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#02



「俺な、名前ちゃんのこと好きやねん」


今日は社内ではなく、いつもお世話になっている取引先の企業に出向いている。その道中、何の前触れもなく唐突に言われたのが冒頭のセリフである。普通の女性であれば、それなりに整った顔立ちをしている宮侑にそんなことを言われたら、頬をほんのり赤く染めたりしながら、え…?と戸惑いつつ足を止めるのかもしれない。けれども生憎、私は普通の女ではないので、頬を赤く染めることもなければ足を止めることもなかった。私以外の何人、何十人、もしかしたら何百人に言ってきたかもしれないそのセリフにいちいち期待通りのリアクションができるほど、私は女としてデキていないのだ。
好き、という言葉が、この世で最も信じられない。


「それはどうもありがとうございます」
「本気にしてへんやろ?」
「当たり前です」
「えぇ〜…どないしたら信じてくれるん?」


まだ知り合って1ヶ月にも満たないほどの付き合いで、好き、などと宣う男の何を信じろと言うのか。根本的に、この男の思考回路は私と違いすぎるので話にならない。
取引先にはまだ距離がある。宮侑と2人で歩かなければならない時間が、まさかこんなに苦痛になろうとは思いもよらなかった。


「そんなことをきいても意味がないでしょう」
「名前ちゃん、もっと愛想ようせな営業に差し支えるんちゃう?」
「ご心配いただかなくても、今まで支障をきたしたことは1度もありません」
「…あ、そ……」


本当に分かりやすく、わざとらしく、肩をがっくりと落として見せた宮侑は放っておいて、私はただ目的地を目指す。この仕事が終わったら会社に戻って、またデスクワークに勤しまなければならないのだ。
だらだらと歩く宮侑に、先に行きますね、と告げて歩調を速めてはみたものの、私より身長が高く足の長い宮侑がほんの少し大股で歩くだけで、すぐに追いつかれてしまったのが悔しい。ピンヒールだから余計に追いつかれやすいのだとは思うけれど、先行くんやなかったん?などと嫌味ったらしく言われてしまえば、腹が立つのは仕方のないことだ。
悠々と私を追い越して歩いて行ってしまう宮侑の後姿を睨み付けてカツカツと歩き続けながら、よくこの状況で私に好きなどとふざけたことを言えたものだと、くだらないことを考えていたせいだろうか。普段なら絶対にあり得ないことなのに、こんな時に限ってマンホールの溝で足を挫いてしまった。ああ、もう、それもこれも全部、宮侑のせいだ。
地味にじんじんと痛む足首。見た目には問題ないかな、と視線を足元に向けて、ストッキングが破れていないことと腫れた様子はないことを確認したところで、再び上げた顔。するとそこには、こちらを向いて立ち止まっている宮侑がいた。危うくぶつかりそうになったけれど、ギリギリのところで止まることができて良かった。


「先に行ってください。私は歩くのが遅いようなので」
「…足。挫いたんやろ」
「は?」
「痛いんちゃうん?」
「なんで、」
「そんなほっそいヒールで速う歩こうとするもんやないで」
「誰のせいで…!」
「そない怖い顔せぇへんの」


それこそ、誰のせいで、だ。先に行ってくれと言ったはずなのに宮侑はずっと私の隣をゆっくりと歩いているし、どこまで空気が読めないのかと顔を顰めることしかできない。歩けば歩くほどじわじわと鈍い痛みが強くなっているような気がするけれど、こんなことで先方に迷惑をかけるわけにはいかないと思い歩調を少し速くした直後、ダメやって、と肩を掴まれて、思わず、はあ?と声が出てしまった。
これでも心の声は極力抑えるように努力していたのだけれど、咄嗟の時には制御できないらしい。一応は先輩なので、あまり失礼な態度はとらないようにしようと気を付けていたつもりだっただけに、はあ?という発言がさすがにマズかったという自覚はある。不本意だけれどこれは謝るしかあるまい。


「……すみません、」
「謝らんでええからゆっくり歩きぃや」
「え。いや、そういう意味で謝ったわけじゃ…」
「捻挫甘くみとったらあかんで」
「はあ…」


なんでこの人はこんなにもマイペースなのだろう。私の発言などちっとも聞いちゃいないではないか。仕事ができる人というのは頭が良い人ばかりだと思っていたのだけれど、例外もあるのかもしれない、などと思ったことは自分の胸の内だけにそっと閉まっておくことにして。
結局、少し早めに到着するはずだった取引先の会社には、時間ギリギリに辿り着いた。遅れなかったからまあ良いとして。当初の目的通りに挨拶と、今後の仕事内容についての情報を交換し合って、難なく全てが終わったところで安堵する。すると、途端に足が痛み始めるのだから困ったものだ。


「名前ちゃん、タクシーで帰ろ」
「経費落ちませんよ」
「そんぐらい俺が出すわ」
「いや…でも」
「俺、歩くん疲れたんやもん」


宮侑は、決して私のためとは言わなかった。けれど、もしかして気を遣ってくれたのだろうか。そんな気遣いができるなら仕事を真面目にすることだってできるだろうに。なるほど、こういうことがさらりとできるから(私を除く)女性を簡単にたぶらかすことができるのか。


「じゃあタクシーひろってきます」
「なんでやねん。自分は座って待っとき」
「え、ちょ…、」


取引先の会社のエントランスで私は一体何をしているのだろうか。勝手に出て行ってしまった宮侑の後姿を眺めながら、私は仕方なくソファに腰かけた。こんなところで呑気にタクシーを待っている時間はないのだけれど、まあタクシーで帰った方が早いのは確実なので作業効率で考えれば無駄な時間ではないだろう。
待つこと数分、タクシーをつかまえることができたらしい宮侑が私を呼びに来てくれたのでそちらへ向かう。順調に行けば10分もかからずに会社に帰ることができるはず。帰ったらまずは何から手を付けようかと考え始めた私の思考を邪魔するのは、勿論、隣に座っている宮侑である。


「名前ちゃん、コーヒー好き?」
「好きでも嫌いでもありません」
「ほなこれどーぞ」
「…なんですか?」


タクシーをつかまえるまでの数分の間に、自動販売機で買ったのだろうか。どこからともなく取り出した缶コーヒー2つ。ブラックと微糖。選んで、と言わんばかりに差し出されても、私はこんなものをもらう義理などない。


「いつも頑張っとる名前ちゃんに、俺からプレゼント」
「いらないので、代わりに話しかけるのやめてもらっていいですか」
「ひっど!今休憩中やん…」
「仕事中です」


このやり取りの間も、私に差し出された2つの缶コーヒーはそこにあって、さてどうしたものかと悩んでいると、まさかの人物から横槍が入った。まあ、まさかと言っても、このタクシーの中で私と宮侑以外の人間は1人しかいないのだけれど。


「お嬢さん、受け取ってあげなさい」
「はい?」
「好意は受け取っておいて損はないよ」
「おっちゃんエエこと言うわ〜」


年配の男性タクシー運転手は宮侑とグルなのかと一瞬疑ったけれど、穏やかなその口調からは本心しか感じ取れない。これでは受け取らない私が悪者みたいである。


「…受け取ったら交換条件に何かしろとか言いませんよね?」
「どんだけ信用ないねん。言うたやろ。これはプレゼントやって」
「……じゃあ、いただきます」


手に取ったのはブラックコーヒー。甘いものは苦手だ。甘い、と名のつくものは、最も私に似つかわしくないと思うから。


「そっち選ぶと思っとった」
「イメージの問題ですか」
「ちゃうよ。甘いもん、そんな好きやないんやろ?」
「…え」
「無意識に避けとるやん」


にこりと笑った宮侑を、心底恐ろしいと思った。職場で隣の席というだけなのに、この男は私のことをどうしてこんなに観察していると言わんばかりなのか。


「好きな子のこと目で追ってまうんはしゃーないやん?」


私の心を見透かしたかのようにそう言った宮侑は、微糖の缶コーヒーを開けて一口飲んだ。好き、という言葉は信用できない。この手の男の場合は特に。
手の中のコーヒーは冷たいもののはずなのに、宮侑が握っていたせいかほんのり温かくて。そんなことにすら、居心地の悪さを感じてしまった。甘いものも、温かいものも。私には、必要ないのに。


不要なものをえられました