虚構性の指標
この日は、夏の強い日差しが照りつく暑い日だった。
「・・・・・・またか」
ロッカーの中をのぞいてため息交じりにそんなことをこぼした。ロッカーの中にはもしもの時ように日傘を常備しておいていたが、その傘はどこにもなかった。ロッカーには鍵がついていたが、開けられた痕跡があった。
予想はしていた通り、また誰かに日傘を盗まれたようだ。
こんなことが起こったのは、つい最近のことだ。
学院で少々有名になった夜月を嫉妬しての犯行だと、夜月はとっくにわかっていた。犯行をした数人の男子生徒もこれで夜月が少しでも弱った部分を見せればよかったのだが、夜月に限ってそんなことはなく。男子生徒はどんどん不満を募らせていった。
そんな些細なことを気にする夜月ではなく、誰に相談することもしないで放置していた。
だが今回は少し困った。外は日差しが照りつく。日傘がなければ外へは出れない状態だ。下校することもできず、日が完全に落ち切るのを待とうと思ったその矢先だった。
「何か困っているのか?」
振り返れば眼鏡をかけた男子生徒に話しかけられていた。
応答しない夜月を見て、男子生徒は慌てて首を振った。
「す、すまないっ! 急に話しかけて・・・・・・困っているような様子だったから話しかけてみたんだが。俺でよければ力になるぞ」
おどおどとした様子で彼は続ける。眼鏡の男子生徒は守沢千秋と言った。学院に既存するユニットの中で一番古くから受け継がれている『流星隊』に所属しているらしい。
「幼稚な嫌がらせをしてくる生徒に日傘を盗まれてね」
「嫌がらせっ!?」
「別にそれはどうでもいいが・・・・・・傘がないと外へ出れないんだ。これだと夜になるまで足止めを食らう」
「・・・・・・そうか。わかった! 俺がその傘を取り返して来よう!」
「え?」
「少し待っていてくれ!」
千秋は深く話も聞かず、そのまま走り去ってしまう。だんだんと小さくなっていく背中を眺め、夜月はため息を落とした。
* * *
千秋が走り去ってしまってから約一時間過ぎ去った。夜月はいったん教室に戻って千秋を待っていた。千秋が戻ってきても来なくても帰るに帰れない。
誰もいない教室でぼんやりと暇を持て余していると、教室の扉が開かれる。
「骨喰さん! 探すのに手間取ってしまったが、何とか返してもらったぞ」
千秋はそう言って笑顔で入ってきた。片手には確かに夜月の日傘が握られている。まるで千秋は自分のことのように喜ぶが、夜月はそうではなかった。
「・・・・・・怪我をしたのか」
「え、ああ・・・・・・取り返して貰うときにちょっと絡まれてな。大したものじゃないから、気にしないでくれ」
千秋は擦り傷をところどころに作っていた。
「・・・・・・おいで」
「え? えっと・・・・・・」
「手当てするから、保健室まで行くわよ」
「いや、大丈夫だ! 本当に大したものじゃ・・・・・・」
「いいから来なさい」
「は、はいっ!!」
* * *
保健室に千秋を連れていくが、保険医である佐賀美陣の姿はなかった。あの人はいい加減な人だ。
夜月は千秋を椅子に座らせ、手当てをしていく。深い傷ではないし、ほとんどは消毒とばんそうこうだけで終えられた。
「怪我をしてまで取り返さなくてもよかったんだ」
「嫌がらせなんていじめ同然だ。それを見逃すわけにはいかないだろ」
「君、そこまで強くもないだろう」
「そっ・・・・・・そう、だな・・・・・・はは」
夜月の容赦ない言葉に反論もできず、千秋は肩を落として力なく笑った。まるで自嘲しているようだ。
「まあ助けられたのは事実だ、借りを作っておくのも気がかりだからな。お礼に君の願いを叶えてあげよう」
「ね、ねがい・・・・・・?」
その言葉にドキリとする。
千秋は夜月の真意を探るような目つきで見つめ返すが、答えは見つからない。「願いは、無い・・・・・・」千秋は目をそらして呟くように言う。
「君は、深海くんと・・・・・・同じなのか?」
伏せた顔をゆっくりと上げ、恐る恐るに夜月を見つめる。
「なるほど、君は深海奏汰に願いを叶えてもらったのか。心外だな、私をあんな『神様』と同じにしないでくれ」
「でも、今『願いを叶える』って」
「『神様』だと他人から崇められたこともあったけど、自分をそうだと思ったことは一度もないよ。『神様』なんて空想は愚者と弱者がすがる偶像だ」
「別に宗教を否定しているわけではないけどね」夜月はそういう。
空想という言葉に、千秋はデジャヴを感じた。つい先日、それを言われたばかりだからだ。だがそんなこと、夜月が知る由もない。千秋は再び「空想が現実に入り込むすきなんてない」と言われているように感じた。
「深海奏汰は乞われれば誰の願いでもかなえる『神様』だが、私は違う。私はそれに相応しい対価を求める。対価をもらわないで『願い』なんて叶えて、私に何の利益があるっていうんだい?」
「だが! 俺は君に対価を払っていないし、頼んでもいない」
「言っただろう。君には礼がある。だから『願いを叶える』と言ったんだ」
「君はもう懲り懲りらしいが」千秋の様子を見て夜月は一人納得する。
「『願い』なんて大層なものじゃなくていいんだ。頼み事でもいい、私は借りさえ返せればそれでいいよ」
「そ、そうか・・・・・・なら・・・・・・友達に、なってくれないか?」
突拍子もない言葉が、放たれた。
「・・・・・・は?」
「あ、いや、すまない! その、骨喰さんはプロデュース科だろう? だから、俺の練習とかに付き合ってほしいんだ。周りの人は面倒くさがってやりたがらない。だから、アドバイスとかをしてほしいんだ」
こんな廃れた学院にも、努力して本当にアイドルになろうといている人は存在する。レオや泉そして敬人もそうだ。努力をしても、才能があっても、落ちぶれた学院につぶされてしまう。千秋もそのうちの一人だった。夢を追いかけて此処へときた、真っ当で善良な人間。
「わかった、付き合ってほしい時は連絡をしてくれ。いつでも付き合うよ」
「ありがとう、骨喰さん!」
花が咲いたように笑う千秋に、夜月は思わず笑みを落とした。