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はじめまして、
恋ですか?


02別に気になるってわけじゃない。







あの日から2日後。俺は昼過ぎになんとなくまたあの定食屋に足を運んでいた。普段はそんなに頻繁に通うわけではないのだが、今日は気が向いたのだ。特別な意味があって行こうと思ったわけじゃない。
俺はガラリと扉を開けていつもの席へと向かう。いらっしゃい、というおじさんの声はいつも通り。けれども何か足りないなと思いそれほど広くない店内を見回してみたところ、彼女の姿が見当たらないことに気付いた。その代わりに、俺の知らないおばさんが1人、レジで会計をしている。


「御幸君、いつもので良いのかい?」
「うん。…あの子は?」
「あの子?ああ、名前ちゃんなら今日は休みだよ」
「休み?」
「うちは時間がある時に手伝ってもらってるだけだからね。元々の仕事の方を優先してもらわないと」
「なるほどね」


注文を取りに来てくれたおじさんとの会話で納得した。そりゃあ普通の社会人なら仕事をしているのは当然のこと。だからこの定食屋には彼女以外にもピンチヒッターで色んな人が手伝いに来ているということらしい。
納得はした。けれど、つまんねぇな、と思ったのは自分でも驚きだ。ここには飯を食いに来ているのであって、別に彼女に会いに来ているわけじゃないのにそんなことを思うなんて。まあかなり熱烈な俺のファンだったから気になっただけだろう。俺はおばさんが運んで来たアジフライ定食をもそもそと食べ進めるのだった。


◇ ◇ ◇



ちょうどその日の夕方のこと。シーズンオフとは言っても身体が鈍ってはいけないので、ロードワークやジム通いをするのは当たり前だ。というわけで、俺は自分の決めたコースを走っていた。河川敷や住宅街など、できるだけ街中は走らないようにと気を付けて考えたコース。この季節は毎年、夕方ともなると冷えてくるなあなどと考えながら走っていると、俺の行く先に見覚えのある後ろ姿を発見した。あちらは歩いていて俺は走っているから追い付くのは必然で、俺の知っている人物で間違いないだろうかと擦れ違いざまに顔を確認して、確信。


「名前ちゃん、だっけ?」
「え?わ、御幸選手…!」
「家、定食屋の近くじゃなかったっけ?」
「今ちょうど仕事の帰りで…」
「へぇ。仕事、何してんの?OLって感じの服装じゃねぇけど」
「カフェで働いてるんです。シフト制なので時間の空いている時だけあの定食屋さんを手伝っていて…」


声をかけたのは気紛れ。ちょっとした知り合いみたいなもんだし、気付いたからには挨拶ぐらいしとくかっていう、その程度の軽い感じ。声をかけられた方は非常に驚いているようだけれど、俺の質問にはきちんと答えてくれていて、初対面の時よりは落ち着いているように見える。まあ、相変わらずまともに目は合わせてもらえないのだけれど。


「定食屋の近くに住んでんなら俺んちとも近いかもな」
「御幸選手も定食屋さんの近所に住んでるんですか?」
「まあ…ていうか、その御幸選手って呼び方、やめない?」


最初から気にはなっていた。御幸選手。その呼び方は間違いじゃないのだろうけれど、なんというか、居た堪れない。俺は今「野球選手の御幸一也」ではなく、ごく普通のどこにでもいる成人男性の御幸一也だから。御幸選手、と呼ばれると、どうにも肩に力が入ってしまう。
その旨を伝えれば彼女は申し訳なさそうに謝った後、じゃあ御幸さんって呼んでも良いですか?とお伺いを立ててきた。逆に、それ以外に何って呼ぶんだ?って感じだが、きっと彼女としては俺のことをそんな風に呼んで良いのか確認したかったのだろう。ファンってのはいちいち気を遣って大変だなと他人事のように思う。


「そういえばロードワーク中だったんですよね?」
「まあな」
「すみません、邪魔しちゃって…」
「声かけたの俺の方からだし。謝ることねぇよ」
「来シーズンも頑張ってくださいね!応援してます」
「そりゃどーも」


純粋なファンからの声援。それ以上でもそれ以下でもない、色んな人に何度も言われてきたセリフだ。それなのに、初めて視線を交わらせて満面の笑みで彼女から言われた言葉は、なぜか特別なもののように感じてしまった。
最初に会った時は正直、ちょっと地味だなと思っていた。けれど、今はどうだろう。よく見れば、化粧が、濃いとは思わないまでもやや明るくしっかりしたものになっているし、服装も小綺麗な印象になっているような気がする。きっとカフェで働くからには身形にそれなりの気を遣う必要があるのだろう。TPOに応じて上手に自分を飾り替えている、ということなのか。女ってのはこういうところが面倒臭そうだ。それにしても、化粧と服装が変わるだけで、笑顔を向けられた時の印象も違うものなのだろうか。よく分からない。


「ここからずっと歩いて帰んの?」
「はい。運動がてら…」
「時間あるし付き合ってやってもいいけど」
「え!いや、それは良いです!遠慮します!」
「…なんで?」
「だってロードワーク中じゃないですか。私なんかのために足を止めてる場合じゃないですよ」


どうやら彼女は「プロ野球選手の御幸一也」を心配してくれているらしい。それは有難いことだけれど、なぜかもやっとする。俺が良いって言ってんのに、などと思ったのは気のせいか。彼女の言っていることは正しい。ロードワーク中に寄り道をしたり無駄に休憩を取ったら意味がないことは自分が1番よく分かっている。だからさっさと、じゃあ行くわ、とでも言って走り去れば良いものを。俺は、何を躊躇っているのだろう。


「次、いつ?」
「はい?」
「あの定食屋。いつ手伝いに行く予定?」
「えっと…明日の夕方から閉店までですけど…」
「じゃあまたその時に」


自分でもなんでそんなことを確認して、なんでそんなことを口走ったのか理解できない。今日の昼にも行ったのに明日の夜も行くってどんだけの頻度だよ、って自分でツッコミたくなる。けれども、勝手に口が動いていたのだから仕方がない。俺自身も驚いているけれど言われた彼女の方も驚いている様子で、来てくださるんですか?と確認されてしまった。


「飯食いに行くだけ。悪い?」
「いえ…お会いできるんだと思ったらすごく嬉しくて…」
「俺のファンだもんな」
「今だってこうやってお話できているのが夢みたいなんですよ」
「大袈裟」


出会った時からそうだった。彼女は俺を神様か何かみたいに思っている節がある。普通の人間なのに。ファンだから?でも、俺のファンだという人間は幾らでもいるけれど、彼女のようなタイプには今まで遭遇したことがない。俺を見てキャーキャー言うわけでもなければ、知り合いになれたからと言って執拗に迫ってくることもない。むしろ恐れ多いと言って俺から距離を取ろうとする。これが本当のファンというやつなのだろうか。


「そういえば、名前。名前ちゃんって呼んでるけどそれで良い?」
「え、あ、はい…!名字名前です!お好きなように…どうぞ…」
「わかった。じゃあまた」
「明日、お店でお待ちしてます!」
「はいはい」


すんなり走り出すことができたのは、次にいつ彼女に会えるのか明確な約束ができたからだろうか。いやいや、だから。なんで俺は彼女に、名前ちゃんに会うのを目的としてあの店に行くつもりでいるんだ。飯を食いに行くためだろ。それ以外の理由なんてないんだって。
走りながら脳裏を過ぎるのは彼女の笑顔。ロードワーク中に考えるのは、野球のことだけのはずだったのに。俺の頭は、おかしくなってしまったのかもしれない。

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