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第二話


 水の音がする。静かに水面を揺らす音だ。

 大きな長方形の形をした箱の中で、青いものがゆらゆらと躍るように揺れていた。箱は透明で、ちょうど人間が横になって入れるくらいの大きさだ。それは部屋の片隅に鎮座し、アンティーク物で飾られた部屋にはとても異質だった。

 シャイロックは透明な箱の前に膝をついて、その中を覗き込む。すると、青い宝石のようなまんまるとした瞳と目が合った。自分とは対照的な瞳をしている。くすりと笑んで折っていた膝を伸ばして立ち上がれば、青い瞳もそれを追って上へと上がった。

 上部には蓋が無い、開け放たれた透明な箱。上から見下ろせば、ゆらゆらと箱いっぱいに注がれた水面が揺れている。

 ふいに、そこから細くて白い手が伸ばされた。その手は、両手で箱の縁を掴んで、ゆっくりと上半身を持ち上げる。長い髪は肌に張り付いて、水滴がしたたり、肌を伝って水面に落ちて行く。まんまるな青い瞳と、再び視線が交わった。ぼんやりと見上げてくる青い瞳は純粋無垢で、まるで少女のよう。すると、彼女は人懐こい笑みを浮かべて、そっと微笑んだ。


「ふふ、まるで雛に食事を与えているような気分ですね」


 手に持ったパンを一口サイズにちぎって、水槽の中にいる彼女に差し出すと、彼女はそのまま唇でパンを挟んで、咀嚼する。その一連は、親鳥が雛に餌を与えている姿となにも変わらない。

 シャイロックはパンを食べる彼女の姿をじっと見つめた。喉を鳴らして飲み込むと、彼女は再び口を開けてくる。それに、ふふ、と笑みを零して、またパンをちぎって与えた。いったいなにを口にして、なにを口にできないのか分からなかったが、どうやらパンは平気なようだ。温かいものを与えたいところだが、水の中で活動する彼女にとって温かいものはおそらく危険だろう。そうした懸念の末、シャイロックは無難なパンを選び取ったのだ。

 シャイロックは改めて水槽の中にいる人魚を見つめた。上半身の柔肌には傷の一切も見えず、下半身の尾ひれにも怪我のようなものは見えない。此処へ連れ帰った際に確認はしたが、やはり外傷は無いようだ。


「大丈夫そうに見えますが、安全を取ってもう少しだけ様子を見ましょう」


 けれど、もしものために様子見は必要だろう。見聞きしない生態であるため、十分な安全は取ったに越したことは無い。「狭苦しいとは思いますが、もう少しだけ辛抱してくださいね」広々とした海とは違って、限られた空間しかない箱の中に閉じ込めておくしかできないことに、シャイロックは申し訳なさを感じた。しかし、彼女は気にした様子はなく、こくりと首を傾げてこちらを見つめていた。


「……貴方はいったい、何なんでしょね」


 濡れた頬に添えるように、そっと触れた。ぴたりと触れた肌は冷たくて、指先が冷えていくのを感じる。

 シャイロックの体温に触れた人魚は、その温もりに一瞬驚きを見せて身体を強張らせたが、徐々に自分からそれを受け入れて、人懐こく頬を押し付けてそれに擦り寄った。拾った野良猫が懐いてくるような感覚に似ていて、思わず笑ってしまった。


「ああ、そう言えば。自己紹介がまだでしたね」


 ふと、此処に来るまでなにも名乗っていなかったことに気づいた。小首をかしげる彼女に笑顔を浮かべ、シャイロックは上品に告げた。


「私はシャイロック。西の魔法使いです」


 胸に手を添えて、軽く会釈をする。その様子を、人魚は物珍しそうに眺める。


「貴方のお名前をお聞きしてもよろしいですか」


 にこりと微笑んで問いかけるシャイロック。しかし、望んでいた返答は無く、人魚はまんまるな瞳でこちらを見つめるばかり。いつまで経っても返事が無いことに、シャイロックが不思議がって首を傾げると、人魚は真似をするようにして同じように首を傾げた。それから口を開け、言葉にならない母音を紡いでいく。

 その様子を見て、シャイロックは気づいた。こちらの言葉は理解できているようだが、彼女にはそれを発することができない。きっと言葉を知らないのだ。

 よく分からず、不思議そうな表情を浮かべる人魚。言葉を交わせないのは少し残念だが、困ることも問題もない。シャイロックは再度にこりと人魚に微笑みかけた。


「よろしくお願いしますね」


 その表情は少し楽しげで、その様子を人魚はじっと見つめていた。