×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

知らなければ救われたのか


元々、大学で御幸先輩と会うことは少なかった。だから必然的に学内で会話をすることはほとんどないわけで。仮初めとは言え付き合い始めて早2週間、私の生活が大きく変化することはなかった。もっとも、会う頻度が多かったとしても、私と御幸先輩のやり取りは何も変わっていなかったと思うけれど。
2限目の授業が終わり、私は友達3人と食堂へ向かっていた。たまにお弁当を作ったりもするけれど、お昼ご飯はほとんどこの食堂でお世話になっている。昼休憩真っ只中の食堂内は人で溢れていて、席はなかなか見つかりそうにない。とりあえず先に食券を買おうと券売機の列に並びはしたものの、順番が回ってきた頃には確実に座る場所は確保できなくなっているだろう。
というわけで、食券の購入は1人の友達にお願いし、私はもう1人の友達と席探しに繰り出した。2人なら座れそうなところがチラホラあるのだけれど、3人で、となるとなかなか見つからないもので、私達は途方に暮れる。そんな時だった。


「名字?」
「はい?」


背後から聞き覚えのある声に呼ばれて振り向けば、そこには椅子に座っている御幸先輩の姿があった。決して太っているわけではないけれどさすが男の人と言うべきだろうか、御幸先輩は大盛りのカツ丼定食を食べようとしていたところらしく、その手にはしっかりと箸を持っている。


「誰か探してんの?」
「いえ、席を…探してまして…」


と、言っている途中で気付いた。御幸先輩の目の前の席が空いていることに。生憎、空席はそのひとつしかないけれど、私がここに座って友達2人が他のところに座れば万事上手くいくのではないかという名案が浮かぶ。
私がその空席を食い入るように見つめていたからだろう。御幸先輩は全てを察してくれたようだった。


「そこ、座れば?」
「良いんですか?」
「元々そのつもりだっただろ」
「…バレてました?」
「バレバレ」


となると話は早い。私はお言葉に甘えて御幸先輩の向かいの席に座らせてもらうことにした。友達は少し離れた位置に空いていた2人分の席を確保しに行ったので、これで3人とも、お昼ご飯は無事に食べられるだろう。
御幸先輩に席のキープをお願いし(と言ってもわざわざひとつしか空いていない席に誰かが座る可能性は限りなく0に近いのだけれど)、友達が代わりに購入してくれていた食券を受け取りに向かう。あとは食券を出し、おばちゃんが作ってくれたオムライスを受け取って席に戻るだけだ。
暫く友達とは離れてしまうけれど、普段大学内で一緒になることのない御幸先輩と、偶然とは言えお昼ご飯を食べられるのだから、今日はツイているのかもしれない。先にカツ丼を食べ始めている御幸先輩の正面で、私もオムライスを頬張る。うん、美味しい。


「すげぇ幸せそうに食うよな」
「え?そうですか?」
「そんなに美味いの?」
「美味しいですよ。食べます?」


なんて、ノリできいてみた。いらねぇよ。そう言われるのが分かっているから。けれどもそこで予想外のことが起こった。


「じゃあ一口」
「えっ」
「え」
「いるんですか?」
「そっちがきいてきたくせに」


そうだけど。でも、まさかいるなんて言うと思わないじゃないか。私の食べかけだし、スプーンひとつしかないし。いや、間接キスとか、そんなこといちいち気にするような子どもじゃないけど。御幸先輩は、良いのだろうか。
戸惑っている私を見て、御幸先輩は眉を顰める。違うんです、オムライスをあげたくないとかそういうわけじゃないんです。私の食べかけで本当に良いのかなって気になってるだけで、決して嫌がっているわけではないんです。
そんな心の声は勿論きこえない。悩みに悩んだ結果、私はおずおずと自分のスプーンを御幸先輩に差し出した。御幸先輩は特に何も気にすることなくそれを受け取ってオムライスをパクリと口に含みスプーンを私に返す。もぐもぐと咀嚼して、ゴクリと飲み込んだ後、御幸先輩が言ったのは。


「俺が作ったやつの方が美味い」


なんとも辛口な批評だった。御幸先輩、やっぱり料理が上手なんだ。そこで思い出したのはあの日の朝のこと。私のために用意してくれた朝食は、確かに美味しかった。途中からあんまり味を感じられなくなってしまったけれど。


「御幸先輩、料理上手なんですね」
「上手いかは知らねぇけど昔からやってたからな」
「…食べてみたいな」


目の前にあるオムライスを見つめながらポロリと零れた本音。それは本当に、ごく自然に口から零れ落ちてしまったもので、口走るつもりは毛頭なかった。はっと気付いた時には既に御幸先輩の耳に聞こえてしまっていて、もうどうすることもできない。


「なーんて、冗談ですよ。このオムライス十分美味しいですもん」
「…あ、そ」


私の下手くそな取り繕いに気付いているくせに、御幸先輩はそれ以上何も言ってこなかった。ほんの少しでも期待した自分が馬鹿だった。今度作ってやるよ、とか。食いにくれば?とか。そんなことを言ってもらえるんじゃないかって。有り得ないのに、もしかしたらを望んでしまったのだ。
惨めな気持ちが溢れ出してきそうになるのを必死に抑え込むように、オムライスを口の中に放り込む。美味しい、うん、美味しいもん。


「もう少し嘘吐くの上手くならねぇと、俺のこと騙せねぇよ?」
「…そんなの上手くなりたくないです」


それに、あなたはとびっきりの嘘に気付いていないじゃない。だからこんな面倒なことになっているってこと、分かっていないんでしょう?そんな私の心の中での呟きなど、御幸先輩は知る由もない。


「言ったろ、変な期待すんなって」
「…分かってます」
「ならそんな顔すんなバーカ」


悪態を吐いて立ち上がった御幸先輩はどうやら食事を終えたらしく、私を置いて行ってしまうようだった。一緒に食べる約束をしていたわけじゃないのだからそりゃあそうか。それにしても、バーカって。そんなにひどい顔をしていたのだろうか。
ポーカーフェイスは割と得意な方だった。今まで、嘘が下手だと言われたことはない。御幸先輩が相手だと全部上手くいかないだけだ。
肩書きだけの彼女だと、これはただのおままごとなのだと、あの日何度も自分に言い聞かせたくせに、もしかしたら、を望んでしまう自分が堪らなく惨めだった。だから気を紛らわすためにオムライスを掻き込んだというのに。俯く私の頭を乱暴に撫でたのは私の心を埋め尽くしている御幸先輩だったから、押し込めようとしていた気持ちが溢れ出してしまう。


「早食いの練習でもしてんのかよ」
「…違います。ていうか、なんで戻ってきたんですか?」
「誰かさんが1人だと死にそうな顔してたから仕方なく?」


何とも思っていないくせに簡単に私に触れて、悪戯に表情を緩ませる。正面の席に再び座り、今時珍しいガラケーをいじる御幸先輩が一体何を考えているのか。私にはさっぱり分からなかった。分からなかったけれど。私は単純すぎることに、気持ちをふわふわと浮上させてしまうのだ。


「御幸先輩って意外とお人好しですよね」
「は?」
「今もなんだかんだで私のこと気にかけてくれてますし、あの日の飲みの時も、絡まれて嫌ならあしらえば良かったのに、付き合ってあげるから飲みすぎちゃったわけじゃないですか」
「……お人好し、ね」


緩んでいた御幸先輩の表情が、陰る。もしかして地雷だったのかな、と思ったところで、言ってしまった後ではどうすることもできない。


「俺はそんなにイイヤツじゃねぇから」
「そう、ですか…」
「次、授業あるんじゃねぇの?友達は?」
「あ!そうだった!」


すっかり友達の存在を忘れていた私は、慌てて2人の席の方を振り返る。どうやら食べ終わったばかりのところだったようで、そろそろ行く?とアイコンタクトを取った。


「あの、御幸先輩。席、ありがとうございました」
「別に俺の席じゃねぇし」
「一緒に食べてくれたのも、嬉しかったです」
「……あ、そ」


勇気を振り絞ってほんの少し素直になってみたけれど、御幸先輩の反応はやはりというべきか素っ気ないもので。それでも、またな、と言ってもらえただけで胸を躍らせる自分が滑稽だった。
その後、友達に御幸先輩のことを尋ねられたけれど、彼氏だと言ってもいいものか分からなかった私は、ゼミの先輩、という、当たり障りない答えを返す。そういえば先輩、1人でお昼ご飯を食べてたけど友達いないのかな。
なんとなく、先ほど座っていた席に視線を向けてみる。すると御幸先輩の周りには数人の男女。ああ、もしかして私達と同じで分かれて食べていたのだろうか。だとしたら、とんだ邪魔をしてしまったな。御幸先輩は何も言ってこなかったけれど、もしかして私に気を遣わせないように配慮してくれていた、とか?
分かっている。こんなの、私の希望的観測でしかない。けれども、やっぱりお人好しじゃん、と思ってしまったから。私はどうも御幸先輩に期待しすぎなのかもしれない。期待するなって、言われ続けているのに。私は、どうしようもなく愚かで救いようのない女だと、自嘲するしかなかった。