平行線上の到着点



長年生きてきた故郷を捨てた――


魁は1人、森の中を歩いていた。裾の長い着物や下駄は、草木の多い森の中を歩くには幾分か不便だった。もうずっと森の中を歩いているが、慣れない場所のせいか、一向に抜け出せず、森はどんどん薄暗く深くなっていく。

人とは違う角を見せぬようにと被った被衣を持ち上げ、空を見上げた。太陽はもう傾いていた。


時が流れるにつれ、時代は変わり、人も変わっていく。人間と共存しひっそりと生きてきた我ら妖は、少々生き辛い世となった。日に日に数を減らしていき、すっかり閉鎖的になった者も多い。

魁はそんな故国に見切りをつけ、島を出て遠い異国へ足を踏み入れた。故国に残した友人の2人が少々気がかりだが、自分に折り合いをつけるためにも、魁は1人で故国を出ることを決めた。


「そこの者、止まるが良い」


音もせず、背後から突然止められた。気配は感じなかった。
木から飛び降りたそいつは背後に立つ。魁は立ち止まり、振り返らずに視線を少し背後へ移した。


「これより先は茨の谷。何用があって此処へと近づいた」


少々威圧のある声色だ。
被衣で顔を隠しながら、それを透かしてその者に視線を向ける。


「ああ、それはすまない。何分、異国に足を踏み入れたのは初めてで、右も左も分からないのでなあ。許してくれ」


郷に入っては郷に従え。無知のまま足を踏み入れたこちらに非がある。魁は穏便に済ませるため、詫びを入れた。
するとそいつは「ふむ、旅人であったか・・・・・・」と少々考えるようなそぶりを見せた。

「その服装から予想するに、おぬしは東の者じゃな?」魁の頭からつま先を見て、そいつは問いかける。「ああ、そうだ。此処から最も東の地にある島国の出だ」その問いかけに正直にうなずけば、そいつは「そうか」と相槌を打つ。


「それで。何故、おぬしの”ような者”が遠い異国へ足を踏み入れたのじゃ?」


「おぬしは人間ではないじゃろう」確信を得ているように、そいつは薄く笑みを浮かべながら続ける。「人に聞くなら、まずは自分からというもの。おまえこそ”なん”だ」被衣を透かし、魁は目をスッと細めてそいつを見た。魁の言葉に「それもそうじゃな」と納得し、そいつは警戒を解き、笑みを浮かべた。


「わしはリリア・ヴァンルージュ。此処の先にある茨の谷に住む妖精族の1人じゃ」

「妖精族? それはなんだ?」

「おお、妖精を知らぬのか。一括りに説明することはできんが、人ならざる者であり、魔力に優れた者じゃ」

「まりょく・・・・・・ふむ。よくわからんが、異国にはそういったものがいるのか・・・・・・」


我らと全く違う生き物なのか、それとも解釈のされ方が違うだけなのか。今の状態では分からないが、やはり大地の広い大陸だ。知らないものがたくさんある。

「では、次はおぬしの番じゃぞ」リリアはニコニコと笑いながら言い放つ。「その被り物を退けてくれると、なお嬉しいのう」などと、出会ったばかりだというのに気安いことを言う。害がないと判断したのか、最初の威圧感のある警戒はすっかり解いたようだ。

魁はリリアの要望に少々悩みながらも、ゆっくりとリリアと向かい合うように振り返り、そっと被衣を下ろした。そして真っ直ぐと目の前のリリアを見つめる。


「わっちの名は魁。鬼の妖だ」


簡潔に述べ、目の前のリリアを見つめる。リリアは魁の姿を見るなり目を丸くし「これは、驚いたのう・・・・・・」とぽつりと呟いた。リリアの視線は魁へ、というより魁の額から伸びる2本の角に向けられていた。「ふむ、魁・・・・・・か。珍しい響きじゃ」というリリアに「お前さんもな」と返す。異国の者同士なのだ、響きは珍しいに決まっている。


「おにのあやかしと言ったな。それはどういった者じゃ?」

「一言では言えんが、妖は東の地に古来から住まう人ならざる者で、長寿であることと妖力という力を持つことが特徴だな。わっちはそのなかで『鬼』と呼ばれる存在だ」

「なるほど。あやかしもようりょくも初めて聞く単語じゃが、大方わしら妖精と同じような存在のようじゃ」


「そうみたいだな」魁は頷きながら片手を出し、宙から煙管を出した。それに口をつけ、吸い込み、フゥ・・・・・・と煙と共に息を吐きだす。どうやら長くなりそうだ。

「おぬしは旅をしに故郷を出たのか?」リリアは魁という存在に興味を示したらしく、多くを聞き出そうとする。「時代が移り変われば、人も移り変わる」フゥ、と息を吐きだして遠い空を見上げた。「我ら妖にとって、生き辛い世となってな・・・・・・」呟くように魁は言った。「それは・・・・・・災難であったのう。辛かったであろう・・・・・・」リリアのそれは、ただの同情とは違った。心からその言葉を吐いていた。


「おぬし、どこか行く当てはあるのか?」

「いや、全く。ここ数日ふらふら歩いているよ」

「なら、わしの所へ来ると良い!」

「・・・・・・・・・・・・は?」


思わず目を丸くし、素っ頓狂な声が出た。一方リリアは「名案じゃ!」とでも言うようにニコニコしながら言っている。

「・・・・・・わっちらは、たった今、出会ったばかりなんだが?」最初は警戒していたというのに、清いほどの手のひらの返しようだ。害がなければ易々と引き入れるとは。「そうじゃのう。じゃが、おぬしとは良い関係が築けそうな気がしてなあ」そんなことを想う魁など気にせず、リリアは言ってのける。「何より、わしがおぬしと仲よくしたくてのう!」リリアという者は、気が軽いらしい。魁はため息を落とした。


「それに、是非おぬしを会わせたい子がおってな」

「・・・・・・わっちと会わせたい、だと?」

「うむ!」


リリアの話を聞くと、会わせたい子というのは茨の谷を治める次期王――つまり王子らしい。妖精族の末裔で、形状は違うが自分と同じ角を持つという。その子はまだまだ幼子で、大事な跡取りということで外に出て見識を広めることができていない。外の世界に触れる機会、そして見識を広めさせるためにも、是非会ってほしいという。そして、願わくば良き友人になってほしいと。

リリアはその子のお目付け役らしく、赤子の頃から面倒を見ていたらしい。


「わっちも小さな島国でしか生きたことはない。見識を広めるには狭すぎる」

「それでも、茨の谷しか知らぬ子にとっては壮大じゃ。おぬしの時間が許す限りで良い。会ってみてはくれぬか?」


そんな言い方をされてしまっては断りづらい。魁は悩みながら、リリアに言う。「郷に入っては郷に従え、というが・・・・・・次期王だからと媚び諂い敬うなどできんぞ」正直、そういう上下関係は面倒くさくて嫌いだ。そう言うとリリアは大笑いをして「良い良い! むしろその方があやつにとっても面白いじゃろう!」と受け入れた。王とかよく知らんが、それで良いのか。


「おぬしはわしの客人として向かい入れよう。文句を言う奴などおらんじゃろう。気楽に過ごしてくれ」


フフフ、と楽しそうにリリアは笑みを浮かべる。今までのリリアの性格を見ると、案外気の合う相手かもしれない、と魁は思った。どうせ行く場所もない。気の向くまで、そして追い出されるまでは良いだろう。時間は有り余るほど、ひどく永いのだから。


「よろしく頼むぞ、魁」

「そっちこそ。よろしく頼む、リリア」