悔いてなお君を愛した
パタリ・・・・・・と静かに玄関の戸が閉まった。そのまま靴を脱ぎ、リビングに向かい、真っ暗な部屋に明かりをつける。時計の針がカチカチと時を刻んでいた。
「――は、はは・・・・・・ははは・・・・・・あっはははは・・・・・・!!!」
静寂の部屋に、突如、高らかな笑い声が響いた。狂ったかのように高嗤うそれは、まるで魔物か怪物が、たまらず零してしまった笑みのよう。
――ああ、ああ! 堪らない!! 堪らなく滑稽だ! 愚かで馬鹿らしいほどの滑稽具合だ! それが楽しくて愉しくてたまらない! いったい何のためにここまでやってきたのだろう!
あまりの滑稽に、口端が上がった。
――ああ、だってそうだろう。
この世界は退屈だ。鮮やかに目を見張るものも、心躍ることもない、白と黒で構成された灰色の世界。ひどくつまらない世界。誰もわたしを理解しないように、誰もわたしは理解しない。だれも私に干渉しないように、だれも私は干渉しない。
そこにたった一つ、色づいていた。
ただの子どもの好奇心。ひとりでいた子供が気になって寄ってきただけの、ただのお節介。差し出された手に、なんの意味もなかった。ただ遊び相手が、話し相手が欲しかっただけの、無垢な手だ。意味はない。意味は求めていない。意味は求められていなかった。
それでも、わたしには意味がきっとあったのだ。
視界に映るヒトたちは、顔も朧げな有象無象。そのなかで君だけが表情があり、声があり、体温があり、色があった。世界で唯一生きていた。理解していた。たった色づいた君が、少なくともわたしの”特別”であったことを。
その”特別”は、いったいどれほど美味なのだろう――。
――喰らいたい、喰らいたい
――喰らいたくない
相反する矛盾した思考。それに幾度と悩まされた。どちらも本音だった。どちらも本心だった。
この世界は退屈だ。退屈で仕方がない。だれも予測を超えはしない。予定されたシナリオを読み進めるだけの日々。結末を知ったまま読む小説だ。唯一、この退屈を凌ぐ方法は、予想を覆す出来事だけ。それはきっと、人間が窮地に陥った時に究極的な選択に迫られた時の、本能のような、無意識下の行動。無我の境地。歪むその瞬間が一番その人間の本性が出る。
それはきっと、何よりも予測を超えやすい状況だろう。その時にようやく、初めて見るそれに、わたしは退屈を逃れるのだ。わたしはようやく、楽しいという感覚を味わえるのだ。
それでも、そう簡単にはやってこない。どんなに追い込んでも追い込んでも、それがやってくることは無い。シナリオの延長線上。何より、面白くない。その対象に、そもそも興味がないのだから。
だから気になる。わたしが唯一”特別”と思う人。その人はいったい、どんな味がするの。いったいどれほど満たされるの。いったいどれほど心が躍るの。
――ああ、それでも。それは知らないままでいたい。
自分で思っていた以上に、彼が”特別
だから蓋をしよう。塞いでしまおう。離さぬように手を握ってくる君を壊さぬ
それぐらいの恩返しはしよう。
――そのはずだったんだ。
退屈を享受すればいいだけの話だった。できたはずだった。それでも新しい日々はなにかと面白くて。今までとは違う人間ばかりいて。考えることをやめた思考の隅で眺めた、シナリオ通りに動いたけれど、そんなことも気にならなくて。
泉と、零と、敬人と、五奇人と呼ばれた彼らと。一緒に他愛のない日々を過ごす一時に、わたしは退屈を享受できなくなっていた。もっと楽しみたかった。わたしだって、楽しんでいたい。
けれどそんなこと出来るはずがなかった。退屈を凌ぐ方法を、腹を満たす方法を、壊すことでしか知らないのだから。
その結果がこれだ。
御伽噺に出てくる怪物は貪欲な生き物なんだ。君を喰らい
そして、唯一大切だった貴方さえも、わたしは知らず知らずに壊していたのだ。
――ああ、ああ! なんて滑稽だ! 愚かで馬鹿らしいほどの滑稽具合だ! なんて楽しくて愉しくてたまらない!! 私がこんな思いをするなんて!!
空腹が満たされていく。退屈に甘んじていたせいで、過敏にそれを感じ取っていく。絡み合う人間模様。交差する想い。願い。策略。思惑。絡んで絡んで、乱れて舞台はめちゃくちゃ。血まみれの必死に描かれるシナリオ。
――こんなに満たされていく。なんて美味しいのだろう。とっても甘美で、どろどろに渦巻いて、胸が苦しくて苦しくて痛くてたまらないほど美味しいの。アイマイにしてきた感情が、カタチを変えていくの。
「ああ――――、たまんない・・・・・・っ」
――いっそアナタのこと、キライになれてしまえば良いのに・・・・・・。