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#13




「え…おばあちゃんが…?」


それは突然の連絡だった。
私の父は酒癖の悪い人で、物心ついた時から暴力を振るわれるのは当たり前という環境で育った。母は私を守ろうと必死に頑張ってくれたけれど、その無理が祟ったのか、私が中学校に進学する前に病気で倒れ、呆気なく他界した。そのため、中学校進学と同時に、私は母方の祖父母の元で暮らすようになったわけなのだけれど、その親代わりとなって育ててくれた祖母が倒れたという知らせが舞い込んだのだ。
私が社会人として働き始めるまでは祖父母と共に暮らしていて、まだまだ元気だなと勝手に安心していたけれど、そういえば最近は顔を見に行くこともあまりしていなかったと今更のように悔やむ。祖母のことが大好きな祖父のことだから、きっと相当落ち込んでしまっているだろう。本当ならばすぐに病院へ駆けつけたいところだけれど、生憎仕事が立て込んでいるためそれは叶いそうもない。
電話を終えて自分のデスクに戻った私は、いつにも増して超特急で仕事を片付けることに専念することにした。いつもなら適当にでも返事をする侑さんへの対応も、今日は無視だ。


「なんかあったん?」
「邪魔しないでください」
「……何があったん?」
「私、急いでるんです!」


必死だった。祖父母は私にとってとても大切な人だから。一刻も早く行ってあげたくて。
柄にもなく、そしてきっと入社して初めて声を荒げたであろう私に、侑さんだけでなく周りの人達も驚いていた。視線に気付いて慌ててパソコンに向かい直したけれど、侑さんが私の異変に気付かないわけもなく。


「そない急ぐ理由は何なん?」
「…祖母が倒れたらしくて、早く仕事を終わらせて病院に行きたいんです」
「は?」
「だから、」
「仕事なんかしとる場合ちゃうやん!北さんに言うてみ。絶対早退させてもらえるで」
「でもこの仕事だけは…」
「俺がやる。それなら問題ないやろ?」


誰かに頼るということが苦手な私は、いまだに迷っていた。けれども侑さんはさっさと北さんのところに行ってしまったかと思うと、勝手に早退の交渉をしてくれているようだ。全く、侑さんの行動の早さには驚かされる。
北さんは心良く早退の件を了承してくれたようで、侑さんに、さっさと帰りや、と鞄を押し付けられた。途中で仕事を投げ出すことは躊躇われたけれど、今回ばかりは甘えさせてもらおう。私は侑さんにぺこりと頭を下げると会社を飛び出して病院へと急ぐのだった。


◇ ◇ ◇



結論から言うと、祖母はそこまで深刻な病気ではなく、数日間の入院で退院できる程度の軽い肺炎だった。急に高熱が出たせいで起き上がれなくなってしまったらしいけれど、入院してからは点滴のおかげですぐに回復したときいて、ホッと胸を撫で下ろす。
心配かけたねぇ、と申し訳なさそうに謝る祖父母には気にしないで、と言ったものの、こうなると投げ出してきた仕事のことが気になってしまう。そんな時、タイミングよくポケットの中に入れていた携帯が震えた。画面を確認すると侑さんからの着信。私は急いで病室を出ると電話をしても良いエリアへと移動する。


「もしもし?」
「あ、出た。大丈夫やった?おばあちゃん」
「はい…ありがとうございました」
「良かったなぁ」


電話の向こうの侑さんは、見ず知らずの私の祖母に大事ないことを知って心底安心したような声音を響かせた。軽いところもあるけれど、こういう純粋な優しさを見せてくるところが狡いよなあと思う。


「仕事、大丈夫ですか?」
「そんなん気にせんでええから」
「全部任せてしまって…すみません」
「貸し1やな」
「え」
「ほっぺにちゅーでチャラにしたるわ」
「冗談やめてください」
「わりと本気なんやけど…」


いつもの調子に戻った侑さんを適当にあしらい、仕事のことに関してはもう一度お礼を言ってから電話を切る。ほっぺにちゅーは無理だとしても、何かしらお礼はしないとなぁ。そんなことを考えながら、私はまた病室に戻り、久し振りに祖父母との時間を楽しませてもらった。


◇ ◇ ◇



1週間後、祖母は元気に退院した。お見舞いには結局あの日しか行けなかったけれど、今回のことを機に、たまには祖父母の元気な様子を見に行こうと思うようになった。
というわけで、退院してから数日が経過したとある土曜日。日差しが暑くなってきたなあと、日傘を差しながら思いつつ祖父母の家へと向かう私の隣には、なぜか侑さんがいる。


「本当に来るんですか?」
「ん?ここまで来て帰るわけないやろ」
「私の祖父母に会ってどうするんです…?」
「名前ちゃんの彼氏ですーて、挨拶するだけやけど」


侑さんには、私の家族のことについて簡単に話をした。だから勿論、祖父母が親代わりであることも知っている。今まで祖父母にそういう相手の紹介なんてしたことのない私は頭を抱えざるを得なかった。
土曜日はデートの日にしよう、などと提案してきた侑さんに対して、正直に、祖父母の家に行くからとりあえず今週は無理だし毎週デートなんてそれこそ無理だ、と伝えたのがいけなかったのだろうか。俺も一緒に行くわ〜、と言ってきた時点で断れば良かったと今更後悔する。
ぽかんと呆気に取られる祖父母の顔を想像しながら歩き続けていると、目的の場所に到着してしまった。こうなったら今日のところはさっさと帰ることにして、祖父母には後日改めて侑さんのことは取り繕うようにしよう。


「ただいまー」
「おかえり。…あら、そちらは?」
「あのね、おばあちゃん。こちらは…」
「宮侑いいます。名前ちゃんの同僚で絶賛片想い中なんですけど…急に押しかけてすんません」
「え、ちょ、侑さん…、」


一応、付き合ってるはずなのに。挨拶するって言ってたくせに。片想い中ってなんだ。混乱する私をよそに、おばあちゃんは穏やかに微笑みながら、とりあえず中に入りなさい、と言ってくれた。
懐かしく感じる居間には祖父もいて、侑さんは祖母に言ったことと同じような挨拶をして座布団の上に腰をおろす。だから、片想い中ってなんなんですか。どうして付き合ってるって言わないんですか。私の中で、モヤモヤとした気持ちが渦を巻いていく。
おばあちゃんが淹れてくれたお茶を啜りながら、体調は大丈夫ですか?などと愛想よく尋ねている侑さんを、祖父母は恐らく悪くは思っていないだろう。外面が良いというか、世渡り上手な人である。


「名前ちゃん、この方…とっても良い方みたいなのにお付き合いはしないの?」
「え?いや、おばあちゃん、あのね、」
「なかなか心開いてもらえんし好きになってもらえんで困っとるんです〜」
「ちょっと侑さん!いい加減にしてください!」


事実とは異なる茶番をいつまで続けるつもりなのか。キッと隣に座る侑さんを睨みつけたけれど、ホンマのことやん、とヘラリと躱されてしまった。
誰が、心を開いてない、だ。誰が、好きになってもらえない、だ。確かに私は自分の気持ちを表に出したことはないし、素直には程遠い。けれども、仮だとしても付き合っているのだから、少しぐらいは好意を寄せているということを感じていてもらいたかった。そんなことを思うのは我儘だろうか。
それから押し黙ってしまった私を心配したらしい祖父母は、早く帰って休みなさい、と温かい言葉をかけてくれた。祖父母に元気な姿を見せに来たはずだったのに、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。侑さんは帰る間際に何やら祖父母と話をしていたようだけれど、その内容は分からない。とぼとぼと歩く私は相変わらず無言のままである。


「なぁ名前ちゃん、怒っとる?」
「……別に」
「片想い中て言うたせい?」
「どうして嘘を吐く必要があるんですか…」
「嘘やないやん。付き合うとるけど、それは形だけやろ。名前ちゃんが俺のことどう思うとるんか、俺には分からへんもん」


それは本心だろう。そして、真実でもあった。いつも真っ直ぐに私が欲しいものを与えてくれていた侑さん。対して、何も与えていないどころかマイナスな言動しかできない私。そりゃあ侑さんからしてみれば、私の態度はどう考えたって不服極まりないものだろう。だから、これは私が招いたこと。
今度は侑さんも黙って、私も黙ったままだった。このままの状態で帰ったら、私達はどうなってしまうのだろう。恋人という関係は終わってしまうのかな。私のことを好きだって気持ちも、侑さんの中から消えてしまうのかな。愛想を尽かされてしまうのかな。
悶々と考えている間に辿り着いてしまった分かれ道。私は左。侑さんは右。だからここでお別れ。


「…ほな、」


やだ。待って。まだ行かないで。その言葉は喉に張り付いたまま離れなくて、代わりに侑さんの手を掴んでいた。そうして振り返った侑さんと交わった視線。その瞬間、私達の時間だけが止まった。


自らその手をむのです