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第三話


 見知らぬ人魚を保護してからというもの、シャイロックは甲斐甲斐しく彼女の世話を焼いていた。もともと誰かの面倒を見るのは苦ではなく得意な方であり、それに加えて人魚という見知らぬ存在はシャイロックの好奇心を昂らせた。彼女の世話を焼くのが、ここ最近のシャイロックの楽しみであり、有意義な時間だった。

 こうして彼女の面倒を見るようになって、いくつか彼女のことを知ることができた。

 一つ、熱いものが苦手だ。やはり水中で活動をする彼女にとって、温かいものは苦手であった。

 湯気立つホットコーヒーを興味深々に見つめていたので、十分に注意をしながら分け与えたことがあるが、カップに触れた途端、逃げるように水の中へ潜ってしまった。おかげで水槽の辺りは水飛沫が跳ねて水浸しになてしまったが、彼女の驚く様子がおかしくて、シャイロックはしばらくお腹を抱えて笑っていた。

 しかし、魚は人の体温で火傷をするというが、彼女は見た限りでは平気なようだ。しかし、やはり触れすぎるのも良くないだろう、とシャイロックは彼女に触れる際には手を水で冷やしてから触れるようにした。

 二つ、歌が上手だ。美しい声で、よく夜になると歌った。

 言葉を発することは一度もないが、口遊む歌声は美しく、きっと誰もが聞き惚れてしまうほど綺麗な声音だった。人を惹きつけるような、そんな魅力があった。彼女が陸に生き、歌を生業としていたなら、この国の多くの人間が彼女の歌声を聞きに劇場へ訪れたに違いない。

 彼女が奏でる歌声に耳を澄ませながら、瞼を瞑って聞き入る時間は、とても優雅で心地が良かった。

 三つ、彼女は好奇心旺盛だ。なにからなにまで興味を持つ。

 いったい彼女がどんな世界でどんな生活を送っていたのかは想像するしかないが、海からきた彼女にとって陸にあるものはすべて不思議で物珍しいのだろう。部屋に置いてある物、彼女にと与えた物、食べ物や音楽。なにからなにまで、彼女はじっと興味津々に見つめて、目を輝かせるのだ。

 そんなまっさらな彼女にひとつひとつ物を教え、彼女の反応を見るのはとても楽しかった。まるで親か兄にでもなった気分だ。

 そうして彼女の世話を毎日楽しみながら過ごしていれば、あっという間に時間は流れ、彼女を保護してから一週間過ぎ去っていた。


「問題も無さそうですし、そろそろ海へ返しても良さそうですね」


 良かったですね、とシャイロックはぱちぱちと瞬きをする彼女に笑いかけた。

 彼女と過ごす日々は楽しいけれど、いつまでも狭い水槽の中に閉じ込めておくのは、自分の心情に反する。彼女は広々とした海で、自由に泳ぎ、自由に生きるべきだ。きっと自然の海の中で泳ぐ彼女は、まるで妖精のように美しく綺麗なのだろう。こんなにも美しい鱗を持った尾ひれがあるのだ。さぞ見惚れるほど美しいに違いない。

 しかし彼女は、眉根を下げて首を振り、水槽の中へ潜ってしまった。その様子に、思わずシャイロックは赤い目を丸く見開いた。


「帰りたくないのですか? 海へ帰れるのですよ」


 しゃがみ込んで、水槽の中にいる彼女に問いかける。すると彼女は、同じように首を横に振るばかり。海から来た彼女にとっては嬉しいことだと思ったが、どうやらそうでもないらしい。


「困りましたね……」


 シャイロックは考え込むように視線を逸らし、顎に指を添えた。

 彼女との日々は面白く新しい発見ばかりの毎日だが、だからといって彼女を縛り付けて、自然な彼女を損なわせるのは本意ではない。それに加え、いつまでも彼女の面倒を見られる保証も無い。保護をした手前、無責任なことはできなかった。

 ふと視線を彼女へ移せば、彼女は不安そうな表情を浮かべながら、こちらの表情を窺っていた。その様子が健気で、可愛らしくて、つい頷いてしまった。


「……まあ、良いでしょう」


 可愛い子のおねだりに負けたような気分だ。

 零すように笑んだシャイロックに彼女は目を丸くした。すると、水槽に手を添えられた。彼女はそれに重ねるように、水槽越しにシャイロックの手のひらに自分の手を添えた。


「貴方の気が済むまで、此処に居てくださって構いませんよ」


 シャイロックはそう言って、しっかりと頷いた。それを見て、彼女はまんまるな青い瞳を零れ落ちてしまいそうなほど大きく見開いて、きらきらを目を輝かせた。

 それがまた素直で愛らしい。


「なら、改めて。よろしくお願いしますね」


 彼女にはどれほどの時間が与えられているのかは分からないが、少なくとも自分に与えられた時間は長い。

 気が赴くまま、自由に好きなように生きる。それが西の魔法使いだ。