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第一話


 シャイロックは人々で賑わう街のなかをひとり歩いていた。

 朝から昼にかけては、街の市場はとても騒がしく、商人たちの勧誘と物見に来た人や買い物をしに来た人たちの話し声で包まれている。とくに今日のような休日は、いつもに比べて一層繁盛している。とはいっても、賑やかなのはいつも富裕層が中心に暮らす街だけで、貧民層が暮らす街はそうでもない。西の国は人も多く栄えているが、それと同時に貧富の差が激しい。これが繁栄の代償というのだろう。

 シャイロックが街に出たのは、店の買い出しに来たのが理由だ。西の国で魔法使い専門の酒場を経営している彼は、酒のほかにもつまみやちょっとした食事も提供している。今日はその食料の買い出しに出かけていた。

 いつも同じ場所に向かい、同じ食品を購入する。それを詰め込んだ紙袋を腕に抱えて、街の喧騒を聞きながら、優雅にひとり歩いた。

 ――波音が聞こえた。

 この大陸は、中央、北、東、南、西の五つの国に分かれており、海に面していない中央の国以外は、海は身近だ。とくに西の国の海岸線には、不思議な形をした島がたくさんあって、おかしなことが大好きな西の国の特徴をそのまま表しているかのようだった。

 だから、波打つ音を聞くのも普段と変わりない要素だった。しかし、なぜかシャイロックには、その波音が普段よりも大きく、そしてはっきりと耳のそばで聞こえた気がした。

 ふと、視線を市場から逸らして郊外に目を向けた。ちょうど街の建物の合間から海が見えて、太陽の光に反射して、空と同じ色を映す海がきらきらと輝いていた。そこで、あるものに視線が行った。

 遠くの海を目を凝らしてよく見てみると、海辺に倒れている人影を見つけた。海のすぐ傍であることを見る限り、海から打ち上げられたようだ。

 目立ちそうな場所にいるが、誰も目もくれないのか、それとも気づかれていないのか、その人を助ける人の姿は無い。シャイロックは黙ってそれ見過ごすほど冷淡な人ではなく、自然と足先はそこへ向かって歩き出していた。






 そこにたどり着くまで、そう時間はかからなかった。

 海辺に着くと、やはり見た通り人が倒れていた。シャイロックはすぐに駆け寄ったが、倒れたその人物の全身を見て、はたとその動きを止めた。

 それ≠ヘ、ヒトではなかったのだ。

 女の姿をしていた。肌は白く、きっとその姿を見たすべての男が息を呑むほど美しい線を描いている。濡れた髪は美しい青の色をしていて、まるで海を表しているようだ。そして――下半身には、美しい青い鱗を持った尾ひれがあった。


「これは……」


 見たこともない存在に、シャイロックは思わず目を丸く見張った。

 この国には不思議な生き物が多く、幻獣や精霊といった類のものが存在する。シャイロックはそれなりに長く生きている魔法使いであるため、それらを実際に目にしたこともあった。しかし、目の前の存在は記憶に一切ない。書物で読んだことも無ければ、そんな生き物が存在すると聞いたことも無い。まさに目の前に倒れるそれ≠ヘ未知の存在だった。


「もし、貴方。聞こえていますか」


 シャイロックは慎重に手を伸ばして、そっとその肩に触れ、ゆっくりと揺らした。身体を冷やしているせいか、肌はとても冷たく体温を感じ取れない。

 肌に触れればかすかに反応を示したが、意識が朦朧としているせいか、閉じた瞼をあげることも声を上げることも無かった。見たところ外傷はないが、何か事情があって陸に打ち上げられたに違いない。


「……仕方ありませんね」


 そう呟いて、シャイロックは片手に持っていた荷物を魔法で仕舞って、あらためて倒れたそれ≠ノ近づいてしゃがみ込んだ。腕にかけていたショールを広げて、裸体のその存在を包み込んで、気を配りながらそっと両腕で持ち上げる。

 腕に抱えたそれ≠、シャイロックは再度見下ろした。綺麗な顔立ちをしている美しい女は、なんら人間と変わりない。ただ、下半身のそれだけが他と異なっていた。

 変わったものは好きだ。面白いことが好きだ。未知なる存在には興味がある。初めて知るその感覚と感情は、なによりも楽しくて愛おしい。


「大丈夫ですよ、すぐに手当てして差し上げますからね」


 シャイロックはそう瞼を閉じたそれ≠ノ囁いて、静かに歩き出した。