×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

アイが色褪せていく


結局、一也君からの連絡が来たのは試合が終わって数時間後。夏なので日が長くなってきたとはいえ、少しずつ辺りが暗くなってきた頃だった。正直なところ連絡がこなくてもおかしくないと思っていただけに、きちんと約束を守って連絡してくれたことには素直に嬉しさが込み上げる。
珍しくも、連絡遅くなって悪かった、という謝罪の言葉付きの文面。らしくないと言えばらしくない。昨日、私に連絡をくれた時点で、一也君らしくないと言えばそれまでなのだけれど、それにしたって様子がおかしい。
やはり試合の結果を引き摺っているのだろうか。あの一也君でも、不安を抱いたり自分を責めたり絶望したり、弱ってしまうことがあるのだろうか。そういう瞬間があるとして、その姿を果たして私に晒してくれるのだろうか。
学校と私の家のちょうど中間地点ぐらいにある公園。そこで待ち合わせをすることになった私は、暗闇が近付いてくる中、ベンチに座って一也君を待っていた。心身ともに疲れているはずだから無理に今日会う必要もないと思い、やんわりとその旨を伝えてみたのだけれど、俺が決めたことだから、とのこと。本当はその真っ直ぐさが逆に怖かったりして。


「待った?」
「う、ううん。さっき来たところ」
「隣いい?」
「どうぞ」
「…試合、見てたんだろ?」
「うん…お疲れ様…」


私が来てから本当に数分後。一也君は制服姿で現れた。隣に座る一也君は、ただぼーっと遠くを見つめているようだけれど、その瞳に何が映っているのかは分からない。
お疲れ様、などという無難で当たり障りない言葉しかかけてあげられない自分が情けなくてたまらなかった。けれども、みんな頑張ってたよ、とか、すごかったよ、とか、そういう気休めみたいな褒め言葉で一也君が喜ぶとは思えない。かと言って、残念だったね、とか、つらいよね、とか、悲観的で同情めいた言葉も待ってはいないだろう。
もっと一也君のことを知っていたら。一也君に寄り添うことができるホンモノの彼女だったなら。こういう時にもっと気の利いた一言を思い付くことができたのだろうか。


「慰めてくんねぇの?」
「え?」
「甲子園行きを逃して傷心中のカレシを、カノジョは慰めてくんねぇのかってきいてんだけど」
「それは…私にできることならなんでもしてあげたいって思ってるよ…?」
「なんでも?」
「うん…」


まさか一也君の口から慰めを求められるなんて微塵も思っていなかった私は、あからさまに戸惑ってしまう。それに、カノジョって。どんな形であれ、一也君の中で私はきちんとカノジョというポジションという認識をされていたのかと思うと嬉しかった。
ただ、なぜだろう。私に注がれている視線がやけに冷ややかに感じられるのは。本当になんでもしてあげたいと思っているけれど、一也君が求めていることは一体何なんだろう。なんとなく嫌な汗が背中を伝う。


「前の彼氏のことはどうやって慰めてた?」
「は…?」
「わりと長く付き合ってたなら、そういうこともあっただろ?」
「どうして今そんなこと、」
「同じことしてみろよ。俺に」
「なんで…っ、」


無理矢理掴まれて一也君の方に向かされた顎が痛い。元彼のことなんて今は関係ないじゃないか。そもそも、ケンジ君を慰めるような出来事なんてなかった。私は、一也君の求めていることを知りたいだけなのに。
と、その時。何の前触れもなく、強引に、唇が重ねられた。キスというよりは、ただ唇をぶつけただけのその行為に、驚きと苦しさが込み上げてくる。


「アイツと、キスぐらいしたことあるんだよな?」
「なんでこんなこと…!」
「ああ、その前にこういうことした?」
「っ…、」


腕を引っ張られたかと思うと、一也君に抱き寄せられる。身体が熱い。本当だったら泣きたいぐらい嬉しいことのはずなのに、苦しくて辛くて目頭が熱くなってくるのは、この行為に想いなどちっともこもってないことを分かっているからだ。
それでも私は拒めない。一也君の汗と制汗剤の混じったような香りも、厚く逞しい胸板の感触も、男の人なんだと感じさせる少し高めの体温も、私がずっと求めていたものだから。


「…他に、何したんだよ」
「一也君?」
「くそ…っ」


私を抱き締めていた腕の力が強くなって、一也君の重心が私へと傾いた。くそ、という悔しさを露わにしたような一言は、何に対するものなのか。試合で負けたこと?その試合での自分のプレーに対すること?それとも、それらとは別のこと?
私には何も分からなくて、けれども尋ねられる雰囲気でもなくて。私はおずおずと一也君の背中に手を回して、トントンと控えめに撫でることしかできなかった。その行為が正解だったのかは不明だけれど嫌がられることはなかったから、恐らく間違いではないのだろう。
どれぐらいそうしていたのかは分からないけれど、気付いたら辺りは殆ど暗闇に支配されていた。一也君がゆっくりと私から離れて行き、もういい、と。小さな声で言うのが微かに聞こえた。もういい、とは。どういう意味だろうか。


「…俺が今、何考えてるか分かる?」
「分からない…」
「だろうな」
「ごめん…」
「知りたい?」


むわりと生温い風が頬を撫でた。暗闇の向こうで不敵に笑う一也君の言葉の真意は掴めないけれど、私は素直にこくりと頷く。少しでも一也君の気持ちを知りたい。その感情に嘘はないから。


「本気で俺を慰めたいと思う?」
「うん」
「へぇ…そう。じゃあ、」


身体で慰めてみろよ。


その言葉の意味が、最初は分からなかった。いや、分かりたくなかっただけかもしれない。一也君はそんな風に惰性で事に及ぶような人ではないと信じていたから。どんなに冷たい態度を取られようと、本当の意味で私を傷付けるようなことはしないはずだって、期待していたから。
けれども、今の言葉が本心なら。私は一也君のことを買い被りすぎていたということになるのだろうか。夢を見すぎていただけなのだろうか。
何も言えない私に、一也君は冷ややかに尋ねてくる。どうすんの?と。ここで断ったらどうなる?逆に受け入れたとしたら?どちらを選んでも、良い結末にはなりそうもなかった。


「一也君は…それで心が落ち着くの?」
「さあ?」
「本当にそれを望んでる?」
「…嫌なら断れば良いだけだろ」


なぜだろう。追い詰められているのは私のはずなのに、一也君が表情を歪めたのは。なんでもしてあげたいと言った。その言葉に嘘はない。
嫌なら断れば良い。確かにそうだ。けれども困ったことに、嫌なのかと尋ねられたところで即答できない自分もいる。だって一也君は私の好きな人で、求められたら嬉しいはずで、だから拒むのもおかしいのかなって。頭の中はオモチャ箱をひっくり返したみたいにぐちゃぐちゃだ。


「…やっぱり、もういい」
「一也君、待って、」
「何?」
「…いいよ」
「何が?」
「一也君が望むなら、私は…なんでもする」


ベンチから立ち上がった一也君が私に背を向けた。行ってしまう。そう思ったら勝手に身体が動いていて、私は一也君の腕を掴んでいた。その行動が正しかったのかは分からない。ただ、一也君は足を止めて私の方に向き直ってくれて。ほんの少し笑った。その笑顔はちっとも嬉しそうじゃなかったけれど。
じわりじわり。身体中から汗が噴き出す。夏の暑さのせいだけじゃない。これからのことを考えたら、どんどんと汗が流れ出してくるのだ。私が掴んでいたはずの腕はいつの間にか一也君に掴まれる形に変わっていて、もう後戻りはできないということを悟る。
私、間違えちゃったのかな。都合のいい女だって幻滅されたかな。でも引き止めなかったら、一也君は一生私のことを見てくれなくなるような気がしたんだ。だから、いいの。たとえこれが、本当の意味で一也君が望んでいることじゃなかったとしても。