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一緒に世界の夜明けを待とう

なあ、と。御幸が呼ぶ声がきこえて、名前はそちらへと視線を向けた。相変わらず憎たらしいほど愉快そうに笑う御幸に苛立つ反面、その笑みにずっとドキドキさせられている名前は、照れ隠しも相俟って、何?と愛想のない返しをしてしまう。けれども、そんなことで怯む御幸ではない。


「名前は俺のことどう思ってんの?」
「そんなの…言わなくても分かるでしょ?」
「分かんねぇからきいてんだけど」
「私から告白したんだよ?覚えてる?」


そう、名前は自分から告白して御幸にフラれたのだ。嫌いだから別れたわけではないとしてもフラれたことは事実なわけで。つまるところ名前に感情の変化は微塵もない。
全ては御幸次第で未来が変わると言っても過言ではない状況で、御幸が名前のすぐ傍までやって来た。付き合っている時でさえ御幸にあまり近寄ることがなかった名前にとって、その距離はとても心臓に悪い。きっとこれも御幸の思惑通りなのだろうと思っても、抗うことはできなかった。それほどまでに十分すぎるほど心が乱されていたから。


「でもなあ…名前は好きでもねぇ男と付き合えるわけだし」
「…それは、まあ…そういうことになっちゃうけど…」
「俺のことも、それほど本気で告白してきたわけじゃなかったりして?」
「違う!それは、絶対に違うよ!」


もはや勢いだけだった。名前は椅子から勢いよく立ち上がると、御幸のユニフォームをぎゅっと掴んで縋り付くように訴える。たとえこれも御幸の考えた筋書き通りだったとしても、別に構わない。今この場で何も言わなくても、虚勢を張り続けても、何の意味もない。最終的には本当の気持ちを伝えなければならないと、本能で悟っていたのだ。
そんな必死な名前の様子を認めて満足したのか、御幸は、はっはっは!と豪快に笑った。


「だろうな。知ってる」
「…」
「そうじゃなきゃ、困る」
「どうして?」
「さっきも言ったろ。名前には俺しかいねぇと思うって」


ぐい、と名前の身体を引き寄せた御幸は、自身の胸にすっぽりと名前を包み込む。恋人らしいことなんて何ひとつしてこなかったくせに、恋人でもない今になってこの距離感。お互いの鼓動を確認して、酔いしれる間もなく離れていく温度に、名前は名残惜しさを覚える。どうせなら身体にその温度をしみこませておきたかった、なんて、とんでもないことを考えて。名前の気のせいでなければ、ほんの少し照れている様子の御幸に、本日何度目かのときめき。


「甲子園、連れてってやるから。待っとけよ」
「うん…!」
「じゃ、そろそろ練習戻るわ」


御幸にしては随分と長い間サボってしまったので、これ以上サボるわけにはいかないと、話が終わってすぐに踵を返したのも束の間。待って!という声に足を止めざるを得なくなり、既に教室を出かけていた御幸は再び名前の方に向き直った。


「あの…私をまた、御幸の…一也の彼女にしてくれる?」


お互いの気持ちが同じで、それが好きという気持ちならば、別れる必要なんてない。できることなら、もう一度やり直したい。そんな思いが溢れて、名前は思わず、御幸に2度目の告白をしてしまった。恋人同士だった時のように、一也、という名前を呼んで。御幸はほんの数秒固まって、けれどもすぐに困ったように笑った。


「悪ぃけど、それは無理」
「え…」


てっきり、上手くいくとばかり思っていた名前にとって、御幸の返答はあまりにも衝撃的すぎた。けれども、よく考えてみれば御幸の返答は至極当然のようにも思える。今また付き合い始めたとしても、別れる前と何も変わらないのだから。
御幸はあからさまに落ち込む名前の名前を優しく呼ぶ。けれども、名前は顔を上げず俯いたままで動かない。言うなれば同じ人物を相手に2回フラれたも同然なのだ。すぐにいつも通りに振る舞えと言う方が無理な話である。そんな複雑な名前の胸中など素知らぬ顔で、御幸はまた名前を呼ぶ。しかも、せっかく部活に戻ろうと出口のところまで行っていたはずなのに、わざわざ名前の目の前まで戻ってきて。そこまでされて強情に俯き続けられるほど、名前の精神力は強くなかった。


「やっとこっち向いた」
「…なに?」
「なんか勘違いしてるみたいだけど、今は、無理って意味だから」
「ってことは…、」
「全部終わるまで、待てるよな?」


御幸は今回の件で気付いたのだ。自分に器用なことはできないと。野球も名前も、同時に大切にし続けることはできないと。だから、自分勝手なことを承知の上で待っていてもらうことを望んだ。名前なら断らないと信じて。
星が飛びそうなウインクとともに好きになった人からそんなことを言われて、待てません、などと答えられる人間がいるだろうか。少なくとも、名前の選択肢の中には、待てない、という答えは存在しなくて。こくりと頷くことで了承の意を示した。


◇ ◇ ◇



月日は経ち、季節は秋になった。野球部の夏は終わり、御幸達3年生はそれぞれが受験モードに差し掛かる。部活は引退しても、野球をやめるわけではない。けれども、毎日が野球漬けだった御幸にとって、急に野球ができなくなるということは大きな喪失感を抱かせた。そんな御幸の前に現れたのは、名前。
いつかと同じ、夕暮れの教室。今はまだ2人きりではないけれど、もう暫くすれば誰もいなくなってしまうだろう。そうして待つこと十数分。2人きりの時間は訪れた。


「私、ちゃんと待ってたよ」
「…そうだな」
「まだ、全部終わってない?」
「……せっかちだな、名前は」


待てるよな?と、無理を言って待たせていたのは御幸だ。その約束通り、名前は彼氏と別れて、御幸の野球部としての全てが終わるまでクラスメイトとして陰ながら応援し続けていた。最後の試合も、勿論応援に行った。最後の最後まで、結末を見届けた。そうやって漸く訪れたのが、全てが終わった今である。せっかちになってしまうのも無理はない。
がたん、と音を立てて椅子から立ち上がった御幸は、机の向こう側に立つ名前の傍に移動し、頬を撫でた。その触れ方はひどく繊細で、ガラス細工を扱う職人のよう。野球をしているごつごつとした指先なのに、心地いいと感じてしまうのは、名前が今も尚、御幸のことを変わらずに想っているということに他ならない。


「高校での野球は終わったけど、野球自体はやめねぇよ?」
「うん」
「俺はたぶん大人になっても野球をやめられねぇし、野球優先になるけど」
「そんなこと、分かってるよ。それでもいいの。一也を1番近くで応援したいだけだから」


御幸から野球は奪えない。それは最初から分かり切っていたことだし、名前は元々、野球で生き生きしている御幸を応援していたのだから、そこに関しての問題は何もない。名前にとっての弊害は何もないのだ。
けれども御幸の方はというと、気にしていることがあった。それは、自分が野球に打ち込むことで、また名前に色々なことを我慢させてしまうのではないかということ。けれども、ほんの少しの月日の間に何があったのか、名前は吹っ切れたような顔をしていて、その顔には柔らかな笑みを浮かべている。
御幸は名前に言った。お前に笑っていてほしかっただけだ、と。容姿がどうとか、そういうことではなく、御幸は名前にその笑みを求めていた。それを知ってから名前は決めていたのだ。どんな時でも笑顔でいようと。その真意は御幸に伝わったようで、つられたようにふっと笑う。


「俺のヒッティングマーチ、知ってる?」
「え。何、急に」
「狙いうち」
「…っ、」


ちゅ、と控えめな音を立てて唇に落とされたキスの直後ニヤリと笑う御幸に、名前の心臓は爆発しそうになる。悔しいことに、こんなクサいセリフにドキドキしてしまうだけに留まらず、そのヒッティングマーチが頭の中をぐるぐると駆け巡り始めたから。名前の心は御幸一也という男に、まんまと狙い撃たれてしまったのである。

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