×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

息吹くあえか


「御幸と名字って付き合ってんの?」


お酒が大好きな先輩が、またもや性懲りもなく飲み会を開いた。そう、あの日、御幸先輩にお酒をすすめまくったあの先輩だ。だから私はなんとなく嫌な予感がして丁重にお断りしたのだけれど、名字は強制参加でーす、と連れてこられてしまった。
なぜ強制参加なのか。理由は全く分からなかったのだけれど、お店に着いて御幸先輩の姿を確認して、嫌な予感が的中したことだけは悟った。案の定、私は御幸先輩の隣に座るよう促され、冒頭の質問を投げかけられたわけなのだけれど。これは、どう答えるべきなのか。
隣の御幸先輩は、そんなことかと言わんばかりに手元のビールを少しずつ喉に流し込んでいるだけで、答える様子はない。付き合ってくださいとは言ったし、了承も得た。けれども私は、人様に胸を張って付き合っていると言えるほど、今の関係に確信を持てていない。


「なんで、そんなこときくんですか?」
「御幸を合コンに誘ったら、彼女がいるから無理とか言うわけよ。彼女とかきいたことねーし、誰?ってきいたら名字って言うからさ、マジなのかなと思って」
「え、」


予想外すぎる返答に、私は隣の御幸先輩を凝視してしまった。相変わらずこちらをチラリとも見ずに唐揚げをつまんでいる御幸先輩は涼しい顔だ。
え、彼女って。本当に思ってるの?いや、肩書きだけなら彼女なのかもしれないから間違いじゃない、けど。まさか御幸先輩が自分から私のことを彼女だと言ってくれていたなんて。それがたとえ、合コンを断るための口実だったとしても、嬉しいことに変わりはない。


「で?どうなの?」
「え、と…付き合って、ます」
「な?言ったろ?」
「マジかよー!は?いつから?どっちから?」
「教えねぇよ」


ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す先輩を軽くあしらう御幸先輩は、やっぱりいつもの御幸先輩だった。付き合っていると公言してしまったら、後から面倒なことになったりしないだろうか。そんな心配をしていた私が馬鹿馬鹿しくなるほどあっさりとした暴露に、開いた口が塞がらない。
付き合っている男女らしいことは何ひとつしていないというのに(そもそも私が一方的に好意を抱いているだけだ)、これで良いのだろうか。不安は募るけれど、嬉しさが込み上げていることも否めない。


「じゃあさー、今ここでハグとかチューとかできんのー?」


飲み過ぎた先輩はこれだからタチが悪い。周りの何人かが、悪ノリやめなよー、と止めてくれてはいるけれど、諦めてくれそうな雰囲気はなくて不穏な空気が漂う。私は聞こえないフリを貫き通して、静かに席を離れた。あそこに居続けたら、悪い方向にしか話が進みそうにない。
トイレを済ませたら遠くの席に移動するか、お金を置いて先に帰ろう。そう決めてトイレから戻った私を呼んだのは、他でもない御幸先輩。おいで、とでも言うように手招きをしているその動作は、果たして本当に私に向けられているものなのか。念のため後ろを振り返ってみたけれど、誰もいないということは私を呼んでいるということで間違いないのだろう。
恐る恐る近付くと、ちょっとこっち、と手を引かれ、ぼすんと顔がぶつかったのは御幸先輩の厚い胸板。腰に回された逞しい腕。え、待って、何これ、今どういう状況?


「これで満足?」
「おー!御幸、やるねぇ!」
「え、あの、は?」


全く状況を飲み込めないまま、すっと離れていく身体。掴まれていた手も抱き寄せられていた腰もするりと解放されて、まるで今の一瞬だけが夢だったのではないかという錯覚に陥った。
けれど、身体は覚えている。少し高めの体温も、ごつごつとした感触も、ほんの少し香った男の人の匂いも、全部。夢ではなく現実なんだと思い知らせてくる。私は確かに、御幸先輩に抱き締められていたのだ。
御幸先輩にとっては何でもないこと。王様ゲームで、1番の人と2番の人がハグー!と言われて、その1番と2番が私と御幸先輩だった。だから抱き締めた。恐らく、その程度のことだ。うるさい先輩を黙らせるにはこうするのが手っ取り早かった。ただ、それだけのことだったのだと思う。
けれども私にとって今の行為は特別なものだった。今更のように熱くなってきた身体を冷やすべく近くにあった烏龍茶を飲み干してはみたけれど、当たり前のことながら熱が冷めることはない。


「名字、大丈夫?顔赤いけど酔った?」
「いえ、あ、はい」
「どっちだよ!」


近くにいた別の先輩がからかい混じりに尋ねてきたことになんとか平静を装って返答しようとはしてみたけれど、頭はまだ正常に機能してくれず。どっちつかずの反応にツッコミが入る。
顔が赤いのは、きっとお酒のせいじゃない。けれど、付き合っているのだとしたらハグぐらいでいちいち顔を赤くさせているなんておかしいと思われてしまいそうで。私はしどろもどろになりながらも、その場をなんとか取り繕った。
私と御幸先輩のイジリはいつの間にか終わってくれたようで、それからは普通に飲んで食べて時間が過ぎる。私は胸がいっぱいで、いつもなら勿体ないからとたいらげる食事をほとんど食べることができなかった。それに気付いた友達の、体調でも悪いの?という声かけには曖昧な笑みで答えつつ、漸く時間になったようなので席を立つ。


「御幸は名字を送ってから帰るだろ?」
「あー……そうだな」
「え、大丈夫ですよ。今日そんなに飲んでないですし」
「彼氏に送ってもらいな〜?」


明らかにからかう気満々の友達を睨みつつ、私はそそくさとお店を出た。付き合っていると公言したとは言え、本来の関係はそんなに甘ったるいものではない。だから、変な期待はしちゃいけない。何度もそう言い聞かせてきたのに。


「近いし同じ方向だろ。ついでだから送る」
「…でも、」
「一応カレシ?なんで」


私はいとも簡単に、御幸先輩に絆される。期待するなと言ったのは御幸先輩の方なのに。なんで、そんな、期待させるようなことを言うのか。何にせよ、帰るぞ、と声をかけられてしまえば私が断る理由なんてない。
私はその場にいた先輩や友達の生温い視線を感じながらも、先を歩く御幸先輩の背中を追った。御幸先輩は、どういうつもりで先ほどの時間を過ごして、あんな言動をしてみせたのだろう。
お店から離れて、人の行き来も少なくなってきた頃。私は、あの、と声をかけた。何?と言いながらも、その足が止まることはない。


「なんであんなこと言ったり…したり…したんですか?」
「俺達って付き合ってるんじゃなかったっけ?」
「そう、ですけど…、本当は違うじゃないですか…」
「何が?」
「え?」
「何が違うの?」


何が、って。しいて言うなら、この関係全てが、だ。本当は、付き合うような関係じゃなかった。御幸先輩は、私の嘘に騙されて仕方なく彼氏の肩書きを背負わされている。それなのに、この反応はなんだ。まるで私の方が間違えている、みたいな。この、ボタンをかけ間違えているような感覚は。
いつの間にかお互いに足を止めていて、数歩先を行く御幸先輩は私の方を振り返った。薄暗い電灯の下、かろうじて見える御幸先輩の眼差しは、確実に私に向けられている。


「だって…私のこと、本当に彼女だって思ってないですよね…?」
「名字がそう思うならそうかもな」
「期待するなって言ったのは御幸先輩の方じゃないですか…」


口からぽろりと零れ落ちていった言葉に、御幸先輩は何も言わなくて。けれども、数秒後、私との間にあった距離を埋めるべく近付いてきたと思ったら、ごめんな、と。ただそれだけ、呟いた。
何に対する謝罪なのだろう。期待させて、ごめん?こんな関係で、ごめん?それとも、他の何かに対する、ごめん?
形だけでもいいからと、今の関係を望んだのは私なのに。こんなに苦しくてモヤモヤとした感情を持て余すぐらいなら、嘘なんか吐かなければ良かった。そう思った直後、帰るぞ、という言葉とともに掴まれた手。居酒屋の時と同じ。きっと御幸先輩は早く帰りたくて私の手を引いているだけ。そこに特別な意味なんてないのだろう。
嘘を吐いてでも、肩書きだけでも、御幸先輩の特別な存在になれて良かった。掴まれた手から伝わる熱が、私をそう思わせる。御幸先輩は、私の気持ちに気付いているのかな。気付いているから、こんなことをして弄んでいるのかな。それとも、何も気付いていないから何も考えずにこんなことをしているのかな。
どちらにせよ、御幸先輩に本当のことを言えない私は、彼を責める資格などない、ただの臆病な卑怯者だ。