×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -





花の夜明け



 冷え切った指先にはっと息を吹きかける。息は真っ白な靄になって空気に溶けていくだけで、吹きかけた指先に温もりが宿ることは無い。しんしんと降りつもる真っ白な雪。空を見上げれば、雲った灰色の空から、白い粒がゆらゆらと地上に降っていた。地面に降り積もった雪の大地を歩けば、ぎしぎしと雪が音を立てる。静かな森の中に、良く響く。

 ふと、人の話し声が聞こえた。声のした方へ視線を向けると、森の中を歩く大人と子供がいた。ふたりは手を繋いで、こんなに寒いのに、温かな声色で楽しそうに話していた。小さな子供が手を繋いだ大人に向かって、おかあさん、と呼んだ。おかあさんと呼ばれた大人は、子供に優しげな微笑みを浮かべている。

 おかあさん、とは母親のこと。なら、あの二人は親子というものなのだろう。町のなかにも、彼らのような人たちを見たことがある。母親とは、どんな存在なのだろうか。思えば、自分にはそういう存在が居ない気がする。どこに、その人はいるのだろう。どこに行けば、その人は見つけられるのだろう。二人手を繋いで寒い雪空の森を歩く親子から、なんだか目が離せなかった。

 そのとき、視界の端でなにかが揺れた。雪みたいな真っ白ななにか。柔らかいそれがゆらりと揺れた。吸い寄せられるように視線を動かして、それを捉えると、いつの間にか勝手に足が動いて、気付けばそれを追っていた。



* * *



 あてもないまま、白い大地をひたすらに歩き続けた。

 見つけた人間の集落や村で、人間の旅人に扮して紛れ、少しの間休息を取ってはまた旅に出るような生活を続けて、もう百年近く経っていた。スノウとホワイトの屋敷を出て、既にそんな月日が過ぎ去っていただなんて。変化に乏しい北の国にいるからこそ、その時の流れを感じ取れなかったのだろう。

 今は北の国のどのあたりにいるだろうか。以前の集落を出てから、かなりの日数が過ぎている。時々、村へ行けば地図が手に入ることがあるが、北の国にある村や集落は把握しきれないし、土地が厳しいだけに滅んではまた新しい集落が生まれるのを頻繁に繰り返す。北の国では地図なんて役に立たない。地形もすぐに変化してしまう。

 立ち止まって、はあ、と息を吐く。白い靄となったそれが空気に溶けていくのをぼんやりと眺める。今日は一段と寒い日だ。魔法で体温を保っていても、肌寒い。身体を温めるように腕をさすって、再び歩きだろうとした。

 歩き出そうとした身体に逆らって、グッと後ろへ引っ張られた。それに驚いて、背後に視線を向けたら、燃えるような真っ赤な赤が目に入った。思わず、目を見開いた。真っ白な白銀の世界に、燃えるような赤がくっきりと輪郭を作り出している。触れたら燃えてしまいそうなほどの、温かい深紅。良く知っている、懐かしい色だった。


「あなたが、俺の母親ですか」


 ハッと意識が戻る。

 後ろから服の裾を掴んでいたのは少年だった。真っ赤な癖毛の髪に、そこから覗く宝石のように綺麗な緑色の瞳を持った、美しい少年。みすぼらしい防寒具を身につけた少年は、ぼんやりとした眼差しでじっとこちらを見上げていた。


「・・・・・・いいえ。私は貴方の母親ではないわ」


 少年はそれを聞くと、少しだけ目を伏せた。裾を掴んだ手の力も緩め、落胆するように「そうですか」と呟いて、力なく腕を下ろす。

 顔を俯かせた少年をドロシーは探るように見下ろす。気配が人間と違う。この気配をよく知っている。それに加えて、この少年のそれは大きい。


「貴方・・・・・・」
「あっ」


 少年はぱっと顔をあげて大きな声を出す。「仕事なので、俺、行きますね」そう告げると、少年はそそくさと走り去ってしまった。

 口を挟む余裕も無く、目の前から立ち去ってしまった少年。ドロシーは少年の背を見つめた。すると、少年が走って行く方向に、煙が立っているのを見つけた。火が起きている、ということは、人がいるという証拠。きっと、あそこに少年の村があるのだろう。このまま立ち去っても良かったが、どうしてもあの少年のことが気になって、ドロシーは後を追うように煙の方へ歩き出した。





 村にたどり着くまでそう時間はかからなかった。地形的に厳しい場所だが、水源を求めて人間たちが集まってきたのだろう。村の雰囲気は静かで、陰湿としている。北の国で賑やかな村なんて見たことがないが、一段と落ち込んでいるように見えた。

 水源の湖に視線を向けてみると、あの少年が小舟を漕いで、湖の向こうにある孤島へ向かっていた。仕事、と口にしていたが、あれが少年の仕事なのだろうか。


「こんにちは」
「おや、旅人さんかい?」


 たまたま近くを通り過ぎようとした村人に声をかけ、呼び止める。返答からして、外界に対して攻撃的ではない村みたいだ。ドロシーは村人の問いかけに頷き、少し聞きたいことがある、と言葉を続けた。


「あの少年は?」


 小舟を漕ぐ少年を指さして尋ねれば、村人は顔をしかめて、ああ、と言葉を零す。態度から、あまりあの少年に対して良い印象を持っていないのが分かる。堅い表情を浮かべる村人に、ドロシーは再度少年について尋ねた。

 話に聞くと、あの少年はこの村の渡し守を務めているらしい。渡し守の仕事は、死人を小舟で死者の国へ連れて行くこと。死者の国というのは、湖に浮かぶ小さな孤島を指すらしい。あの少年が向かっていた場所だ。死人を運ぶ渡し守の仕事は卑しい職であるらしく、誰もがやりたがらないが、村の掟には従わなければならない。そこで村人は、孤児であるあの少年に渡し守の仕事を押し付けたという。村人の口ぶりからでは少年の正体について気付いているのか伺えないが、どちらにしても、あの少年が村人の大人たちに従わされているのに違いは無い。

 ありがとう、とお礼を告げれば、あんまり近づかないほうが良い、と村人は言い残して立ち去って行った。再び湖の方へ視線を向けるが、すでに少年の姿は見えない。もう孤島へたどり着いたのだろうか。

 ドロシーは踵を返し、村から遠ざかる。あの島へ向かうには、舟を使うか魔法を使うしかない。箒を使って飛んで行きたいが、村人に見られれば騒ぎになってしまう。北の国では、とくに魔法使いや魔女は人間にとって恐ろしい存在なのだ。問題が起きないよう、その存在は隠しておいたほうが良い。村が見えなくなったところで、ドロシーは箒を出現させた。村人に万が一見られないように細心の注意を払い、空へと飛び立つ。

 孤島へはすぐに降り立てた。特に変わった様子の無い島を歩いて、少年の姿を探す。ガサガサと物音がする方へ辿っていくと、ふいに雪に埋もれた何か固いものを踏んだ。よく足元を見てみると、それは骨だった。見渡してみれば、あちらこちらに人間や動物といった骨がばらばらに落ちている。村人が『死者の国』と呼ぶ理由が少しわかった気がした。足元に注意しながら進んで行けば、真っ赤な髪をした少年を見つける。少年はスコップをもって、埋め終わった大地を見下ろしていた。新しく埋め直した場所以外は雪が積もってよくわからないが、おそらくこの辺りに村人の死体を埋めているのだろう。少年の背後にそっと近寄って、声をかける。


「ねえ、貴方」
「あ、さっきの・・・・・・」


 少年はドロシーの顔を見ると、緑色の瞳を見開いた。「どうやって来たんですか」少年は不思議そうに首を傾げて尋ねる。島へ来るには、舟が無ければ渡ってこれない。舟は少年が所有しているのだ。村人が舟を出してこの島へ来ることも無い。だというのに、ドロシーはこの島に来た。少年はそれが不思議で仕方が無かった。

 ドロシーはその問いに微笑むばかりで、答えるのを避けた。


「渡し守をしていると聞いたわ。此処で暮らしているの?」
「はい」


 膝を折って、少年と視線を合わせるようにしゃがみ込む。頷いた少年を見て、ドロシーは再び辺りを見渡した。閉ざされた孤島にひとりきり。あるのは降り積もる雪と生き物の骨。おそらく何人もの死体が埋まっているだろう少年の背後を眺め、ドロシーは緑色の瞳を見つめ返した。


「寂しくは、ない?」
「・・・・・・さみしい≠チて、なんですか?」


 首を傾げた少年に、言葉を失う。

 ああ、そうか。少年は孤児だと言っていた。ひとりきりだった少年に、それを教える存在はひとりもいなかったのだ。それは、とてもさみしい。ふと、ひとりきりだった頃を思い出した。寒くて雪が降り積もる白銀の大地を、ひとりで歩いていた頃のこと。ひどく心細かったのを、覚えている。


「よかったら、私を此処に置いてくれないかしら」


 気付いたらそんなことを口にしていた。「行く当てが無いの、私」そう言うドロシーに、少年は少し驚いて戸惑いを見せながら「俺は構いませんけど」と口にする。ありがとう、と口にすれば、少年は反応に困って誤魔化すように視線をよそへ向けた。


「私はドロシー。貴方は?」
「・・・・・・ミスラ、です」


 ミスラ、と少年の名前を繰り返す。なんだか温かい。人の名前を呼ぶのは、いつぶりだろう。あんなに冷えていたのに、今はとても暖かい。


「ミスラ。これからは一緒に暮らしましょう」


 差し出した手を、ミスラは不思議そうに見つめながら握り返した。手から伝わってくるミスラの温もりは、燃える赤のように、熱かった。