×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

最後の嘘になるように


名字に出会ったのは大学2年生の春だった。学年は違えど、同じゼミになったら関わる機会はわりと多くある。ゼミ飲みなんかが頻繁に開催されていたこともあって、名字とはいつの間にか自然と会話をするようになっていた。出会った当初の印象は、記憶にない。というか、俺は基本的に誰かに興味をもって接することがなかったので、名字だけに限らず他のゼミ生のこともほとんど印象には残っていないのだ。
そんな俺が名字に興味を抱くきっかけとなったのは、本当に些細なこと。いつもの飲み会でたまたま席が隣になって、いつも通り、くだらない世間話や大学の講義に対する愚痴の応酬が続く中、名字は黙ってそれをきいているタイプだった。にもかかわらず、その日は珍しく発言していたものだから、何を話しているのか気になった。


「頑張ったかどうかは他人に判断してもらうことじゃないんじゃない?」
「でも結果が出ないと認めてもらえないじゃん」
「そうだけど。他人に認めてもらえなかったら自分で自分のこと認めてあげるしかないでしょ」
「名前はデキる方の人間だからさあ…わかんないんだよ」


具体的な話の内容はさっぱり分からなかったけれど、名字はそれ以上、何も発言しなかった。とても意外だと思った。普段は冷めているというか、どちらかというとあまり感情を表に出さないタイプで、俺に少しばかり似ているんじゃないかと思っていたから。
自分で自分のことを認めてあげる、か。過去の自分がきいたら鼻で笑ってあしらいそうなセリフではあるけれど、当時の俺には救いになり得るかもしれないと思った。
結果が全てだと思っていた。できて当たり前。期待に応えて当たり前。だからプレッシャーは半端じゃない。でも、それに応えられるだけの自信があった。認められるだけの努力も実力も兼ね備えていると。自分を過大評価しすぎていた。その結果が、今だ。俺は結局、何も掴めていない。


「御幸先輩、飲み物どうします?」
「あー…同じのでいいや。自分で頼むからいい」
「…あんまり楽しくなさそうですね」
「飯食うためだけに来てるから」
「……じゃあ1人で夜ご飯食べに行ったらいいのに」


名字とまともに、1対1で会話をしたのは、その時が初めてのはずだった。初対面の先輩にむかって、なんとも失礼なことを言うやつだなとは思ったけれど、不思議と怒りはなく。指摘されて初めて、確かにそうだよなと思ったのも事実だった。そして、俺は恐らく愛想がなくて取っつきにくいヤツだと認識されているにもかかわらず、物怖じせずそんなことを言ってくるなんていい度胸してんな、と思ったのだ。
なんとなく気になる程度。他のヤツとは違う価値観を持っていそうで、遠慮ってものを知らない。それでいて、妙に気遣いができるところは世渡り上手と言ったら良いのだろうか。名字と会話をしてからの印象は、他のヤツとは違う変な女。けれどもそれが、少し新鮮だと思ったことは否めない。
この3年間、大きな関りがあったわけではないけれど、そういう小さなことを少しずつ積み上げてきて分かったのは、名字は人のことをよく見ているということ。発言の頻度は少ないけれど、的確に的を得た正論を言う。それも、相手を傷付けないようにやんわりと。名字なら、俺の過去を知って何と言うだろう。いつしか、そんなことを考えるようになっていた自分に驚いた。
自分のコンプレックスである過去を他人に話したことはない。触れられたくないから、わざわざ高校時代のヤツらが進学しそうにない大学を選んで進学したし、大学入学以降も必要以上に他人と関わらないようにしてきた。告白されたので試しに見知らぬ女と付き合ってみたら、高校時代のことをきかれて心底不快な思いをしたので、それからは彼女もつくらないようにした。これからもそれで良いと思っていたのに、これは一体どうしたことか。自分でも自分の考えがさっぱり理解できなかった。
けれど、少し考えたら分かることだ。認めたくなかっただけで。認めるのが怖かっただけで。


「あ、の…御幸、先輩…、」
「何?」
「どういう…こと、ですか…?」


少し遠い過去を振り返っていた俺を現実に引き戻したのは名字だった。ああ、そうか。俺は名字を引き留めるために、つい自分の方に引き寄せてしまったんだった。胸元で聞こえた声で我に返り、現状を整理する。どういうことかと尋ねられても、さっき言った通りだ。
名字が俺に好意を寄せていることに気付いたのは、あの飲み会終わり、俺を送ってくれた後のこと。確かに俺は酔っていたし相当眠たかったからうつらうつらはしていたけれど、記憶を飛ばすほどじゃない。名字が家の中に入ってきたことも、そこで何をしたかも、きちんと覚えていた。途中、本当に少しの間だけ眠りに落ちて夢を見ていたような気はするけれど、眼鏡を外された時にまた意識が浮上して。好きだと苦しそうに言った名字の言葉を、俺は聞こえているくせに聞こえていないフリをして、その身体を抱き締めた。
酔っていた勢いもあったのかもしれない。けれど、そうしたいと望んで行動を起こしたのは自分で。翌朝の名字の発言には驚いたけれど、その嘘に気付かないフリをしていれば何かが変わるんじゃないかと、大切なものを手に入れられるんじゃないかと思ってしまったのだ。
自分の気持ちに確証をもてないまま期待させてはいけない。だから距離をとって、突っぱねるようなことを言った。けれども肝心なところであしらいきれない俺は、結局のところ名字のことを。そうやって遠回りをして、名字を傷付けて、認めることができた。散々振り回しておいて、ひどい言葉を浴びせておいて、なんなんだと怒られても仕方がないはずなのに、名字は大人しく俺の腕の中におさまっている。


「俺のこと好きでしたって言ったけど、あれ、過去形?」
「…違います」
「なら、良かった」
「御幸先輩は、私のことどう思ってるんですか?」
「……ごめんな、」


名字の気持ちが分かってからでなければ伝えることすらできなくて。ここに辿り着くまで傷付けて。捻くれたどうしようもない俺に付き合わせて。期待するなと言っておきながら期待を持たせるようなことを言って。けれど、一番謝らなければならないのは。名字を手放してやれないことかもしれない。


「好きだよ」
「っ、うそ、」
「これは、嘘じゃない」


好きだという感情を随分と前から忘れていた。だから思い出すのに時間がかかってしまって、こんな結果になったのだろう。掴んでいた腕を離し、徐に抱き締めた身体は柔らかくて、少し力を加えたら潰れてしまいそうだ。拒絶されるかもしれないと懸念していたけれどそんなことはなく、遠慮がちに背中に腕が回されて安堵した。
恋愛経験がゼロってわけじゃない。けれど、自分から求めたのは初めてだった。自分のものにしたいと。自分を理解してくれるのは名字だけなんじゃないかと。そう、思ったから。


「どうして私のこと…好きに、なってくれたんですか…?」
「すげぇみっともない理由だけど。ききたい?」
「はい」
「認めてほしかったんだよ」
「…はい?」
「自分だけじゃなくて、他人に」


名字はさっぱり意味が分かっていないようだったけれど、それで良い。まだ何かをききたそうな名字に、この話はもう終わり、と告げて身体を離す。さて、これからどうしたものか。何しろ元々人間関係を構築するのが苦手なものだから、そもそも今の関係は恋人同士だと言っても良いのかどうかさえ分からない。まあ仮の恋人が列記とした恋人になったからといって周りは気付きやしないのだろうから、特別何かを変える必要はないと思うのだけれど。
慣れないことをしたせいで口の中はカラカラで、そういえば喉が渇いたなと冷蔵庫の方に向かおうとしたところで、服の裾をくいっと引っ張られて立ち止まる。見下ろした先にあるのは上目遣いで見つめる名字の顔。男として、揺らがないと言ったら嘘になる。


「私達、今、両想い、ですよね?」
「まあ…そうなるんじゃねぇの?」
「それなら、」
「何?」
「…なんでも、ないです」


なんでもない、なんて顔してねぇだろ。名字は嘘を吐くのが下手だ。指摘してやったはずなのに、ちっとも分かっていない。俺にだってそれなりに経験があるのだから、両想いだということが分かって、付き合うことになって、その先に何があるのか。それぐらい分かっている。急ぐつもりはなかったけれど、これは誘われていると受け取っても良いのだろうか。
俺のシャツを摘まむ名字の手をゆっくり離し、冷蔵庫の中から取り出したペットボトルの水を飲み干す。いる?と尋ねればコクリと頷いたのでコップを出そうとして、止めた。名字に近付きペットボトルの中の水を口に含んだ俺を見て、何をされるか分かったはずだろうに、名字は逃げることもせず。俺の唇を簡単に受け入れた。
俺の咥内で生温くなった水を名字の咥内に流し込んでやれば、飲み込み切れなかった水が名字の首筋を伝っていく。水はすぐになくなってしまったけれど、唇を重ねる行為自体は続いていて、唾液を絡め合うことでお互いを求め合った。
急ぐつもりはなかったなんて、俺はとんだ嘘つきだ。だってもう、止めるつもりねぇもん。