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しょうらいのかなしみ



「どこか遠くへ行こう、レオ」


おもむろに、微笑みを浮かべながらレオを目の前に夜月は言った。

今日は平日で学校があるはずだが、夜月は制服を着ていなかった。私服に小さな手に持つだけ。そもそも学校に通わず此処にいるのだから、制服を着ていても意味はない。

レオは少し戸惑いながら夜月を見上げた。学校へ通わなくなって、まともにこの部屋からも出られない。自由に家すら歩けないのだから、外へなんて行けるはずがない。怯えた表情を浮かべるレオに、夜月は優しく微笑む。微笑んだ夜月は、大丈夫だと言って手を差し伸べる。

まるで、一緒に逃げようと言っているように、レオは思えた。



フードを深くかぶって、縋るように手を強く握って、レオは夜月に連れられるまま外へ出た。顔を俯かせ、学友に会うのではないかと恐れながら微かに震える足を動かす。

引っ張られるまま連れてこられたのは、町の駅。駅のホームに学生の姿はないが、働く大人たちは忙しく駅を行き来している。
夜月は切符売り場の前に立ち止まり、頭上にある秋の地図を見上げる。何かを考えながら地図を眺める一方、レオは周りをきょろきょろと隠れるように見渡す。


「レオは右と左、どっちが好き?」

「え・・・・・・?」


地図から目を離し、レオを見つめる。夜月の質問の意図はわからない。けれど答えないと先に進みそうもなく、レオは特に考えもなく「・・・・・・ひだり」と答える。すると夜月は頷いて、再びレオの手を引っ張って進んだ。

誘われるまま改札を通り、階段を降り、電車に乗る。いったい何処へ向かおうとしているのか、レオにはわからない。疑問に思いながら、レオは黙って夜月の隣に腰を下ろし、電車に揺られた。

「レオは1から10の中でどれが好き?」おもむろに夜月は再び聞く。その数字が何を現しているのか、無論レオは分からない。レオは意味もなく「5」と答えた。夜月は頷く。いったいなにを聞いているのだろうか、と夜月の横顔を見つめながら思う。ただ、夜月とレオが降りた駅は5駅目に到着した駅だった。

その後も2人は長く電車に揺られ、乗り継ぎを繰り返した。

夜月はレオに何度も問いかけをした。指定された中での好きな番号、好きな色、方角、右と左、上と下。そしてレオが答えた回答に従い、夜月はその電車に乗り込んだ。戻っては進みを繰り返しながらも、2人は進む。

「・・・・・・何処に向かってるんだ?」レオは何度も電車の乗り換えたのちに問いかけた。
「どこでもないよ」夜月ははっきりとそう答える。


「どこでもない、どこか遠くへ、ふたりで行こう」


肩に持たれるように身体をゆだねて、夜月は呟くように囁いた。これは目的のない電車旅だ。思うがままに進んで、たどり着いた場所が目的地。遠い遠い誰もいない場所へふたりで行こう。繋いだ手をギュっと握り、寄り添うように身体を寄せ、瞼を閉じた。

それから何時間も電車に揺られた。思い至った時に電車を降り、また乗って。戻っては進んで、進んでは戻ってを何度も繰り返す。都会の風景から田舎の風景に変わる。そうしてようやく、最後の駅に夜月とレオはたどり着いた。

たどり着いた場所は海だった。学園のそばにある海ではなく、反対側の海だ。朝に出発したというのに、時間はもう夕方を指していた。もうすぐ太陽が沈み、夜が来る。空も海も赤く染まり、黄昏時を迎えている。

ふたり手をつないで、砂浜に立つ。海はさざ波をうち、波の音は心地よい。


「・・・・・・ここに、来たかったのか?」

「いいや。此処にたどり着いただけだよ」


お互いの顔を見ず、海を眺めながら言った。

水平線に太陽が差し掛かる。徐々に沈んでいき、境界線が曖昧になっていくさまを、ふたりは無言で眺めた。ふと、繋いでいた手に力がこもった。盗み見るように視線を下ろすと、握っている手は微かに震えていた。それを見て視線を上げるよりも早く、レオは夜月に向かって口を開いた。


「ねぇ、夜月」


子どもみたいに、尋ねるように。
けれど無邪気さはなく。


「もし・・・・・・もし、おれが・・・・・・」


声は震えていた。涙が流れてしまうのではないかと思った。繋がれた震える手をしっかりと握り返し、真っ直ぐとレオを見上げた。レオは肩を揺らす。そして深く息を吐き、落ち着きを取り繕うとして、泣きそうに笑いながら言った。


「もしおれが、此処で一緒に死んでほしいって言ったら・・・・・・夜月はどうする」


さざ波だけが響く海に、レオの声はひどくはっきりと聞こえた。

泣きそうになりながらも笑顔を浮かべる。その瞳に以前のような輝きは無く、悲しみに満ちていて、目元に浮かんだ黒い隈は痛々しさを感じさせた。身体も心も、ボロボロだった。繋いだ手から、震えが伝わってきた。


「・・・・・・死にたいの?」


取り繕うことなく、直接問いかける。真っ直ぐと見つめ返す夜月の表情に変化はない。その問いに、レオは苦しそうに顔を歪めながら、ゆっくりと、けれどはっきりと頷いた。うつ向いた視線は、繋がれた手に注がれていた。

俯いたレオを見下ろした夜月はフッと息を零した。


「いいよ――――」

「――――え」


その声は酷く静かで、でも声色は柔らかくて、見上げた先で見た夜月は――見たことも無いぐらい優しい笑みを浮かべていた。

繋いだ手を強く握られた。それはまるで、握った手を離さぬように。夜月は握った手を引っ張りながら海に向かって歩きだした。戸惑いを隠せないレオを置いて、夜月の視線は真っ直ぐと水平線に向いていた。

戸惑うレオは何が何だか分からなくなってしまっていた。手を強く引かれるまま足を動かして、歩く。足にさざ波が覆いかぶさった。靴に水は入り、服は濡れた。そんなことも気にせず、夜月はただ真っ直ぐ歩く。


「ね、ねぇ・・・・・・」


戸惑うまま夜月に呼びかける。けれど夜月はその声に答えることも無く、振り返ることも無い。変わらず強く手を握って、海の中を歩く。


「っ・・・・・・ねぇ、夜月・・・・・・」


名前を呼んでも、振り返ってはくれない。速度が収まることもなく、どんどん進んでいき、水嵩は膝へ、膝から腰へと深まっていく。水嵩が高くなるにつれ、レオの思考は焦りと恐怖に侵食されていった。


「・・・・・・っ、やだ・・・・・・ッ」


焦りで、考えが何も浮かばない。なんて呼びかければいいのか、わからない。恐怖で呼吸が乱れた。上手く呼吸ができず、荒い息を繰り返す。恐怖で体が震えているのか、体温を奪われたせいで震えているのかもわからない。血の気が引いていく。

背後から自分の手を引く夜月を眺める。離さないように手を繋いでいてくれたのが好きだった。いつも自分を見てくれるのが好きだった。自分の声に耳を傾けてくれるのが好きだった。真直ぐに進んでいく姿が好きだった。

けれど、今はそのすべてが怖くて。自分の中の夜月がすべて塗りつぶされていく恐怖に、全身が飲み込まれていた。


「ッ――――いやだッッ!!!」


力いっぱいに手を振りほどいた。離された手は宙にうき、行き場を失う。荒げた声は海全体に響き渡り、喉に負荷がかかり、少し痛い。荒い呼吸を繰り返し、全身から一気に汗が流れる。なんとか呼吸を整えようと大きく息を吸い込み、吐き出すのを繰り返した。

さざ波の音が、ふたりを包み込んだ。

いくらか落ち着きを取り戻せたレオは、恐怖の入り混じった怯えた瞳で夜月に視線を向けた。けれど顔を上げて、表情を見ることはできなかった。恐怖で見られない。知っている夜月ではないかもしれない。夜月が一体、どんな表情を浮かべているのか、レオには全く分からなかった。


「死にたいんじゃないの?」


いつもと変わらない夜月の声が、今はひどく冷え切った無機質な声に聞こえた。

全身が震える。嫌な汗が手に滲む。先ほどまで手がつながれていたのに、指先まで冷え切っていた。ドクドクと波打つ鼓動が痛くて、ギュっと胸元を掴んだ。

死にたいと、思った。死んでしまえたら楽になるのではと、考えた。死んでほしいと口にしたのは、まぎれもない自分だった。それは本心で、本当に思っていたこと。怯える日々、荒んでいく心に、耐え切れなかった。けれど、でも・・・・・・身体が襲ったのは形容しがたい恐怖で、鼓動を打つ心臓が何より証明していた。


「・・・・・・ッ、まだ・・・・・・死にたく、ッない・・・・・・」


心から絞り出したような声で、懸命に口にした。

心の底から出た、嘘偽りない、本当の気持ちだった。胸元を掴んだ手から伝わる自分の鼓動に、安心する。まだ生きていたいと思えた自分に、安堵した。

しばらく沈黙が続いた。波打つさざ波がひどく耳に付いた。目の前に居る夜月を見るのが怖かった。顔を上げられず、うつ向き続ける。そのとき、ほっと息を零した音が、微かに聞こえた。


「そう・・・・・・よかった」


息を、飲んだ。

そう呟いた夜月は酷く安心したように、息をつくように零した。ほっと安心して、よかったと眉尻を下げて笑っていた。優しい笑みを浮かべていた。そこにいる夜月は、まぎれもない、自分が良く知る夜月その人だった。

唇が震え、上手く言葉が出ない。感情があふれ出して、上手く声が出ない。胸が痛くていたくて、どうしようもなくて、感情のまま涙があふれ出した。大粒の涙が次々と溢れ、頬を伝って、海に落ちていく。

ひどく馬鹿のことをしたと、心から後悔した。


「――――ッ!!!」


力任せに抱き着いた。両腕を力いっぱい回して、服が濡れることも気にせずその場に転んだ。海の中座り込むと、水嵩は胸上まであった。そんなことも気にせず、レオは泣きながら自分の両腕に夜月を抱き込む。苦しいぐらい力を入れて、離さないように強く抱きしめて、存在を確かめるように触れた。


「ッごめん・・・・・・ごめん・・・・・・ッ、ごめんなさいッ・・・・・・!」


子どものように大きく泣きわめいて、涙を流して、同じ言葉を繰り返す。ごめん、ごめんなさいと何度も繰り返した。心からの後悔を、いまのレオには、この言葉でしか表せなかった。

レオの涙が肩に落ちる。滲んで伝わってくる温度は、ひどく温かった。レオも夜月も海に体温を奪われひどく冷えていたが、レオから溢れてくる涙は、ひどく温かい。骨が軋むほど抱きしめられた。息ができないほど抱きすくめられた。離さないように、縋るように、背中に腕が回る。

泣いているからなのか、身体が冷えているからなのか、レオの身体は震えていた。夜月はそっとレオの背中に腕をまわし、包み込む。安心させるように背中を撫でる。それに反応して、レオはまわした腕の力を強めた。そして同じ言葉を繰り返す。大粒の涙を、まるで子供のように流して。

――遠い遠い、誰もいない、どこか遠くへ、ふたりで行こう。

海に紛れたふたりの影は、ひとつに溶け込んでいた。

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