花言葉と怪奇


降谷は自分の整った容姿を後悔することが多くあった。

例えば、安室透として 潜入調査をする時。

ターゲットが女の場合は、甘美な言葉を囁きその気にさせたり、身を売るような対応をする時もある。情報を盗み出してしまえば後は用済みなので、関係性を断つのだが任務後も諦めきれずどうしても自分に執着してしまう女を何人も見てきた。

しかし安室透は、本体である降谷零のプライベートとは程遠い存在だ。
仕事で仕方無しに近付いた女に興味を持つことなど皆無な彼は、少し手荒な方法で引き剥がしたりもしていた。


「いつか女に刺されるよ降谷さん」
「それだけは避けたいな」

そんな話を降谷が少し生意気な部下、苗字名前にすれば最低!と声を荒らげた。

「まあ仕事だから仕方無いんだろうけどさ」
「そうなんだよ、仕方ないんだよ」

少しでも興味が湧くような女なら良いんだけどな、と冗談を漏らして苗字を嫉妬させながら肺いっぱいに吸い込んだ煙草の煙を吐き出せば、苗字も細めの煙草を加え、燕尾色の火を付けた。

「私は絶対にハニートラップとかしたくない」
「俺がさせないよ」

降谷がそっと、隣の女の腰に手を回す。
その一連の妖艶な流れに思わずうっとりしそうになるが此処が仕事場である警察庁の喫煙所の中だと思い出し、慌てた苗字がその手を叩いた。


「でも最近、視線を感じることがあるんだよな」
「えー何それ怖い」

そう、降谷はふとした瞬間に背後から視線を感じることが多々あった。

それも最近の出来事である。

女関係だったら面倒だな、と真っ白な煙を天井に向かって吐き出せばいつもよりその煙のモヤが中々消えず、嫌な予感と共に胸の中に残った。

「つけられてるんじゃない?」
「まあ女に殺られるほどヤワじゃないよ俺も」

大丈夫だろ、そう呆気なく言ってのけた降谷に苗字は心配そうに眉を下げ忠告をした。

「家に帰る前と帰った後、必ず連絡してよ?」
「分かってる」

暫く潜入調査で、庁舎では無くセーフティハウスに帰らなくてはならない降谷を心配して苗字は何度も連絡をするように釘を指した。












「何だこれ」
深夜、自宅マンションのエントランスでポストの中身を確認すると見た事の無い花が1輪入っていた。
降谷は花に詳しい部類だったが、その花を見たのは初めてだった。
見たところ球根植物だろうか。やたら純白の花は恥じらうように下を向いて可愛らしく咲いている。

しかし何故、ポストにこんなものが?宛先は勿論書いてあるわけもなく、その花を掴んだまま降谷は途方に暮れていた。

そもそも球根植物なんかを1輪贈るなんてどういうことだ。
昼間に苗字と話していた内容を思い出し、思わず辺りを見渡した。
やっぱり、何やら視線を感じる気がする。
しかしそれは気配だけで、姿はどこにも見当たらなかった。
用心深い降谷が、姿を捉えられないなんて。
やはり気のせいかと肩を落とす。


「取り敢えず花の名前は名前に聞いてみるか」

やたら花が大好きで、デスクの上を花畑のようにしている彼女の顔を思い出し、その花を部屋の中に持ち込んだ。








降谷は部屋に入ると急いで施錠をし、苗字に言われたように帰宅した旨を連絡した。
その時に、ポストに入っていたこの白い花の写真も撮り、添付する。

「風呂入るか」

メールをしたことに満足した降谷は、シャワーを浴びに浴室へと向かった。













「それは怖いな」
「でしょ?」

庁舎にあるレクリエーション室で苗字は同僚の風見裕也と共に、夕飯であるコンビニ弁当をつついていた。冷めた白米を箸で持ち上げながら昼間、降谷とした会話を風見にもすれば「いつか降谷さんは女に刺される」と自分と全く同じ感想を述べる。

「何か嫌な予感するのよね」
「変なこと言うなよ」

風見が、降谷さんはお前の彼氏だろ?と必死な顔で確認すれば目の前の女は大人しく首を縦に振った。

「携帯光ってるぞ」
「ほんとだ」
嫌な雰囲気を払拭するように、苗字のスマートフォンが眩しいほど明るく光りLINEの通知を知らせる。


「降谷さんからだ」
「お、何だって?」

苗字は降谷からの帰宅の旨を知らせる内容を確認すると、顔に虚脱したような安堵な表情を浮かべその文面をを風見に見せた。


「今日も無事帰ってこれたみたい」
「当たり前だろう。...、ん?」

力を無くして椅子にもたれ掛かる苗字に、風見はチャット画面をスクロールして見せる。

「画像添付されてるぞ」
「...、本当だ。花の写真?」

そこには「ポストに入ってた。贈り物かも。何の花?」という言葉と共に真っ白な見慣れない花の写真があった。

「これ、スノードロップの花だ」
「スノードロップ?」
風見は聞いたことのない花の名前を今一度反復してみせる。
それにしても何でこんな珍しい花が、降谷のポストの中に入っていたのだろうかと言葉に出して首を傾げると、苗字はみるみるうちに顔を蒼白にしていった。


「苗字、どうした?」
「やばい」

青ざめて、鼻から口元へ震えを走らせた苗字が慌てた様子で電話をかけ始めた。

怯えた魚のように、口と目をぱちぱちさせる隣の女を見て何かただ事ではない事態が起きていると風見は推測した。












シャワーを浴び終わった後、何気なく苗字からの返信がきになり携帯に目を向ければ、図ったかのようなタイミングで着信画面が表示された。


「もしもし」

月の前を横切る薄雲ほどの微かな陰翳を顔にかけながら、降谷はワンコールで電話に出る。


『家の鍵閉めてる!?』
「...え、」

ボタンを押した途端、まわりがしんとしているのを強調するような荒々しい苗字の言い方に驚きながらも、鍵をしたことを伝えれば『カーテンも全部閉めて!今直ぐ!』と捲し立てるように受話器の向こう側の彼女が声を上げた。


『部屋の中に誰もいない!?』
「どうしたんだよ、名前」

少し落ち着いてくれ、と言いながらも真っ暗な部屋の中を歩き回り人が居ないことを確認する。

『今から風見とそっち行くから、私達が部屋に行くまで絶対に鍵を開けないで!』
「いや、何言ってるんだよこんな時間に」

いつもの冷静さを欠くした彼女の異様な様子に、降谷の心臓を打つ脈は少しずつ早くなっていく。

『その花、今日ポストに入れられてたんだよね?』
「ああ」

しかも今朝確認した時には何も入ってなかったから俺が仕事に行っている間に誰かが悪戯で入れてったんだろう。そう言って、宥めるように優しく声かける降谷に対し、少し間を置いて苗字が再び口を開いた。




『最近視線感じるとか、その気配が日に日に近付いてきてるとか昼に言ってたから嫌な予感がしてたんだけど、』
「ああ」
『降谷さんの受け取った花はスノードロップって言うの』
「...、うん?」

混乱しているのか話の文脈が少し可笑しい苗字の言葉を、もう一度頭で整理すると一先ず降谷のポストに入っていた花の名前はスノードロップと言うらしい。
成程、聞いたことのない花だと頷けば、受話器の向こう側で今度こそ硬直したようないつもと違う声で苗字が言葉を発した。




『そのスノードロップってね、贈り物にする場合花言葉が少し変わるの』
「花言葉?」
『スノードロップの花言葉は、』



苗字が何かを言いかけた時、ガシャンという鋼のように硬く、鉛のように重たい音が部屋中に響いた。
玄関の方から音がする。
降谷が恐る恐る不穏な音の元へ足を進めると、ひとりでに玄関のドアノブが上下し、ガシャンガシャンと音を立てていた。


誰かが外で、この扉を開けようとしている。



呆然とする降谷は、段々早くなるドアノブの動きと、聴覚を引き裂くような不気味な音に思わず耳を塞ぎたくなった。


この扉を開けたら、どうなるのだろうか。
この扉の先には、一体何があるのだろうか。
得体の知れない恐怖を感じながら、降谷は只管に立ち尽くすことしかできなかった。











『スノードロップの花言葉は"あなたの死を望みます"』