歓びも哀しみも何ほどの
――――当日。
夜月は少しづつ客が入っていく講堂へ向かった。根を詰めている宗は最近、ひどく機嫌が悪い。本番である今日など、もっと酷いだろう。刺激を与えないためにも、宗たちのいる楽屋には行かず、夜月は正面から講堂に入ろうとした。すると、講堂の近くで渉と夏目を見つけた。
「あら、渉に夏目じゃないか。君たちも見に来たのかい?」
「姉さん!」
「おや、夜月ではありませんか! ごきげんよう、ええそうです! 貴女もですか?」
夜月は頷く。
渉は「それでは一緒に行きましょう」と夜月を誘うが、夏目は別行動を申し出た。夏目は金星杯を辞退した身、その場に行くのは憚られる。
「師匠の公演と宗兄さんのドリフェスは観戦するかラ」
「ああ、そういえばドリフェスの余興に金星杯をするのは知ってたけど、渉の公演もあったわね。すまない、忘れていたよ」
「酷いです、夜月! あなたに見てもらうことを胸に毎夜毎夜クマを作りながら練習に励んでいたというのに・・・・・・!」
「はは、ごめんなさいね」
大げさに涙を目にためてハンカチで拭う渉に、夜月は悪びれもなく笑顔でそういった。
「最近、機嫌の悪い宗にいつも付き合っていたんだ。そっちに気が回らなかったよ」
「貴女に限ってそんなことはないと思いますが・・・・・・確かにそうですね。私も宗に衣装の相談をしたいけれど、最近の宗は根を詰めていて少し心配です」
「僕も楽屋応援しに行きたいけど、宗兄さん、死ぬほど不機嫌だから本番前に余計な刺激は与えたくないナ」
二人もここのところ、宗が根を詰めていつも以上に気が立っていることに気づいていた。二人なりに気を遣って、宗に会うのを控えていたみたいだ。
そんななかでも宗と会っていた夜月に彼の様子をうかがうが、予想していた以上に不機嫌だったらしい。
「宗の作品は最高の芸術です、って私たちが保証するだけ保証するだけでは駄目なんでしょうか」
「駄目なんだろうね、だからこんなことをしている」
悩ましげな顔をする渉に、夜月は冷静に返した。
此処に留まっていても仕方がないと別行動を申し出た夏目の腕をひいて、三人は講堂へ入ろうとした。そのとき、講堂前で二人の生徒が何やらもめているのを見つける。
「ン? あれハ・・・・・・」
「あなたと同じ学年みたいですねぇ、お知り合いですか?」
「晃牙と凛月じゃないか。零の周りを付けまわってる子と零の弟だよ」
「おお、わが友の弟とお気に入りの子ですか! これはご挨拶をしなくてはっ!」
意気込んだ渉に連れられ、夏目と夜月は二人のもとに向かう。突然渉が二人に話しかけ、乱入してきたことに二人は煙たがる。
「何をしてるんだい?」と二人と交流を持つ夜月が問いかける。「夜月先輩っ!!」「あ、夜月」彼女の姿を見ると二人は同時に零した。
渉が喧嘩をやめてと言うと、凛月が喧嘩をしていたわけではなく、晃牙が絡んできただけだと言った。
「な〜んか、うちの兄らしきものが今朝から不意に海外へ行っちゃったみたいでさ。俺にその理由とか行き先とか聞いてくるの」
知ったこっちゃない、という凛月に晃牙は噛みつく。弟なのだから行き先は知っていて当然だと。
「なんだ、零はまた海外へ行ったのか? 大変だねぇ」それを聞いて夜月は目を丸くする。「最近の零は忙しそうですねぇ」渉もそれに同意した。
「だから〜、あれがフラッといなくなるのはよくあることなの」
「でも朔間先輩、何か様子がおかしかったんだよ!」
晃牙はそれでも食いついた。
「近頃どこもかしこもキナ臭ぇしさ、もしかしてへんなことに巻き込まれてるんじゃないかって・・・・・・! 俺なんかが朔間先輩を心配するなんて身の程知らずかもしんねーけどさ、何かあってから後悔しても遅いだろうが!」
晃牙も晃牙なりに、この混沌とした何かを感じ取っていたようだ。知っていることをすべて吐けと凛月につかみかかる勢いでいうが、本当になにも知らない凛月はうんざりとして、「何も知らないってば〜・・・・・・まーくんの応援に来ただけなのに」と口にする。
どうやら凛月は代わりに金星杯に出ることとなった幼馴染の衣更真緒という子を見に来たらしい。
「『お兄ちゃん』が珍しく大真面目に関わらないほうが良いっていうから、一応従ってあげたんだけどさ」
「フム・・・・・・零にいさんハ、僕と同じような警告を与えたヨ。無意味だからってのあるけド、陰謀の渦中に入るのを避けたかったんだよネ」
夏目は凛月の話を聞いて難しい顔をする。同じように警告を与えたことが気にかかったらしい。
「あら、もう零は二人に警告したのかい? 零にしては前倒しな行動の速さだ」
「予測が外れたね」とニコリと笑う夜月。
凛月、晃牙、夏目は目を大きく丸くして、渉は「おやおや〜?」と首を傾げた。
「それってどういうことなノ?」
「ん? んー、悪いね。私も零もまだまだ憶測のうちで確信は得ていないんだ。不用意に危険を示すのは返って逆効果だし、これは他言無用にしてる。だから深いことは話せないよ、ごめんね」
申し訳なさそうに夜月は眉尻を下げた。
凛月と夏目はきよく引き下がったが、納得のいかない晃牙は教えてくれと身体を乗り出す。夜月が一向に首を縦に振らないのを見て、つかみかかることもできず、晃牙は唸り声をあげた。
「まあ零も適当な人間だけど、大切な凛月や夏目それにわりと気に入っている晃牙に危険が迫るようなら、零は全力で君たちを守ろうとするだろう。これは前兆のようなもの、いまは従っておいで」
「曖昧な警告しかできなかったのハ、零にいさんや姉さんにも全貌が見通せないってこト・・・・・・? だとしたラ、なおさら不気味だね」
眉間にしわを寄せる夏目。
こんなことをしていたら、もうすぐ金星杯の開始時間になってしまった。晃牙を残し、4人は講堂へと足を踏み入れる。
――ここから地獄が始まった。