ヒルメスとスーリが出会いを果たして、数日後のこと。
その日も太陽が温かい、心地いい日だった。
スーリはまた本を抱え、中庭へ向かおうとしていた。相変わらず、その本は分厚い。
丁度スーリが部屋を出ていく瞬間を偶然見たヒルメスは、歩き出してしまうスーリを呼び止めた。
「おい!」
「ヒルメス、様……?」
声に反応したスーリは後ろを振り返る。
ヒルメスは止まったスーリに歩み寄り、身長が小さいスーリを見下ろす。
「何処へ行く。この間、迷子になったばかりだろう」
「大丈夫、です。この間、侍女の方に詳しく聞きましたから」
相変わらず、たどたどしいパルス語でニッコリとしたスーリは言う。
「……で、何処で何をしに行くんだ?」
吐かれた息と共に出された言葉。
スーリは丁寧に答えていく。
「中庭で本を読みに」
「本……?」
そしてスーリが両手で持っている本に目を移す。
相変わらず分厚いが、この間にみたホントは違い、また別の本となっていた。
「この前とは違うものだな」
「はい。読み終わってしまったので」
「もう読んだのか!?」
あれほど分厚ければ、大人だってそう簡単に読み終えるはずがない。いや、もしかしたら、本を読む以外することがないのかもしれない。
それとも、ただ単にこの娘が並はずれているのか……?
ヒルメスは驚愕した。
不思議そうに首をかしげるスーリに、冷静さを装いながらヒルメスは問いかける。
「……ちなみに、本の内容はなんだ」
「前回のはこの国の歴史、今回は地理学です」
いわゆる専門書だ。
おかしい……。やはり、この娘は他の者とは違う。並はずれたものを持っている。
ヒルメスが心の中でそう呟いていると、スーリは楽しそうに本について語りだした。
「やはり、この国には多くの本が存在する。すべてパルス語だけど、パルス語を勉強するにはうってつけです」
人質として連れてこられたというのに、まるで此処に来れて嬉しいという口ぶりだ。
饒舌になったスーリは、このパルスと言う国を肯定した。この国に、侵略された一国の姫がだ。
ヒルメスは不思議に思いながら、嬉しそうに笑うスーリを見つめる。
「お主、学ぶことが好きなのか」
「はい。知識が増えるとは、喜ばしいもの。いつか私を強くし、他人の助けにもなるでしょう」
先を見据える幼い姫は、そう笑うのだった。
それが、一度目の偶然だった――。
それから何度か会うが、いつでもスーリは本を読んでいた。本を持たない姿を見たことがない、と言うほどだ。
しかし、ここ最近は本を持っていなかったのである。
スーリの世話係をしている侍女に聞いたところ、与えられた本はすべて読み終えてしまったとか。
本を追加しないのかと聞くと、書斎への出入りはまだ与えられていないらしい。
それを知ったヒルメスは書斎へ向かい、多くの本を呆然と眺めた。
ヒルメスはスーリに本を与えてやろうとしたのだ。だが、スーリの知識、頭脳はいまだ計り知れず。
一体どの本がいいのだろう、とヒルメスは頭を悩ませた。
悩ませた結果、持ち出したのは専門書と童話。幼いことに変わりないのだから、童話も好きだろうというヒルメスの考えだ。
「ほら……」
「え?」
早々とスーリの部屋へ訪れ、出てきたスーリに差し出す。
スーリはいきなりのことに対処しきれていない。
「本をすべて読み終えたと聞いた。お前は、学ぶのが好きなのだろう? ……さっさと受け取れ」
照れくさそうに、ヒルメスはそっぽを向いて言う。
スーリは本とヒルメスを交代に見た後、その本を受け取った。童話をみたスーリは呟く。
「童話……」
「お主の趣味は知らん。だが、お前はまだ三つだ。幼いのだから子供らしく、そういったものをよむべきだ」
腕を組み、自分の考えを告げる。
ヒルメスの言葉に目を見開いたスーリが、ポツリと言葉を零した。
「童話は、読んだことがありません」
たどたどしさのなくなった、しっかりとしたパルス語。
ヒルメスがそういうスーリに目を向けたとき、スーリは恥ずかしそうにしていた。
「私を子供だと言い、扱う人はそういなかったので」
だから嬉しい。と、スーリは笑うのだった。
「ありがとうございます、ヒルメス様」
「……あぁ」
あとになって、ヒルメスはスーリについて知ることとなった。
スーリという幼い姫は早くに王と王妃である両親を失い、実質的には女王と言う立場にいたこと。
その立場に立てた理由は二つ。
一つは、ズィーロ公国は平等を謳う国であるため、女人を差別しないこと。
一つは、スーリが聡明であったこと。
スーリの祖国ズィーロ公国で、彼女は聡明と名高かったそうだ。それは少しばかりだが、隣国まで伝わっていたらしい。
そして国民はそんなスーリを褒め称え、崇め、統治を任していたらしい。
ヒルメスは思う。
たとえ聡明だったとしても、まだ幼い子供なのだ。国民は、子供であるスーリを殺しているのではないか。
しかし、それは一つの解釈であって真実ではない。
そうだとわかっていても、ヒルメスのもやもやとした気持ちは暫く彼の心に残った。