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#03



「どないしたん?」
「…何でもありません」


出社してくるなり私の顔を見てそう尋ねてきたのは、隣の席の宮侑だった。私は感情の変化があまり顔に出ないらしく、体調が悪い時も落ち込んでいる時も嬉しい時もご機嫌な時も、全くと言っていいほど誰かに指摘されたことはない。それが、まだ出会って1ヶ月が経ったばかりのこのいけ好かない男に何かしらを悟られたことに、少なからず驚いた。咄嗟に、何でもない、と答えてはみたものの、宮侑は納得していないようで、怪訝そうな顔で私を見遣る。


「嘘やん」
「嘘じゃありません」
「なんやあったんなら俺に言うてみ?」
「たとえ何かあったとしても、あなたには言いません」


私の言葉に、宮侑は、なんでやねん、と苦笑していた。こんなにヘラヘラしているくせに、なぜ私の小さな変化に気付いたのだろう。宮侑の洞察力は侮れない。
実は昨日の退社間際、私は自分がミスをしたことに気付いてしまった。この会社で働き始めてからというもの、仕事でほとんどミスをしたことがない私にとって、それはなかなかの衝撃だった。そりゃあ新人の頃に小さなミスをしたことぐらいあるけれど、それらは全て周りの人に迷惑をかけるような事態にまで発展することなく、自分で処理できるレベルだった。
しかし、今回は違う。取引先にも上司にも、少なからず迷惑をかけてしまうことは免れない。その状況に、だいぶヘコんでいたのは事実なのだけれど。まさか落ち込んでいることを見破られるとは思ってもみなかった。


「ほな何かあったら誰に言うん?」
「…北さんですかね」
「ふぅーん…名前ちゃんは北さんのことが好きなん?」
「はあ?」


急に突拍子もない質問をされ、いつかのように失礼な反応をしてしまった。けれども宮侑は私の反応など気にする素振りも見せず、なあ好きなん?としつこく尋ねてくる。その答えをきいて、何のメリットがあるというのだろう。正直、とても面倒臭い。けれどここで答えなければもっと面倒なことになるのは目に見えているので、スルーすることもできないのだ。


「好きか嫌いかで分類するなら好きですね」
「ほな俺は?」
「……本当のこと言っていいんですか」
「ええよ」
「嫌いです」
「あり得へん!」


本当のことを言っていいと言ったのは自分のくせに、何をぎゃあぎゃあと喚いているのだろう。なんとも喧しい男である。私はそこから隣の男を無視して仕事に向き合うことにした。そもそも私に、誰かのことが好きか、などと質問を投げかけてくる時点で間違っている。好き、なんて感情はとっくに忘れてしまった。もう思い出すつもりもない。私には不必要だと分かったから。
こんな私でも、過去に彼氏という存在がいた。初めて恋人というものができたのは中学生の頃。好きだから付き合って、というシンプルな告白に頷いた単純な私。これが男女交際というものなのかと胸を躍らせていたのは数週間のことで、彼は決して私のことが好きだったわけではなく、好きでもない女の子と付き合ったらどうなるか、という、ある種の実験のようなものをしていただけだということが判明した。今の私ならそんなことで傷付くほどヤワではないのだけれど、当時の私はまだ純情で。人間不信とまではいかずとも、誰かに好意を寄せられるということに不信感を抱くようになってしまった。
高校生になってからもそれは同様だったのだけれど、私にとても優しくしてくれる1歳年上の先輩が現れて、中学時代の話をぽろりと零した時、それはよくないね、と共感してくれたものだから、この人なら信じてみてもいいかもしれないと誤った判断をしてしまったのだ。結果、好きだと言われて付き合い始めた先輩は他の女の子と私とで二股をかけていて、私の方が捨てられたというオチなのだから、私はいよいよ男運がないのだと悟った。いや、男運がないというより、私に男を見る目がないというだけの話なのだ。


「じゃあ好きな方でいいです」
「じゃあ、て何やねん!」
「仕事に集中できないので黙ってください」
「ほんま名前ちゃん、俺にだけ特別冷たない?パートナーやのに」


冷たい。そんなの言われ慣れている。宮侑にだけではなく、私は基本的に誰に対しても愛想がないと思う。中高生の時は、不器用なりに、嫌われぬよう、仲間外れにされぬよう、それなりに愛嬌をもって作り笑いを浮かべていたし、今とは比べものにならないほど柔らかい口調だった。けれど、大学進学と同時に考えを改めてからは、今のスタイルを貫き通している。
どれだけ愛嬌があっても、どれだけ媚びを売っても、結局のところ評価されるのは自分の力量だけ。もっと上手に自分をアピールできたなら考え方は違ったのかもしれないけれど、見た目普通、性格も普通、そんな私がちやほやされることなど一生ない。その事実に辿り着くまでに随分と時間を無駄にしてしまった。
それならばと、他人にどう思われようが関係ない、というスタンスで生きていると、意外にもこれが妙にハマったようで、大学の成績は常に上位をキープできていたし、就職もトントン拍子に決まった。その結果、今の私が存在しているというわけである。


「もっと肩の力抜いてもええやん…」
「力抜きすぎはどうかと思いますけど」
「名前ちゃんは笑った方が絶対可愛い思うから!1回だけでええねん!ちょっとにこーってしてみてくれへん?」
「…」
「あからさまに無視せんといて!」


楽しくもないのになぜ笑わなければならないのか。しかも宮侑のために。笑い方なんてもはや忘れてしまったし、営業では僅かながらに微笑んでいるつもりなので、どうしても見たいというなら営業中に盗み見ていただきたい。


「ええやん。減るもんやないし」
「…」
「笑うん苦手なん?」
「…」
「名前ちゃーん?きいとる?」


いつも以上に五月蝿い。気が散る。私の仕事はちっとも進まないのに、宮侑はちゃっかり自分の仕事を悠々と終わらせてしまっているのだろうから余計に腹が立つ。宮侑が同じ部署に配属されてパートナーになってからというもの、今まで上手くいっていた私のスタイルは徐々に崩され始めているし、踏んだり蹴ったりである。ただでさえ昨日見つけた自分のミスを挽回するべく頑張らなければならないというのに、これではいつまで経っても捗らない。
こうなったら仕事を持ち帰るのもありかもしれない。会社で仕事をするよりは効率的な気がしてきた。そんなことを本気で考えながら宮侑の声を漸くBGMに切り替えることができた頃。手元にばさりと書類の束が降ってきた。何事かと書類を落としてきた張本人へ視線を送ると、意味深に目を細められ顔を顰めざるを得ない。


「なんですか」
「見てみ?」


やけに得意気だけれど、一体何だろう。怪訝に思いながらも中身をパラパラと確認して、宮侑の表情の意味が理解できた。ていうか、なんで。いつから。私のミスに気付いていたのだろう。手元に落とされた書類は、私のミスを帳消しにするには十分すぎる内容に仕上がっていて、何がなんだかさっぱり分からない。もしかして宮侑は、朝1番に私の顔を見た瞬間から、何が起こったのか分かっていたのだろうか。そんな馬鹿な。
愕然としている私に、何や言うことあるんちゃう?と、意地悪な発言をぶつけてくる宮侑。悔しい。この上なく腹立たしい。けれども、これはお礼を言わざるを得なかった。


「ありがとうございます」
「別にええけど。お礼、してくれてもええやんな?」
「……笑えとか言われても無理ですよ」
「俺の名前、覚えとる?」
「はい?そりゃあ覚えてますけど」
「ほな呼んでみてや」


この男は突拍子もない言動ばかりで疲れる。名前って、


「宮侑さんでしょう?」
「ほんまに覚えてくれとったんや?」
「まあ…一応上司ですし」
「呼んでくれへんから忘れられとんのか思うたわ」
「…呼んだことないですっけ?」


全く意識していなかったけれど、よくよく思い出してみれば宮侑のことを名前で呼んだことは確かにないかもしれない。この1ヶ月と少しの間、あの、とか、すみません、とか、そういう風に名前を呼ばずして話しかけるか、ほとんどの場合は宮侑の方から私に話しかけてきていたので気付かなかった。しかし、それが一体どうしたというのだろう。


「これからはちゃーんと名前呼んでな」
「はあ…」
「お礼、それで許したるから」
「…どうも……」


随分と陳腐な見返りで満足するんだな、と思いはしたものの、なぜか非常にご機嫌な宮侑はええねんええねん!と満面の笑みを携えているので、水を差すようなことは言わなかった。やっぱり私にはこの男の思考回路がさっぱり分からない。けれども、私のミスにそっと気付いてフォローしてくれたことで、ほんの少し、ほんの少しだけれど、実は良い人なのかもしれないと思ってしまったから。大変不本意ではあるけれど、今日からは心の中でも、宮侑、とか、この男、ではなく、宮さんと呼んであげることにしようと思う。


思いがけずわれました