×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

境界線の向こう側へ


一也君と私の関係は何も変わらぬまま、月日だけが流れていった。一也君がどういうつもりで私と付き合い始めたのか、それはいまだに分からない。そもそも付き合っていると言える関係なのか、それすらも危ういままなのだ。
それでも私は現状を甘んじて受け止めていた。それだけ一也君のことを好きだと思っているから。今度こそ離れたくないと思っているから。こんなにも焦がれているのはなぜなのだろう。
野球部専用グラウンドで生き生きと練習に打ち込む一也君を、遠くからぼーっと見つめる。野球をしている時の一也君の表情は昔から変わらない。目をキラキラさせて、心の底から楽しんでいるということが伝わってくる。
そうか、私は野球に目を輝かせている一也君を見て好きになったんだ。だから、たとえその目に私を映すことが今後一切ないとしても、私はきっと一也君のことが好きなままなのだろう。


「誰かのファン?それともマネージャー志望?」
「え?」
「別にどっちでも良いけど。もう少し近くで見れば良いのに」


背後から声をかけられて振り向けば、鮮やかなピンク色の髪が目に飛び込んできた。その容姿は何度か試合で見たことがある。私の記憶が確かなら、スタメンに選ばれていた先輩だ。
小柄だなとは思っていたけれど、想像以上。この体型であんなプレーができるのかと頭の片隅で余計なことを考えていたのがバレてしまったのだろうか。その先輩は、話きいてる?と顔を覗き込んできた。


「ごめんなさい、突然話しかけられてびっくりしてしまって…もう帰りますので」
「ふーん」


その先輩は何やら含みを持たせた笑みを浮かべて私を眺めてから、じゃあね、とだけ言い残し去って行った。不思議な人だ。なんだか自分の心を見透かされたみたい。
もう帰ります、と言った手前そこに留まるわけにはいかなかったので、私はもう少し眺めていたい気持ちを押し殺してその場を後にした。その後姿を一也君が見つめていたとも知らないで。


◇ ◇ ◇



夏。じりじりと焦げるんじゃないかと思うほど暑い日が続く中、野球部の練習は相変わらず厳しそうだった。それもそのはず。甲子園出場をかけた予選大会が迫っているからだ。
一也君とは付き合い始めてからもほとんど一緒に過ごすことがなかったけれど、なんとなく連絡は取り合っていた。しかし7月に入って、特に夏休みを迎えてからはほぼ音信不通。休み期間中なので校内で会うこともないし、私達の関係は益々希薄化している。
けれども、一也君にとって最も大切なのは野球だと分かっているから。私は何の文句も言わなかったし、邪魔になってはいけないと思い自分から連絡することはなかった。時々こっそり練習を見に行ったり練習試合や公式試合の応援には行ったけれど、恐らく一也君は私の存在など全く知らないだろう。
予選大会、青道高校はひとつずつ勝利を積み重ねていき、とうとう明日は決勝戦。相手は宿敵とも言える稲実だ。
こういう時、仲睦まじいカップルなら、明日の試合頑張ってね!応援に行くから!などとメールをしたり電話で激励の言葉を送ったりするのかもしれないけれど、生憎私達はそういう関係ではない。だから私は、いつも通り何の連絡もしなかった。
すると、夜。なんとも珍しいことにあの一也君の方からメールが来た。内容はとても簡潔に、明日の応援来んの?という、ただそれだけだったけれど。問題は内容ではない。一也君からメールが来たということに意義があるのだ。


「久し振り、毎日練習お疲れ様。もちろん応援に行くよ!…で、良いかな…」


ベッドに転がった状態だっただらしない姿勢を正して返事を声に出しながら打ってみる。久し振りだからテンションが上がり勢いのまま挨拶程度の言葉も添えてしまったけれど、きかれたことだけにシンプルに返事した方が良いだろうか。
悩みに悩んだ結果。久し振り、毎日練習お疲れ様。この2文をポチポチと消して、結局残った最後の1文のみで送信した。きっともう返事は来ないだろう。メールでのやり取りなんて、いつもそんなものだ。
携帯を放り投げて、またベッドに転がる。と同時に着信音が鳴り響き、慌てて飛び起きた。まさか、まさか。手に取った携帯の画面には一也君の文字。どうしよう。こんなの初めてかも。柄にもなく緊張しながら、切れる前に取らなければと僅かに震える手で通話ボタンを押す。


「も、もしもし…?」
「あ。出た。寝てた?」
「ううん。寝てない」
「あ、そ」


機械越しに一也君の声を聞くのはよく考えたら初めてのことで、なんだか不思議な感覚。そもそも一也君の声を聞くこと自体が久々すぎて、こんな声だったっけ?とも思ってしまう。


「明日、来るんだろ」
「うん。頑張ってね」
「言われなくても頑張るけど」
「そうだよね」
「…」
「…」
「試合が終わったら、」
「うん」
「また連絡する」


その声音からは、何かを決意していることが感じられた。連絡してきてくれること自体は途轍もなく嬉しい。けれど、その連絡は一体どんな理由でしてくれるのだろうか。連絡してもらえるということを手放しで喜べないなんて、私達の関係はやっぱり歪だ。それでも私は努めて明るい口調で言う。


「待ってるね」


一也君からの電話はそれだけで呆気なく終わり、おやすみを言い合ってからぷつりと切れた。別にメールでやり取りしたって良いほどの内容だったと言えば確かにそうだ。けれど、あの一也君がわざわざ電話をしてきてくれたことには何か意味があるのだと思う。
その意味とは。私が考えたところで、その答えは分からない。きっと分からなくても良いのだ。一也君が、それで明日の試合に心置きなく臨めるのなら。


◇ ◇ ◇



迎えた翌日。日差しは暴力的なまでに強い。予選とは言え甲子園出場をかけた大切な試合というだけあってお客さんはさすがに多く、私は他の青道生に混ざって席に座る。
白熱した試合展開。一進一退の攻防とはまさにこのことを言うのだろう。最後の最後まで気が抜けなくて、気付いたら私は汗だくになりながら応援していた。残り1アウトで勝てるところまで漕ぎ着けて、そうして、そこからはあまり覚えていない。
気付いたら終わっていた。試合も、彼らの夏も。先輩後輩関係なく涙を拭っている中、一也君は歯を食いしばって耐えているように見えた。悔しいなんてもんじゃないだろう。あともう少しだったのに。いや、あともう少しだったからこそ、その悔しさは何倍にも膨れ上がるのかもしれない。
一也君はまだ2年生。来年だってチャンスはある。けれども、今の3年生と甲子園の舞台に立つという夢は、もう叶わない。今、一也君は何を思っているのだろう。何を感じているのだろう。
そこで私は昨日の電話のことを思い出す。試合が終わったら連絡する、と。一也君は確かにそう言った。けれども、この状況で私に連絡などしてくるのだろうか。もし連絡してきてくれたとして、私は一也君に何と声をかけてあげたら良いのだろう。何を言っても、何の慰めにも励ましにもならないような気がするから、私は何も言えないような気がする。
じりじりと太陽が照り付ける中、試合が終わって続々とお客さんも生徒達も席を立っていた。私は、その場から動けない。
ねぇ一也君。私、今のあなたに何がしてあげられるかな。求められたら何だってするよ。あなたが私に、何かを求めてくれるなら。だって私は、一也君の彼女だもの。