えを伝えるだけだ」
「…もしそれで、付き合ってるのを反対されたら…どうする?」
「認めてもらえるまで頼むしかないな」


牛島らしい答えに、名前は自分の肩の力が抜けていくのが分かった。牛島はいつも真っ直ぐで迷いがない。自分のすることに自信を持っている。だから緊張もしないし迷いもないのかもしれない。
名前は牛島を信じ、きっとうまくいくと自分に言い聞かせた。そうして電車に揺られること小1時間。最寄駅から少し歩いたところに、由緒正しき呉服屋が見えてきた。名前の実家である。長期休暇の時以外は帰って来る機会がないと思っていたが、まさか彼氏を紹介するためにと帰ってくることになろうとは思いもしなかった。
名前はゆっくりと扉を開いて中に入る。すると、待っていましたと言わんばかりに着物を綺麗に着こなした女性が2人を迎え入れた。


「おかえりなさい、名前」
「お母さん…ただいま」
「そちらが会ってほしいと言っていた人なのね」
「そう」
「申し遅れました。名前さんとお付き合いしている…」
「挨拶はお父さんにしてくださいな。どうぞ、中へ」


名前の母は牛島の挨拶を遮ってそう言うと、中へ入るよう促す。優しいながらも有無を言わせぬ物言いに、牛島は頭だけ下げると名前の後ろを追って家の中へ入った。
長い廊下を抜けて1番奥の広い和室に通された牛島は、部屋に入ってすぐのところで立ち尽くす。名前は座るよう促すが、見向きもしない。お手伝いさんがお茶とお茶菓子を机の上に用意してくれてもそれは変わらず、名前は首を傾げた。
もしかして両親が来るまで座らないつもりなのだろうか。立ったままの牛島と座って待つ名前という妙な構図で暫く時間が過ぎ、漸く和室の襖が開いた。


「お父さん…」
「初めまして。お邪魔しております。名前さんとお付き合いしている牛島若利と申します」


牛島は名前の父が入ってくると、深々とお辞儀をして自己紹介をした。あまりのスピーディーさと礼儀正しさに、名前は圧倒されてしまう。
けれども名前の父は牛島を上から下まで品定めでもするかのように見つめた後、何も言わずに座った。空気がピーンと張り詰める中、後から入ってきた名前の母にも、牛島は同じように挨拶をしている。


「……きみも座りなさい」
「はい。失礼します」


名前の父の発言によって、牛島は漸く名前の隣に腰を落ち着けた。ひどく空気が重苦しい。こんな状況でも牛島は顔色ひとつ変えないのだから大したものだ。名前がこの場の空気をどうにかしようと口を開きかけたところで、牛島が凛とした態度で言葉を紡ぎ始めた。


「名前さんと真剣にお付き合いしています。今後もずっとお付き合いしていくつもりです」
「……」
「お父さん、あのね、若利君はうちの学校のバレー部で1年生レギュラーなの。全国大会にも出場するぐらい強いんだけど、その中でもすごい選手で…」
「名前。少し黙りなさい」


牛島との関係を認めてもらいたい一心で名前が必死に紡ごうとした言葉を、名前の父は静かに制止する。そして、背を伸ばして正座している牛島に、その双眸を向けた。
怒りは感じられない。けれども、決して肯定的とは思えない強い眼差し。牛島でなければ、きっと目を逸らしていただろう。しかし牛島は、その視線を真っ向から見つめ返している。


「高校生の分際で、真剣だと言われても納得はできないな」
「お父さん、」
「ひとつの経験として娘と付き合っているのならまだ理解はできる」
「あなた…、」
「しかしきみの言い方は、まるでこの先ずっと娘との関係を続けていくと言っているように聞こえる」


名前と名前の母がやんわり宥めようとするが、名前の父は堅い表情のまま牛島に詰め寄る。確かに名前の父が言っていることは間違いではない。むしろ、一般的な意見と言えよう。
普通なら、ここで心が折れてしまうはずだ。そう、普通なら。しかし生憎、牛島は普通ではない。相も変わらず名前の父を見据え、決してたじろぎもしなかった。


「そのつもりで言いましたので」
「若利君…」
「まだ、高校生だろう」
「はい。それでも、自分の今後を自分で選択する術は持ち合わせているつもりです」


牛島は一歩も引かないどころか、名前の父を圧倒していた。これには名前も名前の母も驚きを隠せない。思わず2人で顔を見合わせてしまったほどだ。
またもや気まずい空気が流れ、沈黙が訪れる。この状態からどうすれば良いだろう。名前が思い悩むこと数分。沈黙を破ったのは、名前の父だった。


「牛島若利君と言ったか」
「はい」
「きみは名前のことがそんなに好きなのか」
「はい」
「本気なのか」
「勿論です」


名前の父からの問いかけに、牛島は一瞬の迷いもなく返答していく。名前は密かに感動していた。厳格な父親の前でも全く怯むことなく、自分のことを好きだと言ってくれた。しかも、今後も一緒にいたいと思ってくれているらしい。たとえ今日、父親に認めてもらえなかったとしても、十分な収穫はあったように思う。


「お父さん、あの、私も若利君のことが好きです」
「……そうか」
「今日すぐに認めていただけるとは思っていません。認めていただけるまで、何度でも伺います」
「………分かった」


何に対しての、分かった、なのだろうか。名前は父親の顔を不安そうに見つめてみるが、真意は何も読み取れない。


「きみは着物を着たことがあるか」
「はい。あります」
「浴衣は」
「あります」
「うちには浴衣もある」
「……お父さん?」


名前の父が何の脈絡もなく話し出すものだから、名前は戸惑ってしまう。確かに、名前の家は呉服屋で、着物だけでなく浴衣も取り揃えてはいるが、それが何だと言うのだろうか。


「バレーで忙しいのかもしれないが、夏休みにはうちの地域の祭りに参加しなさい。浴衣は用意しておく」
「はい。ありがとうございます」
「お父さん、それって…」
「勘違いするな。認めたわけではない」


厳しい口調はそのままだが、名前が見る限り、その表情は最初の時に比べると幾分か柔らかいものになっているように思えた。名前の父の発言に、隣で静かに座っているだけだった名前の母も安堵の色を浮かべている。
こうして、終始修羅場になることを覚悟して出向いた挨拶は、思っていた以上に円満な終わりをむかえた。それもこれも、一切ブレずに自分の意見を貫き通した牛島のおかげだと名前は思う。
認めたわけではない、と言っていた名前の父も、美味しいと評判の和菓子を手土産に持たせてくれた。名前の父曰く、娘が世話になっているバレー部員達への贈り物として元々用意していたものだ、とのことだが、牛島との話を終えた後、こっそり買いに行っていたことを名前は知っている。


「若利君はやっぱりすごいね」
「何がだ」
「うちのお父さん、厳しいし頑固な人なのに…たぶん若利君のこと、気に入ってくれたんだと思うよ」
「名前のことを大切に思っている良い父親だとは思ったが…厳しいとは感じなかった」
「……さすが若利君」


帰りの電車の中、相変わらずのトーンで話す牛島に、やっぱりこの人は大物だと思わざるを得ない名前なのだった。



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