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第四話


「そろそろ行きましょうかね」


 壁にかけられた時計を見て、シャイロックはそう呟いた。外は日が沈んで暗く、時計の針は夜を指している。

 今日は朝からムルが訪ねて来ていた。事前に話を聞いていないシャイロックにとってはいい迷惑だったが、それを言うほどムルとの関係は浅くない。こんなことはいつものことだから、気にするだけ無駄なのだ。

 ムルは今回、遊具をたくさん持ちこんできた。カードゲームやボードゲームで、今日は彼女と遊んでみて、彼女の思考や知性をはかってみるそうだ。シャイロックもそれに付き合って、一日中三人で遊んでいた。

 そうして気づけば、いつの間にか日は沈んで、夜になっていた。シャイロックは、そろそろ酒場の開店時間になることを確認して、遊んでいたボードゲームから手を引く。


「ムル、貴方も行きますよ」
「そうだね、君が作るカクテルも恋しくなってきた」


 彼女と二人きりにさせるのを避ける意図も含んで呼びかければ、今日の目的は達成されたこともあって、ムルは素直に頷いた。そしてくるりと指を回せば、魔法で部屋に散らかった遊具たちは片付けられ、ぱっと姿を消す。

 彼女は水槽から、仕事へ向かう準備をするシャイロックと部屋を片付けるムルの姿をぼんやりと眺めていた。一緒に遊んでいたのに、突然その手を止めてしまうから、それが不思議でならない、といった様子だった。そんな彼女に、準備を終えたシャイロックがいつものように微笑みかけた。


「それでは、良い子にしているんですよ」


 濡れた髪を撫でて、シャイロックはにこりと笑む。その姿は、幼い子供に留守番を言い渡す姿に似ている。頭をひと撫ですると、シャイロックはそのまま背を向けて扉に向かって歩き出した。その後をムルが追うように付いて行く。背後で水が跳ねる音が聞こえたが、それに振り返ることは無く、ぱたりと扉は閉められた。






 部屋を出た二人は、酒場へ向かいに階段を降りていた。

 独り身であるシャイロックは、酒場を経営していることもあって、一軒家は持たず酒場の二階に生活スペースを作って暮らしていた。一人暮らしであるなら十分な広さがあり、だから彼女の水槽も部屋に置くことができた。


「本当に、彼女は君に心を開いているね」


 シャイロックに続いて階段を降りながら、ムルは改めてそう言った。

 突然、なんの前触れもなくそんなことを呟くから、シャイロックは一度足を止めてムルに振り返った。そんなムルも、二階の扉を振り返っていて、シャイロックは再び前を向いて階段を降りはじめる。


「私が彼女を拾ったからですよ」
「でも君が拾わなかったら、彼女は心を閉ざしていたんじゃない」


 足を止めていたムルも再び階段を降りはじめた。

 ギシ、ギシ、と木材で出来た階段は、体重が乗るたびに軋む音を響かせる。


「彼女は珍しいからね。西の国なら、貴族たちの見世物になるのがオチだ」


 そうですね、とシャイロックは同意を示した。

 これには頷くことしかできない。シャイロックも、初めて彼女を見つけた時にはそれを危惧していた。

 西の国の人々は、自分やムルを含めて快楽的で刺激的なことを好む。そんな生き方を気に入っているし、悪いことだとは思わない。良くも悪くも、自分に正直なのだ。けれど、自分の快楽を満たすために優美でも無い下品なことをするのは嫌いだ。

 今思えば、彼女を見つけたあの日、彼女を保護して良かったと心から思う。あんなにも美しい彼女が、そんな人間たちに消費されるのは、どうにも許せそうになかった。


 ――ガシャンッ!!


 その時だ。突然、二階から大きな物音が響いた。

 思わずシャイロックとムルは足を止めて、階段の上階に振り返った。


「おや、彼女かな」


 背中に冷汗が流れたのを感じた。血の気が引く、という感覚に全身が襲われた。

 慌てる様子もくなく、小首を傾げて呑気に口にするムルを押し退けて、シャイロックはすぐさま駆け足で階段を上った。その表情には焦燥感が滲んでいた。いつも澄ました顔をして、優雅でマイペースな彼が、ここまで乱されるのは見たことがない。押し退けられたムルは、それに少しばかり目を見張った。

 階段を駆け上ったシャイロックは、力任せに扉を押し開いて、部屋を見渡した。そこで、シャイロックははっと息を呑んだ。

 ガラス張りの水槽は傾いて、床に打ち付けられて割れている。水槽から溢れ出した水は、部屋に広がって、床を水浸しにしている。床は水と割れたガラスで満たされていた。そんな中心に、彼女は倒れていた。尾ひれの足を持つ彼女には、水中以外で動く自由がない。


「大丈夫ですか、怪我はありませんね?」


 シャイロックはすぐさま彼女に駆け寄って、横たわった身体を支え起こした。彼女はそれに従って、シャイロックの腕にしがみつきながら上半身を起こす。身体を支えながら、彼女の身体に目を向けたが、怪我はしていないようだ。それにシャイロックはひとまず安堵の息を零す。

 シャイロックは彼女を腕に抱きながら、彼女と壊れた水槽を交代に視線を向けた。

 なぜ、突然水槽が壊れたのか。いや、壊れるような要素は無かった。ひび割れた場所も無かったし、仮にあったとしても水が漏れて気づくはずだ。水槽自体も丈夫なつくりをしていてガラスも厚かった。倒れるはずがなかった。


「水槽から出ようとして、身を乗り上げたのかな」


 振り返れば、ムルは扉の近くに立って、部屋の惨状を見渡していた。

 そうだ、倒れるはずがなかった。水槽の中にいる彼女が身を乗り出して、一方に体重を掛けない限り、水槽が傾いて壊れるはずがない。けれど、それはシャイロックにとって信じがたいことだった。今までそんなことは起きなかったし、彼女がするとも思えない。彼女は愚かではない。水から出れば、自分が不自由になるのは理解していたはずだ。


「なぜ……」


 そう思わずにはいられなかった。


「君のことを追いかけようとしたんだよ、シャイロック」


 その答えを教えるように、ムルは確信をしてそう言った。驚かずにはいられなかった。

 彼女が、自分を追いかけようとした。自由な水の中から出て、不自由な陸に上がっても。彼女は愚かではない。水槽から外へ出たとしても、その足では陸を歩けないことを理解していたはずだ。それでも彼女は、無謀にも自分の後を追おうとしたのだ。

 ぐっと腕にしがみついた手に力が籠った。それに引かれるように、シャイロックは腕の中にいる彼女に視線を下ろすと、目の前に広がる光景に目を見張った。

 彼女の美しい鱗を持った尾ひれは、徐々に姿を変えていった。青い鱗は姿を消し、その肌と同じ色に。少しずつ形を変えて、それはやがて人間の足に形を変える。一本足の水中を泳ぐ尾ひれから、二本足の陸を歩く足に。

 シャイロックは呆然とその変化を見つめていた。

 ふいに、腕の中にいる彼女が顔を上げた。息がかかるほど近い距離で、真っ青な瞳に見つめられる。


「これは……ますます興味深い……!」


 ふ、と嬉しそうに、彼女は頬を緩めた。