日曜日の愚者





嫌な予感がする、そう悟った時にはもう遅かったのかもしれない。


学生が待ち望み、誰もが愛する日曜日。
つい浮足だってしまう七分の一の日がまた巡ってきたというのにどうしても私の前向きな感情は遠いどこかにあるような、何処かへ置いてきてしまったような、此処に在らずである。

そんな日曜日、私はまだ幼い弟と近所の子供達を自宅の庭で遊ばせていた。
本能のままに駆け回る小さな存在を微笑ましく見守るも、やはり脳内で再生されるのはつい先日の出来事。そう、騎士達が敗北したあの瞬間、勇敢に君臨し続け多くの仲間を侍り、輝いた瞳をもった王が皇帝に敗れ、粉々に崩れ散った、あの生々しい瞬間だ。
自身に満ち溢れた狂人とも言える皇帝は、それはそれは嬉しそうに、視えない刃物で王の首元へと突き付けた、そして一思いに、何の躊躇いもなく、殺した。


彼等の敗北によって、私自身彼等をプロデュースする資格を失った。音楽科である私が今後卒業まであと一年、騎士達に従い続ける条件は、皇帝との勝負で勝つ事だったのだ。
もう私は騎士達へ手を貸すことを許されない。
そんなの死んだ方がマシじゃあないか、と学園へ行く理由を見出せないままでいた私は唯行かなければならないというよく分からない使命感と義務だけで教室の椅子に座る。

思い思いに書き記した自由な詩に、彼等を想ってメロディを乗せていくあの高揚感漂う工程も、何もかも死んだ。それでも諦められないもう一人の情けない私が、毎日毎日飽きもせず生徒会室という名の監獄へ通い、皇帝に跪き交渉するのだ。もう一度チャンスをくれ、と。



「名前、顔色が悪いぞ」
背後から兄に声を掛けられるも振り返らずに機械のような声色で返事をする。
「何だか嫌な予感がするの」


これはとある日のとある夕暮れ時の話である。








日曜日にも関わらず、俺は学園の一室へと監禁されていた。監禁というか、まあ意図的に来た訳だけど。
fineに敗れた俺達knightsは、瀬名泉によって此処へ集められた。あの日の反省会をするらしい。敗北した事実は何も変わらないのに過去を振り返って何の意味があるんだろう。苛ついた感情を押し殺せたのは、誰よりも俺達を集めた張本人である瀬名泉が最も苛立ちを隠せずにいたからだろう。誰が悪い訳でも無いのに、どうして俺達はこんなにも過ごし難い環境へ葬られてしまったのだろうか。これが敗者の定めなのか。


「せっちゃん、これから俺達どうなるの」
当初に比べ圧倒的に人数が減った騎士達の群れはとても寂しく、俺の声だけが大きな部屋に情けなく響き渡った。
「王様も死んで、護るべきジャンヌダルクも失った俺達に出来る事ってなんなの」
黙ったままじゃ始まらないよ、どうにかしないと、俺達壊れちゃうよ、そう言葉にすればする程、心がどろどろに溶けて溢れて、目頭から熱い泪が止まらなくなった。本当に情けない、なり損ないでしかない気がしてしまって。隣にいる歳下の鳴ちゃんに背中をさすられた所だけが少しだけ、ほんの少しだけ暖かった。それでも鳴ちゃんの手は震えていて、それに気付いた時には全身が氷のように冷たくなってしまった。

「煩いなぁ、それを今から考えるんだよ」
苛立ちを隠せないせっちゃんは、何時もは絶対にしない貧乏揺すりを激しくさせて机の端を思いっきり蹴った。

「王様とはもう連絡だって取れない。王様は死んだんだよ。だったら残った俺達がしっかりしないと。王様が還って来られるように、knightsを護らないと」

冷たいブルーの瞳が俺を突き刺す。
せっちゃんだって未来が怖い筈なのに、それでもその瞳は誰にも屈さない、強いものだった。
何も言えず静寂が俺達を包み込む。
それでも鼓膜には煩い位の心臓の音と、皆んなの空気を吸って吐く僅かな呼吸の音を確実に伝えていた。

居心地の悪いリズムを感じていたその時、小さな小さな音には相応しくない、けたたましい着信音が突然鳴り響く。それは、間違いなくせっちゃんのスマホから発せられたもので、聴き慣れていた筈の着信音だったのにまるでその日は、警告音のようなとても恐ろしい音のように聴こえた。

"月永ルカ"
スマホの大きな画面に表示された人物の名前を見つけた時にはもうそれは確証に近くて。この胸の高鳴りは何かの暗示だったんだ、と俺は納得した。

「もしもし」
今日一番で頼もしく聞こえるせっちゃんの声に耳を傾ける。少し漏れた相手の声は只事では無い其れで、さっきよりもガンガンと心臓の音が強く強く俺の鼓膜に叩きつける。会話僅か数秒で、通話の終了ボタンを荒々しく押したせっちゃんは、鞄を掴むと教室の出口へと走り出した。


「どうしたの、せっちゃん」
わかってる筈なのに、怖くて、怖くて。
知らないフリをして俺は咄嗟に大きな背中に尋ねる。



「王様がいなくなった」


鳴君とくま君は王様が帰ってこれるようにそこで待ってて、切羽詰まった様にそう言って彼は直ぐに行ってしまった。
僅か五秒の出来事だった。
フラグにしか聞こえないんだよ、せっちゃん。
ねぇ、せっちゃん。君までいなくなったりしたら俺次こそ本当に死んでしまうよ?








夕暮れ時だからと言って、真夏の日の今日はとても蒸し暑くて。肌の奥からジンワリと熱が溢れ出る。不快な汗がワイシャツに染み付いて気持ちが悪い。なのに朝付けた香水の匂いは未だ残っていて、鼻腔を擽る。お気に入りのこの匂いも今は何たって何の役にも立たない。
どれ位走っただろうか。
消えた彼が行きそうな場所を虱潰しに駆け巡る。
その度に彼との思い出が蘇ってきて、泣きそうで辛くて。早く見つけ出さないと、彼は本当に。最悪な事態しか考えられない自分に嫌気がさしながらも走り続ける。途中で電話をした彼女も今頃、王様を探しに走り回っているのだろうか。頼ってはいけないと分かっていながらも、もう彼女から離れなければならないと分かっていながらも名前に電話をかけてしまった。
罪悪感に蝕まれながらも、彼女の声を聞いた瞬間どこか安堵に近いものを感じてしまった。それ程に俺は彼女に依存していたのだろうか。

雨が降ってきた。
どんよりとした真っ黒な曇空はまるで今日の出来事を暗示していた様だったが、ついに雨まで降り出してきた。けれど今は傘なんて差す暇も無い。普段の俺なら考えられない事だろうけど。

都会とは似つかない田舎道にまで来てしまった俺は、残り僅かとなった可能性を信じ探し続けた。
頼むから王様、俺達を残して折れないでくれ。
お前だけはこの世に残ってくれ。そして逆転の旗を立てるんだ。ジャンヌダルクと共に。








嫌な予感は的中した。
泉からの電話で全てを察した私は無我夢中で走った。
レオが何処にいるかなんて分からない。それでも走るしかない。口呼吸ばかりで唇も口内も乾燥して苦しい。心臓はバクバクと動き回るし、熱の籠もった薄手のワンピースは通気性なんて持ち合わせていないようだった。サンダルは砂利道を走り続けているせいで傷んでしまっているし、生足は泥が跳ねて灰色になってしまった。ぽつり、ぽつりと小雨が降ってきたと思ったのも束の間、それは容赦無く大雨として私を追い詰めた。

「なんでこんな思いばっかしなきゃいけないの」
思わずそう口に出したのに、やっぱり口の中が乾燥してしまって上手く口が回らない。
雨で前がよく見えないけど、思うがままに走る。
次は、次に向かうのは、そうだ、レオは落ち込むとよくあの場所に行っていた。田舎道を突っ切って深緑の木々を更に進んだ所にある大きな大木の前。森とまではいかない、あれは林だろうか。光合成によって、美しい酸素に覆われた気持ちの良いあの林の丘。レオは確かにそこに良く行っていた。何度か弟が虫捕りに出かけた時に見かけたと言っていたし、私自身、どんぐり拾いで弟を連れていた時に、底で佇む彼を見かけた事がある。
間違いない、其処だ。いや其処であってくれ。だってもうその場所しか残された手掛かりは無いのだから。


田舎道を駆け抜ける。びっしょり濡れたワンピースも、自慢の絹の様な手入れされた髪の毛も、今は邪魔でしか無い。サンダルは脱ぎ捨てたいがその時間すら勿体無い。泥だらけのジャンヌダルクは嘸かし滑稽だろうか。王を守る為に奮闘する騎士達は哀れだろうか。どうか神様、私達がどう思われようが王だけは救ってくれ。


いつもは田圃の稲刈りやら何やらで声を掛けてくれるおばあさん達も今日は居ない。そうか、こんな雨の中いる訳が無いか。だったらレオも?レオも居ない?そしたら彼は何処にいるの?

「あった」
聳え立つ林が、やっと来たかと言わんばかりに私を歓迎する。日光を浴びていつも優しそうに佇む穏やかな木々も、今日はどこか別世界へ連れていかれそうな重々しい空気を纏っていた。すっかり雨粒に溢れた深緑は風に揺れて誘う様に静寂を決め込む。

「名前!」
後ろから衝撃が走る。後ろを振り向けば確かに、勇ましい騎士が息を切らして私の肩を掴んでいた。
「泉」
「お前、こんなに濡れて」

あんただって、そう言おとして思わず躊躇った。
そうだ今はそんな事どうでも良い。

「ねえ、早くレオを見つけないと!」
「分かってるから!ちょっと落ち着きなよ」
「だって早く見つけてあげないと!今頃レオは一人で、」
「分かったから」


大丈夫だ、見つかる、そう言って泉は私をしっかり抱き締めた。冷え切った身体を冷え切った身体で包み込んでも暖かくなる筈無いのに、それでも泉の腕の中は
私の氷のような心を少しずつ溶かしてくれる。


「林の奥、行ってみよう」
「うん」
私達は互いの手を握って林の中へと進む。
まるで兄に連れられた妹のように見えるだろうか。手と手の間の感情に名をつけるなら、何だろう。きっと全てが平和に終わった後に答えは見つかる。そう信じて前へ進む。土砂降りの雨に打たれながらも尚しっかりと握られたその手は、未だ新世界に屈してない象徴の様だった。







「ふざけるな!」
今日という日は余りにも一瞬に物事が進んでいく。
途方に暮れている間は何世紀も生きているような永い時を感じずにはいられなかったのに、彼が消えたと分かった時、そして今、見つかったと分かった時だけは一瞬で儚かった。


「どれだけ俺達が心配して探したと思ってるの!?」

お前の家族だって、knightsだって、それに名前だって。行方不明になってか生きた心地しなかったんだぞ!と、珍しく声を上げて怒鳴る泉の声を、大木の前で腰が抜けた私は唯冷たい土の地面に足を付けて傍観するしかなかった。さっきまで私の手と繋がっていた泉の大きくて綺麗な手は、今レオの右頬にぴしゃりと打ち付けられた。そして光の無いレオの翠の瞳は今度こそ大きく開かれ大粒の涙を流した。


「良かった、本当に良かった」
怒りに満ちていた筈の泉が、今度は震える声でか細くそう言葉を紡いだ。そして優しくレオをその腕で包み込めば、泥だけで灰色の私の頬にも涙が伝う。苦しげに細められたレオの瞳が私を捉えたと思えば、「ごめん、ごめん、ごめん」と王らしからぬ声と嗚咽を上げて三人で泣いた。



レオが見つかった。



レオが居なくなった今日は、奇人月永レオの誕生日でもある。