×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
クライ・クライ・クライ
牛島君と来てくれたあの日以来、英太はうちに来なくなった。私が傷付けるような態度を取ってしまったから、もう愛想を尽かされてしまったのかもしれない。けれど、もしも記憶が戻ったら、きちんと目を見て謝れるような気がするから。
珍しく土曜日の休みをもらうことができた今日、私は英太との記憶を探るべく、まずは自分のスマホの写真をチェックしてみることにした。仲が良かったというなら、写真ぐらい撮っているかもしれない。そんなこともっと早くに確認できただろうと自分でも思うのだが、わざわざ過去の写真まで見ようという気にはならなかったのだ。
職場の同僚との写真や、どこかのカフェで撮ったランチやスイーツの写真が並ぶ中、私は漸く英太の写真を見つけた。これは水族館だろうか。背後に大きな水槽らしきものが写っていて、英太は柔らかくこちらに微笑みかけている。こんな顔、するんだ。画面の中の英太は、事故後に知る英太とはまるで別人みたいに幸せそうで、いつかと同じように胸が締め付けられた。
何枚か水族館のイルカやペンギンの写真が続いて、次に出てきたのは私と英太が仲睦まじく笑っている写真。自分でも驚くほど幸せそうに笑っていて、一瞬別人ではないかとすら思った。友達というより恋人のように見えるそれを見ても、私の記憶には全く身に覚えがなくて、愕然とする。
どうして何ひとつ思い出せないんだろう。覚えていないんだろう。こんな表情をしてるってことは、絶対に大切な人のはずなのに。
私はそれからも必死に英太との思い出を探した。高校時代のアルバムや大学時代に撮った写真を引っ張り出して確認すると、それら全てに英太がいて、その隣には常に、それが当たり前であるかのように笑う私がいた。
こんなにずっと一緒だったんだ。私も英太も、こんなに幸せそうに笑ってたんだ。見れば見るほど胸が苦しくなってきて、視界が滲む。こんなにも沢山の思い出を見つけたのに、それでもまだ、私は何も思い出せない。きっとすごく大切で大きな存在だったはずなのに。
そこで私ははっとした。英太は私が尋ねたことには答えてくれたけれど、自分からは何ひとつ言ってきていない。事故に遭ってからの1ヶ月と少しの間、ただひたすら傍にいてくれただけで、無理矢理記憶を呼び起こそうとすることもなければ、思い出せない私を責めることもなかった。
仲が良かったなら、きっと、記憶のない私の傍にいることは相当辛かったはずだ。それでも英太は何も言わず、一生懸命笑ってくれて、優しい言葉を沢山投げかけてくれた。どうして何も言ってこなかったのだろう。きっとそれは、英太が私のことを想ってくれていたからだ。わけもなく、そう思った。
もし無理矢理記憶を元に戻そうとすれば、私が苦しむかもしれないと、そう考えてくれたのだろう。何も言わないことが、彼なりの最大の優しさだったのかもしれない。そんな優しさに今まで気付かずに、私は英太に甘えてばかりだった。
私と英太がどんな関係だったのかは分からないし、いまだに何も思い出せない。けれど、私はいつの間にかボロボロ泣いていて、その涙の理由が英太に対する気持ちなのだと気付いてしまった。ごめん、ごめんね、英太。私、全然何も思い出せないの。それなのにどうしてだろう、英太に会いたくてたまらない。
私は居ても立っても居られなくて部屋を飛び出すと、台所にいるであろうお母さんの元に走った。お母さんは泣きながら走ってきた私を見てひどく驚いていたけれど、そんなことを気にしている場合ではない。


「お母さん、」
「どうしたの?どこか痛いの?」
「違うの、あのね、私、英太に会いたい」
「…英太君に…?」
「そう。会って、伝えたいことがあるの」


嗚咽とともに言葉を紡げば、お母さんは再び目をまん丸くさせて驚く。そりゃあそうだろう。冷静になって考えてみれば、泣きながら英太に会いたい、なんて言うなんて、気が動転しているとしか思えない。


「もしかして、思い出したの…?」
「ううん…何も、思い出せない。けど、どうしても、英太に会いたいの」
「名前…、」
「私ね、お母さん…英太のこと、好きになっちゃったの…こんなの、おかしいよね、何も覚えてないのに、記憶、ないままなのに、でも、私、」
「名前、もういいから。分かったから…」


お母さんはなぜか涙ぐみながら、私のことを優しく抱き締めてくれた。そして、英太の家の住所を教えてくれた。


「お母さん、ありがとう」
「…後悔しないようにね」


涙を拭って優しく笑ったお母さんに見送られ、私は急いで家を出た。向かうのは勿論、英太の家だ。顔は涙でぐしゃぐしゃだし、行ってから何をどう伝えたら良いのかもまとまっていないけれど、今はただ、英太の顔が見たい。私はその一心で、走り続けた。


◇ ◇ ◇



名前の名前を呼んでしまったあの日から、俺は名前に会うことが怖くなってしまった。名前に、英太、と呼ばれたら、俺はきっと駄目だと分かっていながら、衝動的に名前を抱き締めてしまうような気がする。そんなことをしたら、記憶の戻っていない名前は俺のことをどう思うだろう。拒絶なんてされたあかつきには、立ち直れない自信がある。そんなわけで、意気地も度胸もない俺は、名前に会いに行けずにいた。
仕事が休みの土曜日。休日と言えば名前と2人で過ごすのが定番と化していたから、1人だと何をしたら良いのか分からない。無駄に広く感じる部屋でぼーっとしていると余計に虚しくなってきて、このまま1人で暮らすなら引っ越しも考えないといけないなあ、同棲始めるからって契約したばっかりなのになあと思っていた時だった。訪問者を告げるチャイムが鳴って、俺は僅かに驚く。一体誰だろう。
何の警戒心もなくゆっくりと玄関のドアを開ければ、そこには息を切らしている名前がいた。俯いているからよく見えないけれど、その瞳は赤く染まっているように見える。なんで、こんなところに。そう思うより先に、なんで、泣いているんだろう。そんな疑問を抱いた。


「えい、た、」
「……っ、」


息も絶え絶えに名前が俺の名前を呼んだ瞬間、心臓がぐしゃりと潰されたような気がした。なぜ泣いているのかは分からないが、無性にその身体を抱き締めたくなって伸ばしかけた手を、ギリギリのところで止める。駄目だ、触れたら、歯止めが効かなくなってしまうから。
俺は玄関先で息を整えながら俯いている名前を追い返すことなんてできなくて、入れよ、と言ってしまった。同じ空間に2人きりでいたら、事態が更に深刻化することは目に見えていたけれど、俺にはそうすることしかできなかったのだから仕方がない。


「お邪魔します…、」


自分の家なのにそんなことを言いながら入ってくる名前がひどく滑稽に思えて、こんな時なのに笑ってしまった。背後にいる名前にはその表情なんて見えていないだろうけれど、俺は咄嗟に口元を隠す。
振り返れば名前は物珍しそうに部屋の中をキョロキョロと見渡していて、それがどうしようもなく切なかった。お前もここにいたんだよ。これからもずっと、ここにいるはずだったんだよ。そう言おうとして、慌てて言葉を飲み込む。名前が思い出すまで何も言わないと決めたのは自分じゃないか。そう、言い聞かせた。


「なんで、ここに?…なんで、泣いてんだよ…」


俺の問い掛けに、名前はとても綺麗に微笑んで。頬につうっと雫を伝わせながら言葉を紡いだ。

最初