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そして物語はゼロへ


静寂が訪れて、まるで時が止まったかのようだった。御幸先輩は、怒るでも責めるでもなく、ただ確認したかっただけだと言わんばかりに落ち着いていて、動揺している私の方がおかしいみたいに思えるけれど、実際は私の反応の方が正しいはずだ。だってあの時、御幸先輩は確かに私の嘘に騙されていた。朝起きて、私の姿を見て、驚いて。それなのにどうして、何もなかったんだろ?なんて今更きいてくるのか。
動揺は肯定に等しい。何も返さない、否、返せない私に、御幸先輩は小さく笑う。


「言ったろ?もう少し嘘吐くの上手くならねぇと、俺のこと騙せねぇよ?って」
「…いつ、から…」
「ん?」
「いつから、気付いてたんですか」
「……最初から、って言ったら、どうする?」


最初というのは、つまり、あの日の夜からということなのか。だとすれば御幸先輩は、私の自作自演もこれまで重ねてきた嘘も、全て無意味だったと。暗にそう告げたということになる。一歩。近付いてきた御幸先輩の表情は変わらない。
騙されていたのは私の方。嘘がバレやしないかと冷や冷やしていた自分が心底バカバカしい。けれども、そうなるとどうしても理解できないことがあった。それは、どうして御幸先輩が私の嘘に付き合ってくれたのかということ。最初から全て分かっていたのなら、私に真実を突き付けてそこで終わりにすればよかったはずだ。にもかかわらず、御幸先輩はわざわざ騙される演技をしてまで私の彼氏役を務めてくれた。その意図が、私にはどうしても分からない。


「どうして騙されたフリなんてしたんですか…」


また一歩。私と御幸先輩の距離が縮まる。返事はない。ただ少しずつ、開いていた距離が埋まっていくだけ。とうとう目の前まできた御幸先輩は、その身を屈めて私の顔を覗き込んできた。かつてない至近距離に、私の心臓は飛び出してしまいそうだ。


「逆にききたいんだけど、なんで俺のこと騙そうとしたの?」
「それ、は」


それはあなたのことが好きだからです。どんな汚い手を使ってでも傍にいてほしいと思ってしまったからです。
素直にそう伝えたら、御幸先輩はどんな反応をするだろう。鼻で笑われるかもしれないし、それこそ軽蔑されるかもしれない。もっとも、既に軽蔑されるようなことをしているのだから、これ以上私のことを嫌う理由なんてないかもしれないけれど。
御幸先輩は、押し黙って俯く私から目を逸らさない。俯いているから真正面から向き合っているわけではないけれど、痛いほどの視線は感じる。どう言い訳しよう。遊びだったんです、と。そう言えば良いのか。また嘘を吐くという選択肢しか思い浮かばない自分に、ほとほと嫌気がさす。


「答えられねぇの?」
「…ごめんなさい」
「謝ってほしいわけじゃねぇんだけど」
「最低なことをしたって思ってます」
「だから。俺は、理由をきいてんの」


頭上から降ってくる言葉は、的確に私の心臓を抉る。ここでまた嘘を吐いてこの場を切り抜けたとして。果たして私は後悔しないのだろうか。後悔するぐらいならいっそ、自分の気持ちを伝えてしまうべきではないか。そんな思いはあれど、実行に移す勇気はない。この期に及んで、私はまだ、御幸先輩に完璧な拒絶をされることを恐れていた。


「理由、当てていい?」
「え、」
「名字は俺のこと、」
「待って…!くだ、さい…」
「…待ったら答えてくれんの?」


こんなの、ほぼ誘導尋問みたいなものだった。御幸先輩には、嘘がバレているどころか、私の気持ちまでバレていたというのか。穴があったら入りたい。私の気持ちも下手くそな嘘も分かった上で茶番に付き合っていた御幸先輩は、一体どんな気持ちだったのだろう。信じたくはないけれど、遊ばれていたという考え以外、私には思い浮かばない。
こうなったらヤケだと、思い切って顔を上げて御幸先輩を見つめる。どうせもう気付かれていることならば。もう遅いとは思うけれど、この口で、嘘ではなく真実を奏でようと決心した。


「私は…御幸先輩のことが、好きでした」
「うん」
「だから、卑怯なことしてでも付き合えたらって…そう、思って…」
「へぇ…最低」
「……ごめんなさい」


最低と言われても仕方がないことをしたとは思うけれど、そもそも自分から騙されるフリをしていた御幸先輩だって最低じゃないか。そう考えてしまう私は、どうやら反省していないようだった。好きだから、必死になったんじゃないか。形はどうあれ、努力した結果じゃないか。沈みに沈みきっていた気持ちは、御幸先輩の一言であられもない方向へと暴走し始める。


「御幸先輩だって、私を弄んで楽しんでいたんでしょう?」
「楽しくはなかったけど」
「結局、御幸先輩も私のことを騙していたってことじゃないですか」
「まあ…そうなるかな」
「御幸先輩だって、最低、です」
「その最低な奴のことが好きなんだろ?」


意地悪く歪んだ口からは、憎たらしい発言しか出てこない。すごくすごく今更だし、こんなことを思ったら元も子もないけれど、どうして私はこの人のことが好きなんだろうとすら考えてしまう。ぐうの音も出ず言い負かされた私は、視線をふいっと逸らすことで御幸先輩から逃げた。
どうせもう、恋人ごっこは終わったのだ。それならばここにいる理由はない。きっともう、大学でも飲み会でも、御幸先輩は私に関わってくれなくなるだろう。そう思うと胸がきりきりと痛んだけれど自業自得だ。いつかはバレるに決まっていた。少しだけ夢を見させてもらっただけでも十分じゃないか。
無理やり自分にそう言い聞かせ、目の前に立つ御幸先輩を横切って玄関に向かおうとした私の足は、腕を掴まれたことによって止まらざるを得なかった。まだ話は終わってねぇだろ、などと宣う御幸先輩は、これ以上私に、どれほど惨めな気持ちを味わわせたいのか。


「名字も俺にききたいことがあったんだろ?」
「…それはもう良いです」
「なんで?」
「なんでって…きかなくても分かりましたから」
「ほんとに?」


御幸先輩がどんな気持ちで私と曖昧な関係を続けていたのか。私はそれが知りたかった。けれども、こうなってしまった以上、答えは自ずと分かる。期待を持たせるようなことを言ったのも、意味深な謝罪の言葉を述べたのも、全て私を混乱させて反応を楽しんでいたということなのだろう。そんなことをわざわざ御幸先輩の口からきくなんて、拷問以外の何ものでもない。
掴まれた腕は離されるどころか握る力を強めていて、逃げるなと言われているよう。逃げることすら許してくれないなんて、御幸先輩は本当に残酷だ。


「じゃあききます。さっきもききましたけど、御幸先輩はどうして私の下手くそな嘘に騙されてまで恋人のフリなんてしてくれたんですか?」


もういっそのこと、酷い言葉で私を貶してくれたらいい。傷付けてくれたらいい。御幸先輩のことなんて好きになるんじゃなかったって思えるぐらいに。もう一生好きにならないし、今この瞬間、嫌いになれるぐらいに。
それぐらいの気持ちで意を決して紡いだ言葉だったのに。御幸先輩の口から零れたのは、私が予想だにしていないセリフだった。


「名字と同じこと考えてたから」
「…は?」
「俺、最低だからさ」


掴まれた腕を急に引き寄せられて、御幸先輩の身体にぶつかる。何がどうなっているのか、さっぱり分からない。理解もできない。けれど、ひとつ言えることは、御幸先輩も私も相当捻くれていて、実は似た者同士だったのかもしれないということ。そしてもうひとつ。最低に最低を重ねると、もしかしたら最高になるのかもしれないということ。