12
その日の夜更け。
眠る気分になれず部屋を出ると、視界に薄紫の花びらが映った。花びらは雪のように消えたり、赤く火の粉を放って姿を消したりしている。それを追って視線を向けると、向かい斜めの部屋から幻想じみたものが溢れているのを見つける。
この部屋は、ファウストの部屋だ。
ファウストの部屋の前に立ち、ノックをしてみるが、反応は無い。ドアノブを引いてみるが、結界が張ってあるようで開きはしない。しかし、扉から火を吹くように炎が漏れ出している。
ターリアは呪文を唱え、そっとファウストの部屋に入り込んだ。
ファウストの部屋は、業火で焼かれていた。ファウストのいる寝台を中心に広がっているが、ファウスト自身に問題は無い。あたりの壁には懐かしい記憶が映し出されている。そこには、昔の自分の姿やファウストやレノックス、そしてアーサーとよく似ているアレクの姿も見える。そして、花のように笑顔を浮かべていたファウストの姿も、映しだしていた。
「・・・・・・懐かしい夢ね、ファウスト」
映し出されたものが夢であると、すぐに悟った。
ファウストが見ている夢が溢れている。おそらく、これが彼の厄災の奇妙な傷なのだろう。
ターリアは寝台に近寄り、眠るファウストを覗き込む。触れえば目覚めてしまうかもしれない。ターリアはそっと手をかざし、呪文を唱えようとした。その時、扉の向こうで見知った呪文が唱えられ、扉が開いた。
入ってきたのはフィガロとレノックスと賢者だった。部屋の光景に驚きながらも、先に部屋にいたターリアに驚いている。
「ターリア」
「ターリア様、ファウスト様は・・・・・・」
「しぃ――」
ターリアはそっと人差し指を立てる。ファウストが身じろいだのを見て、三人とも言葉を飲み込んだ。
フィガロに促され部屋から退出し、夢が溢れないよう改めてファウストの部屋に結界をかけ、四人は中庭へと足を運んだ。
「あれが、ファウスト様の厄災の奇妙な傷でしょうか」
「そうでしょうね。ファウストが嫌がりそうだわ」
「ターリア、きみは何故」
「たまたま部屋を出たら、溢れている夢に気づいてね」
溢れているのは、記憶ではなく夢だ。映し出された光景には、実際にはなかったものもある。願望も混ざっているのだろう。
ファウストは人間アレクと共に、魔法使いと人間が共存する理想郷を目指し、革命軍を起こした。それにはファウストの師であるフィガロや彼の従者だったレノックス、そして彼らが見た理想に惹かれ手を貸したターリアも参加した。そして中央の国を建国したが、アレクは側近に唆され、魔法使いたちを処刑した。
「黙っていれば、夢の中のことだ。判断は賢者様に任せるよ」ファウストに告げれば、彼は此処を出ていくだろう。強い結界を張ってまで此処に残る理由もない。
「・・・・・・レノックスもそれでいいんですか?」
「・・・・・・俺は伝えて差し上げて欲しいです」
フィガロの言葉を聞き、賢者はレノックスに尋ねる。ふたりの意見を聞き、賢者は顔を俯かせて真剣に考えた。
「賢者様。どうか、あの子を思って、その選択をなさってください」
最後に、ターリアが述べる。
賢者はひとりひとりに視線を送りはい、としっかりと頷いて見せた。
● 〇 ●
賢者と、賢者を部屋へと送るレノックスを見送ったフィガロとターリアは、中庭に残っていた。
「賢者様はたぶん、話すだろうね」
「そうね。賢者様は真摯に私たちに向き合ってくださっているから」
賢者に出逢ってまだ日も浅いふたりだが、この数日で賢者の人となりをそれなりに理解していた。真直ぐと自分たちに向き合ってくれるその姿勢に、僅かばかりでも信頼を寄せていた。
中庭にある噴水の水が跳ねる音が、夜に響く。穏やかに流れる水音に身をゆだねていた。
「ねえ、ターリア」
ふと、沈黙を破ったのはフィガロだった。隣を見上げてみるが、フィガロは視線を合わせない。黙ってフィガロを見上げながら次の言葉を待つ。フィガロは視線をさまよわせた後、困ったように笑った。
「きみは、――――気づいているかな」
要領の得ない話だ。
いまだこちらに視線を向けないフィガロを見つめたまま、ターリアは応える。
「話してくれなきゃ、わからないわ」
フィガロはうん、そうだよね、とフッと笑う。地面を見つめたままのフィガロはふぅ、と息を吐くと、困ったように笑いながら、ターリアを見つめた。お互いの瞳に、自分の姿が映っていた。
「ターリア、俺はもうすぐ――――石になるよ」
静寂が、支配した。水飛沫の音が、やけに響いた。お互いを見つめ合って、どれくらい時間が過ぎただろう。
目を伏せた、呼吸を確かめるように、吐息を零したターリア。再びフィガロを見上げた時、何とも言えない表情を浮かべていた。
「あなたに、呪いを贈ってあげる」
最期の贈り物をするように、ターリアはそのまま笑んだ。忌々しい月を背後に照らされた光景が、やけに目に焼き付く。音もなく、そっと唇が開かれた。
「――――あなたが、わたしを置き去りにするのね」
息をすることすら忘れたように。フィガロは言葉を失くし、息を飲んだ。目の前に映る彼女は、少し悲しそうに、微笑んでいた。
フィガロは思わず両手を伸ばした。そうして腕を捕まえ、どうすることもできなくなって、そのまま包み込むように、そっと腕をまわした。お互いの額に、額を触れ合わせる。まだまだ幼かったころに、よくしていた仕草だった。
ふたりは言葉のないまま、立ち尽くしていた。